幸福な「テレビのこれから」はやってくるか
NHKが3月21日に放映した「日本の、これから テレビの、これから」を見た。民放各局のプロデューサーやディレクター、そして放送作家が実名でNHKのスタジオに集まり、視聴者やパネラーと共に、テレビにまつわる様々な問題点を生放送で議論していくという意欲的な試みで、その内容にかなり引き込まれた。
テレビ放送はこれまでの“メディアの王”の座から、徐々に後退しつつある。若年層において特にその傾向は顕著で、“若者のテレビ離れ”が世論を賑わせているのはご承知の通り。彼らの可処分時間はケータイやネットへ、次第にウェイトを移している。
若者だけではない。中年に片足を突っ込んでいる自分自身を振り返ってみても、テレビ放送を見る時間は、働き出してから急激に減った。忙しくてテレビを見る暇がない、というサラリーマンは多いはずだ。
このような状況においては、テレビ放送はその在り方を変えて行かざるを得ない。テレビ放送を復権させるために何をすべきか、という問題意識がこのような番組を作らせたのだろう。
テレビ側の代表には民放連会長の広瀬 貞氏、NHK副会長の今井義典氏なども出席していたし、視聴者代表の中にも高名な方が混じっていて、非常に豪華なメンバーが揃っていた。ただし、テレビ局関係者やパネラーはフルネームを記載したネームプレートを付けていたのに対し、視聴者側は名字しか書かれていないことには違和感を覚えた。あの“ゼビウスの生みの親”遠藤雅伸氏の名札に、「ゲームデザイナー 遠藤」としか書かれていないのには驚きを通り越し、関係者の見識を疑ってしまった。視聴者側の大半は一般の方だったのでそれに合わせたのだろうが、それならば全員フルネーム、あるいは全員名字のどちらかに統一すべきではなかったか。
閑話休題。番組内の議論そのものは非常に白熱していたが、時にはテレビ局側と視聴者側の温度差によって議論が噛み合わない場面も多々見受けられ、逆にそのズレに興味をそそられた。
たとえば、アメリカで人気を博している、無料で人気テレビ番組やミュージッククリップなどが見られるVODサイト「Hulu」「Joost」を取り上げたコーナー。アメリカでは、決められた放送時間に縛られずに、サイトから好きな時間に自分の好みの番組を見るスタイルが根付きつつある、という内容のビデオを流したあとで、テレビ関係者と視聴者双方に、「今後、決められた時間に番組を視聴する機会は大きく減ると思うか」と質問。この問いに対し、視聴者側は「大きく減ると思う」「そうは思わない」と答えた方がそれぞれ半数程度だったのに対し、テレビ局側はほとんどが「そうは思わない」と回答したのだ。ちなみに、番組を生放送で見ていた視聴者への即時アンケートでは、「大きく減ると思う」が圧倒的に多かった。
決められた時間にテレビを見るというスタイルが崩れたら、CM収入を得ながら無料で放送を行うという、現在のテレビ局のビジネスモデルは根本から揺るがされる。そうなっては困るという気持ちが、このようなズレとなって現れたのだろうか。
さすがに、そこまであけっぴろげに理由を述べるのは憚られたのか、テレビ局側が「そうは思わない」理由として挙げたのは、「テレビの持つ即時性という利点は、報道やスポーツ中継に適している」「テレビ局には良質なコンテンツの制作ノウハウがある」「権利処理の複雑さやそれに伴うコストを考えると、番組を無料でネット配信するのはビジネスモデルとして成り立たない」などが代表的なものだった。裏返してみれば、彼らはネット動画では、これらの問題を克服することは難しいと考えているということになる。
上記の問題は、今後のネット動画にとって、それほど致命的な問題ではない。即時性については、ネットはテレビにそれほど遜色ないレベルに達しているし、日本全国にあまねく情報を届けるという目的を満たすには、電波で情報を飛ばす従来のテレビ放送よりも、インターネットの方がはるかに適している。だからこそ、地デジの難視聴地域対策で光ファイバーが使われているのだ。
また、良質なコンテンツを安価に制作するための、少なくともハードウェアの素地はすでに整ったと言っても良いだろう。ハイアマチュア/セミプロ向けの数十万円のビデオカメラは驚くほど高画質だし、今ではHD動画の高度な編集もPCベースで行うことができる。前述の「Hulu」「Joost」は、テレビ局や映画会社などが作ったコンテンツを主に提供している配信特化型のサイトだが、今後ビジネスモデルさえ構築できれば、テレビ局と競うハイクオリティなコンテンツを提供する、ネット専業の映像プロバイダーが登場してもおかしくない。
権利処理の問題についてはケースバイケースなので一概には言えないが、アメリカにおいて続々と成功例が出てきているのだから、日本でも法改正などの下地を整えた上で、コンテンツ制作者側で様々な工夫を行えば、ある程度の部分までクリアすることはできるはずだ。
テレビ番組は、映像と音声で構成されている。ネット動画も同様だ。規格の違いや伝送路の違いはあっても、それは本質的なものではない。あくまで「映像と音声の集合体」であり、本来は同じもののはずなのに、テレビ局側の出席者の発言を聞いていると、少数の例外を除き、「テレビ局が作ったコンテンツ」「ネット動画のコンテンツ」を分けて考えている(あるいは分けて考えたいと思っている)ように見受けられた。おそらく、現在のテレビが持つ大きな影響力に対する誇り、そしてクオリティの高いコンテンツを作っているという自負によるものだろう。だが現在の視聴者は、特に若者になればなるほど、テレビへの依存、ある種の忠誠心は薄れてきており、どちらが面白いか、あるいはどちらが便利か、という基準で選別を行う傾向に、ますます拍車がかかっている。その現実を、テレビ局側はまだしっかりと呑み込めていないのではないか。
もちろん例外もあって、中には「制作者側としては、多くの人に見てもらえればフォーマットは何でも良い」という意味の発言をしたテレビ関係者もいた。そのようなオープンな姿勢で考えない限り、若者のコンテンツとの付き合い方、コンテンツ選別の方法に追いつくことはできず、幸福な「テレビのこれから」はやって来ないのではないか。
なかなか噛み合わない議論を眺めていて、「ここに電機メーカーのテレビやレコーダー商品企画担当者がいれば、もっと現実的で本質的な話をするだろうに」と何度も思った。
タイムシフトマシンであるレコーダーは、とっくの昔に、決められた時間にテレビの前に座る、という行為から視聴者を解放している。パネリストとして出席していた、元NTTドコモで現ドワンゴの夏野剛氏は「自宅では地上アナログの全チャンネルを1週間分録画しており、この便利さはテレビに対する認識が覆されるほどの体験だ」という旨の発言をしていた。おそらく「SPIDER PRO」かVAIOのXビデオステーションなどを利用しているのだろう。
またテレビ関係者の言葉の端々から、ハードウェアとしてのテレビを、単に「テレビ放送を見るための機械」として捉えているように感じられたが、現在の薄型テレビは「テレビ放送も見られるディスプレイ」としての性格をますます強めており、YouTubeやアクトビラなど、ネット動画への対応も加速度的に進んでいる。アメリカでは、TVウィジェットから直接VODサイトへ接続することができるテレビも出始めている。
これらのハードの進化は多様なメディアを求める消費者のニーズを汲んだ結果であり、このことをテレビ関係者は真摯に受け止めるべきだ。かつてのテレビの地位に恋々としたままでは、そのうち足下をすくわれる。現実を見据えた上で良質なコンテンツを作り続け、ライフスタイルの変化に応じて柔軟に配信方法を選択し、来るべき本格的なネット動画の時代にも、我々を満足させる番組を提供し続けて欲しい。
テレビ放送はこれまでの“メディアの王”の座から、徐々に後退しつつある。若年層において特にその傾向は顕著で、“若者のテレビ離れ”が世論を賑わせているのはご承知の通り。彼らの可処分時間はケータイやネットへ、次第にウェイトを移している。
若者だけではない。中年に片足を突っ込んでいる自分自身を振り返ってみても、テレビ放送を見る時間は、働き出してから急激に減った。忙しくてテレビを見る暇がない、というサラリーマンは多いはずだ。
このような状況においては、テレビ放送はその在り方を変えて行かざるを得ない。テレビ放送を復権させるために何をすべきか、という問題意識がこのような番組を作らせたのだろう。
テレビ側の代表には民放連会長の広瀬 貞氏、NHK副会長の今井義典氏なども出席していたし、視聴者代表の中にも高名な方が混じっていて、非常に豪華なメンバーが揃っていた。ただし、テレビ局関係者やパネラーはフルネームを記載したネームプレートを付けていたのに対し、視聴者側は名字しか書かれていないことには違和感を覚えた。あの“ゼビウスの生みの親”遠藤雅伸氏の名札に、「ゲームデザイナー 遠藤」としか書かれていないのには驚きを通り越し、関係者の見識を疑ってしまった。視聴者側の大半は一般の方だったのでそれに合わせたのだろうが、それならば全員フルネーム、あるいは全員名字のどちらかに統一すべきではなかったか。
閑話休題。番組内の議論そのものは非常に白熱していたが、時にはテレビ局側と視聴者側の温度差によって議論が噛み合わない場面も多々見受けられ、逆にそのズレに興味をそそられた。
たとえば、アメリカで人気を博している、無料で人気テレビ番組やミュージッククリップなどが見られるVODサイト「Hulu」「Joost」を取り上げたコーナー。アメリカでは、決められた放送時間に縛られずに、サイトから好きな時間に自分の好みの番組を見るスタイルが根付きつつある、という内容のビデオを流したあとで、テレビ関係者と視聴者双方に、「今後、決められた時間に番組を視聴する機会は大きく減ると思うか」と質問。この問いに対し、視聴者側は「大きく減ると思う」「そうは思わない」と答えた方がそれぞれ半数程度だったのに対し、テレビ局側はほとんどが「そうは思わない」と回答したのだ。ちなみに、番組を生放送で見ていた視聴者への即時アンケートでは、「大きく減ると思う」が圧倒的に多かった。
決められた時間にテレビを見るというスタイルが崩れたら、CM収入を得ながら無料で放送を行うという、現在のテレビ局のビジネスモデルは根本から揺るがされる。そうなっては困るという気持ちが、このようなズレとなって現れたのだろうか。
さすがに、そこまであけっぴろげに理由を述べるのは憚られたのか、テレビ局側が「そうは思わない」理由として挙げたのは、「テレビの持つ即時性という利点は、報道やスポーツ中継に適している」「テレビ局には良質なコンテンツの制作ノウハウがある」「権利処理の複雑さやそれに伴うコストを考えると、番組を無料でネット配信するのはビジネスモデルとして成り立たない」などが代表的なものだった。裏返してみれば、彼らはネット動画では、これらの問題を克服することは難しいと考えているということになる。
上記の問題は、今後のネット動画にとって、それほど致命的な問題ではない。即時性については、ネットはテレビにそれほど遜色ないレベルに達しているし、日本全国にあまねく情報を届けるという目的を満たすには、電波で情報を飛ばす従来のテレビ放送よりも、インターネットの方がはるかに適している。だからこそ、地デジの難視聴地域対策で光ファイバーが使われているのだ。
また、良質なコンテンツを安価に制作するための、少なくともハードウェアの素地はすでに整ったと言っても良いだろう。ハイアマチュア/セミプロ向けの数十万円のビデオカメラは驚くほど高画質だし、今ではHD動画の高度な編集もPCベースで行うことができる。前述の「Hulu」「Joost」は、テレビ局や映画会社などが作ったコンテンツを主に提供している配信特化型のサイトだが、今後ビジネスモデルさえ構築できれば、テレビ局と競うハイクオリティなコンテンツを提供する、ネット専業の映像プロバイダーが登場してもおかしくない。
権利処理の問題についてはケースバイケースなので一概には言えないが、アメリカにおいて続々と成功例が出てきているのだから、日本でも法改正などの下地を整えた上で、コンテンツ制作者側で様々な工夫を行えば、ある程度の部分までクリアすることはできるはずだ。
テレビ番組は、映像と音声で構成されている。ネット動画も同様だ。規格の違いや伝送路の違いはあっても、それは本質的なものではない。あくまで「映像と音声の集合体」であり、本来は同じもののはずなのに、テレビ局側の出席者の発言を聞いていると、少数の例外を除き、「テレビ局が作ったコンテンツ」「ネット動画のコンテンツ」を分けて考えている(あるいは分けて考えたいと思っている)ように見受けられた。おそらく、現在のテレビが持つ大きな影響力に対する誇り、そしてクオリティの高いコンテンツを作っているという自負によるものだろう。だが現在の視聴者は、特に若者になればなるほど、テレビへの依存、ある種の忠誠心は薄れてきており、どちらが面白いか、あるいはどちらが便利か、という基準で選別を行う傾向に、ますます拍車がかかっている。その現実を、テレビ局側はまだしっかりと呑み込めていないのではないか。
もちろん例外もあって、中には「制作者側としては、多くの人に見てもらえればフォーマットは何でも良い」という意味の発言をしたテレビ関係者もいた。そのようなオープンな姿勢で考えない限り、若者のコンテンツとの付き合い方、コンテンツ選別の方法に追いつくことはできず、幸福な「テレビのこれから」はやって来ないのではないか。
なかなか噛み合わない議論を眺めていて、「ここに電機メーカーのテレビやレコーダー商品企画担当者がいれば、もっと現実的で本質的な話をするだろうに」と何度も思った。
タイムシフトマシンであるレコーダーは、とっくの昔に、決められた時間にテレビの前に座る、という行為から視聴者を解放している。パネリストとして出席していた、元NTTドコモで現ドワンゴの夏野剛氏は「自宅では地上アナログの全チャンネルを1週間分録画しており、この便利さはテレビに対する認識が覆されるほどの体験だ」という旨の発言をしていた。おそらく「SPIDER PRO」かVAIOのXビデオステーションなどを利用しているのだろう。
またテレビ関係者の言葉の端々から、ハードウェアとしてのテレビを、単に「テレビ放送を見るための機械」として捉えているように感じられたが、現在の薄型テレビは「テレビ放送も見られるディスプレイ」としての性格をますます強めており、YouTubeやアクトビラなど、ネット動画への対応も加速度的に進んでいる。アメリカでは、TVウィジェットから直接VODサイトへ接続することができるテレビも出始めている。
これらのハードの進化は多様なメディアを求める消費者のニーズを汲んだ結果であり、このことをテレビ関係者は真摯に受け止めるべきだ。かつてのテレビの地位に恋々としたままでは、そのうち足下をすくわれる。現実を見据えた上で良質なコンテンツを作り続け、ライフスタイルの変化に応じて柔軟に配信方法を選択し、来るべき本格的なネット動画の時代にも、我々を満足させる番組を提供し続けて欲しい。