4月2日、月曜日。入社式が花ざかりのようで、道行く人々にも初々しいスーツ姿が目立ち、筆者も30年近く前にこの桜の下を通って新しい職場に向かい、心が騒いだ淡い記憶を思い出した。あの頃は、友人との待ち合わせにも電話呼び出しをやってくれる喫茶店を利用したものである。ネットやケータイ、ましてやワンセグなど想像だにしなかった。アイワのFMラジオ付カセットを持ち歩いていた記憶も蘇る。その頃も聴いていた音楽は、レコードからカセットにダビングした山下達郎。なんだかんだで試聴ソフトはあまり今と変わっていない筆者である。
ついに日本全土からアナログテレビ放送電波が消える日がやってきた。2012年3月31日午前2時頃、筆者は届いたばかりのNOTTV受信用シャープ製スマホでニュースバードのサイマルチャンネルを見ながら、これを栃木県・那須高原に持っていきたいと思っていた。ここなら、福島県白河市富士見山からのアナログ中継波と、スカイツリー・モバキャス波の両方を同時に受信できるのではないかと睨んだからである。
そんな取材を前に、とにかくまずは仮眠を取ろうとするが、試験放送テロップの向こうに流れる荒天マークにため息。その数時間前には福島で震度5の地震があったことを思い出したことも影響したのか、衛星アンテナを多数設置している自宅の屋根が地震で崩れて自身も下敷きになった夢を見るなど、ほとんど熟睡できずに朝を迎えることに…。
当日は、まず白河市に向かって東北のアナログ波を確認し、そこから那須へ南下するという工程をとった。知人に車を出してもらい、白河市についたのが10時半くらい。まずは白河市役所へ行き、駐車場にて地デジとアナログ画面を確認する。
ここでは仙台にある宮城テレビを主体にし、復興関連イベントを福島中央テレビが生中継する珍しい番組にぶつかったようだ。この点がEPGのある車載地デジチューナーの便利さを再認識。
さて、上記写真のアナログ放送画面は、本稿でもたびたび登場してきたVodafoneのシャープ製アナログ・デジタルハイブリッド受信ケータイである。物理チャンネルを直接選局できるため、お目当ての局を素早く選べる優れものだ。だがしかし、アナログ受信機能が役に立つのも今日が最後なのである。
ちなみに、市役所自体は土曜日なので正面玄関が閉まっていた。しかし裏口に回ってデジタル放送相談パンフレットをもらうと、土日は同所から数百メートルの場所ににあるマイタウン白河で相談会が開かれていることを知ることができた。
そのマイタウン白河に行ってみると、お馴染みの「地デジのぼり」が立っており、相談コーナーが展開されていた。ちょうど、一人の中年女性が地デジチューナーを貸し出されるところにも出くわした。
白河にはこの3月から「白河南」という別の中継局も置局され、福島県境の山間でも地デジ受信の改善が計られているところ。市内はすべての中継局がUHFなので、散見される古いVHFアンテナは郡山の中継局や親局を受信していたものだろう。試しにここでもアナログ受信を試してみると、NHKでは11時から「さようならアナログ!もっとデジタル」をやっていた。これで、停波まであと1時間を切ったと知る。その後、途中のコンビニで福島の地元紙を購入しつつ那須へと急ぐ。
そして11時半過ぎ、車は那須高原の小高い丘にある那須どうぶつ王国駐車場に到着。白河では比較的小雨だった雨が暴風へと変わってきた。
当初は、ここで野外にロッドアンテナをかざしスカイツリーからの電波を受けて「NOTTV」受信を試みるつもりだった。だが前述のように外は暴風雨であるため、車のフロントを東京方向へと向け、フロントガラス沿いに銅線を1メートル程垂らす。その銅線を直にNOTTV対応スマホの付属アンテナに巻きつけてみた。
しかし画面がついたかと思うとすぐブラックアウト。銅線をフロントガラス真ん中ほどの高さまで上げるとようやく画面が無事安定した。そしてこの状態で再びVodafoneを取り出し、白河からのアナログ波を受信。デビューしたばかりのデジタル放送(NOTTV)と、この日で最後を迎えるアナログ放送を共演させてみたのが上記写真である。「アナログからデジタルへの橋渡し」とでも命名したいところ。デジタル放送の実例として、ワンセグでなくNOTTVを使えたことにもちょっとした自己満足を覚える筆者であった。
そして12時。アナログ放送は、東北3県以外で昨年7月24日に見られたあの終了告知画面が、すべての局で出現した。ちなみに53chに出現した福島テレビは白河中継波ではないようだった。どこから飛んできている電波だったのだろうか?
せっかくなので車載の地デジチューナーでも電波をスキャニングすると、栃木県の矢板中継局からと思われるキー局放送も認識された。ただ、どの局もブロックノイズが出てしまい、あまりまともには視聴できない状態。東京タワーからの電波はうまく認識されないようで、もっと高いところまで車を走らせないといけないというオチ。スカイツリーに変わればここでキー局受信が可能となるかもしれない。ちなみに、郡山近くの福島空港では、東京タワーのアナログ波が受信できたことは、マニアの間では有名な話題であった。
なお、ニュースバードでは仙台のアナログ終了行事を取りあげ、伊達政宗に扮する人たちまで動員したイベントの様子や東北放送のマスターなども伝えていた。こうした姿勢こそ「This is The NEWS TV!」と賞賛したい筆者である。
このとき、岩手・宮城・福島のNHKローカル局では、停波作業が進んでいた。そのときの様子が分かる写真をNHKから提供してもらったのでご紹介したい。長きに渡る連載が終了する慰労という意味もあり、特別に掲載を許可してもらえた次第。渋谷放送センターでは、この3県の映像をIP伝送して一つのディスプレー上に合成して見守っていたという。
さて、そのNHKに関連するネタをもう少しだけ続けさせてもらうと、4月2日には栃木と群馬の両県でローカル(県域局)の運用も始まった。
筆者は、事務所にてワンセグで群馬局の「ほっとぐんま640」と東京タワーの「首都圏ニュース」を同時受信してみた。例によって群馬向けUHFアンテナの同軸ケーブルとスマホのアンテナ部分を直結。37chのNHK前橋局キャリアは時々混信があり、安定受信はワンセグのみなのだ。
一方、19chにある群馬テレビはフルセグで安定受信できるので、ニュース内容が同じでも取り上げる視点も違うことがよくわかった。たまたま甲子園の準決勝まで残った高崎健康福祉大学高崎高校のニュースが流れたのだが、NHK前橋は地元市民の応援コメントを取り上げる一方で、群馬テレビは高校で応援する生徒を映し出していた。前橋と高崎をそれぞれが別々にカバーしていたところが興味深かった。ちなみに、首都圏ローカルには、宇都宮の圏域放送キックオフパーティーの様子が流れていた次第。
福島と郡山を別々にカバーしたり、震災の爪あとがまだ色濃く残る福島県内各地をカバーする在福ローカル民放局の苦労はとても、筆者などの想像が及ばないところだが、まずは伝えることを優先する姿勢がテレビの原点であることは、放送方式がアナログからデジタルに移ろうとも変わらぬ原理原則であるはずだ。
4月から始まったNHKの深夜ニュースを見ると、ハイブリッドキャストを意識した作りとなっていた。くだけた感じのキャスターが、ニュースへの疑問・質問をツイッターで募りながら進行するのだ。テレビ番組の作られ方も確実に変わってきていることを実感する。数年後に予定通りCATVによるデジアナ変換サービスが終了したり、BSによる難視聴対策放送が終了した時、テレビはどんな姿になっているのだろうか?キー局同士の統合が起こったり、通信キャリアが放送局を所有したりといった事態になっているのだろうか?
そんなことを想像しつつ、「観ることは伝えること」とソフトを観続け、ハードをテストし続ける自分のスタイルはは変わっていないだろうな…などとも思う筆者である。
長い間、お付き合いくださいました読者の方々、取材に応じていただいた方々、そして音元出版の方々にお礼を伝えつつ、550回にも渡ったデジタル放送へのカウントダウンも今回で本当の「ゼロ」を迎え無事に連載を終了する。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました!