日本ビクターと並ぶ、国内最古のオーディオブランドの一つが、日本コロムビアです。日本を代表する音響専門メーカーで、やはりレコードとオーディオ機器というソフト/ハード両方を作っていた、音の名門です。
日本コロムビアと私の個人的な付き合いは、まずピックアップ(今で言うカートリッジとトーンアームが一体となったもの)を使用したことがきっかけでした。そして次に、9インチ口径のスピーカーユニットです。これを自作の箱に入れて楽しんだものです。その後、自作アンプとそのスピーカーシステムに、日本コロムビアのピックアップを組み合わせ、当時、私が大変に憧れていた同社製のコンソール型電蓄のキャビネットをヒントに、その制作に挑戦しました。この挑戦の苦労の思い出も含め、日本コロムビアにも深い愛着があるのです。
そのコンソール型電蓄は、当時、新宿3丁目にあったコタニ(レコード、楽器店で、電蓄なども扱っていた)という店のショーウインドウに堂々と飾られていました。オートマチック・レコードプレーヤーやチューナーが搭載された大型の立派な電蓄で、当時大変高価なものでしたね。私はデザインがとても気に入りましたので、何度もコタニに通っては、ウインドウ越しにスケッチを繰りかえし、さらに自分流にアレンジして、最終図面を描いて、近所の家具屋さんに注文したわけです。
日本コロムビアはその後、『デンオン』ブランドの日本電気音響株式会社を傘下に収めました。『デンオン(今はデノンと発音する)』は業務用音響機器専門のメーカーとして、放送局などプロ用の機器を数多く手掛けていた会社です。後の私の仕事にも大きく関わりがあり、仕事を通して縁の深いブランドとなったわけです。『デンオン』のプロ機器はメカニズム系が中心で、アンプの伝統は強くありませんでしたね。ターンテーブルやテープデッキ、そしてレコード原盤を作るカッティングマシーンが中心でした。当時の日本コロムビアの音響機器は民生用のブランドが『コロムビア』、業務用が『デンオン』と区別して使われていたのです。
そんな日本コロムビアですが、オーディオコンポーネントでは、パイオニアやトリオ(現ケンウッド)の後塵を拝し、少し出遅れました。それは、長年にわたり完成型のイメージが強かったことによるのでしょう。つまりコンソール型や卓上型、後にアンサンブル型とも呼ばれた完成機の分野中心だったことがコンポーネントへの参入が少し遅れた理由でしょう。その後、遅ればせがら、『コロムビア』ブランドで民生用のオーディオコンポーネントの分野にも進出し、そのイメージが払拭されるような実績を作り上げて行きました。パイオニア・トリオ・サンスイといった御三家と並んで、ビクターも、コロムビアもコンポーネント市場に並んだわけですね。私にとって日本コロムビアは、このように親しんできたブランドです。
その御三家の中で、サンスイはもともとトランスメーカー、つまり部品メーカーとして出発しました。オーディオ用の各種トランスは自作ファンにも愛用され、私も使った経験はありましたが、決して最高級トランスではありませんでした。高級トランスフォーマーのブランドとして当時圧倒的に定評があったのはラックスでしたね。サンスイが名をなしたのは、やはり、コンポーネント時代になってアンプを作ってからだと思います。AU-777というプリメインアンプは非常に印象に残っています。その後、続々と人気アンプを輩出し、さらに、米国のスピーカーメーカー・JBLの代理権を獲得して販売したことも、さらに名声を高めたわけです。
その後、サンスイブランドでも自社製のスピーカーシステムを作り始めました。私にとって印象的なのはJBLのLE-8Tというフルレンジユニットを入れた「SP-LE8T」というスピーカーシステムです。もちろんJBL製品は私も長く愛用しており、“サンスイ”というブランドも含めて愛着があります。いまでもコンプレッションドライバーの375を中心としたシステムを使っています。
左の写真にある私のウーファーエンクロージャーは、皆さんJBL製だと思うでしょうが、実は違うんです。組子のグリルは、サイズに合わせて、サンスイさんにつくって貰いましたが、キャビネット自体は実はパイオニア系列のエンクロージャーメーカーのパイオニア音響という会社によるものです。この辺の経緯は次回にお話しします。
以下、第21回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)