音にこだわった1枚のアルバムが生まれるまで − F.I.X. RECORDS「Pure2」制作現場レポート(1)
2007年11月にフィックスレコードより発売された『Pure』は1万枚を超える出荷を記録しており、録音へこだわった高音質SACDとしては異例のヒット作といえる結果を残している。かなり以前から各方面より続編を待ち望む声が聞かれていたが、いよいよその2作目のリリースが近付いてきた。5月にリリース予定である『Pure』の続編SACD『Pure 2〜ULTIMATE COOLJAPAN JAZZ〜』(以下、『Pure 2』)は、そのタイトルから判る通り、アクアプラス作品のゲームに用いられた楽曲を原典とし、全編に渡ってその楽曲をジャズアレンジ化したアルバムとなっている。
今回から本作リリースまで一ヶ月ごとに制作現場レポートをお届けしようと思うが、レコーディングからミックスダウンまで、いわゆる音楽ソフトの原盤製作における一般的な流れについてもわかりやすくお伝えしていこうと考えている。
企画から曲決め、アルバムの方向性が決まるまで
昨年の秋、フィックスレコードのプロデューサーであり、ゲームメーカー・アクアプラスの社長でもある下川直哉さんから『Pure 2』制作開始の連絡を頂いた。その時はまだどの曲を収録するか検討段階であったが、2010年12月初旬には候補曲も固まり、本作のプロデュース/エンジニアを務める、橋本まさしさんとともにフィックスレコードのホームスタジオである大阪の『STUDIO AQUA』にて綿密な打ち合わせが行われた。ジャズに造詣の深い橋本さんから、候補曲をジャズアレンジする際の方向性を探るため、元のイメージとなるジャズ楽曲のアルバムが持ち込まれ、下川さんとの間で候補曲アレンジのベクトルを揃える議論が重ねられた。この時を振り返り、下川さんは以下のように語った。
橋本さんやシュンタロウさんを中心にレコーディングする楽曲のアレンジについて議論している。フィックスレコードの有村健一ディレクター(左)や下川エグゼクティブ・プロデューサー(左手前)もその流れを一緒に確認中 |
「ジャズアレンジとなっても原曲が持つ温度感を残すということを大事にしています。聴いた時に原曲が原曲として判ること、これだけは譲れないポイントとして橋本さんにもお伝えしています」
下川さんは今回エグゼクティブ・プロデューサーとして、『Pure 2』のコンセプトとアルバムの中でやりたい方向性についての舵取りを務め、楽曲アレンジやエンジニアワークについては橋本さんに一任している。なお、下川さん、橋本さんへの詳細なインタビューは制作レポートの続編にてお伝えしていこうと思う。
東京に戻った橋本さんは、プリプロダクション作業を開始。今回のプロジェクトで編曲を手がける若手実力インストバンド『WaJaRo』のシュンタロウさん(本作のピアノ演奏も担当)とともに候補曲のアレンジを作り上げ、打ち込み音源を中心としたイメージトラックを作成した。今回、半分はインスト楽曲、残りはSuaraさんによるボーカル入りとなるため、このイメージトラックにはガイドボーカリストによる仮歌も収録されており、レコーディング本番前にSuaraさんをはじめ、参加ミュージシャンたちへ手渡され、予習のために役立てられる。
アナログライクな音追求のための、こだわりの機器と綿密なマイクセッティング
そして1月末、『Pure 2』のレコーディングがスタートした。レコーディングスタジオは東京・二子玉川の『スタジオ・サウンド・ダリ』である。『Pure』やSuaraさんの『アマネウタ』リミックスを行ったことでファンの中ではお馴染みとなりつつあるこのスタジオは、橋本さんのホームグラウンドであり、国内でも屈指のヴィンテージマイク&機材を所有し、アナログライクな厚みあるサウンドを作り出すことができるスタジオとして定評がある。
『Pure 2』レコーディングが行われた、『スタジオ・サウンド・ダリ』のコントロールルーム。中央のメインコンソールは「NEVE V1」。サイドに置かれたサブコンソール「BCM10」も含め、国内でも屈指のNEVEサウンド環境を持っている。録音作業中は常にラージモニター「KRK 15A-5」からサウンドチェックを行っていた | 本作でプロデューサー/エンジニアを務める、橋本まさしさん。スタジオ内のどこへどんなマイクをセッティングするのかを検討している様子。楽曲の構成や楽器編成によってチョイスが変わってくる |
今回、インスト楽曲の録音には最近滅多に登場しない24chアナログ・マルチテープレコーダー(テープスピードは38cm/sec)が用いられ、ボーカル入り楽曲にはPCベースのProToolsを使用、192kHzマルチトラック収録としている。192kHzのマルチ録音は膨大な保存容量を必要とするため、通常のレコーディングに較べてトラック数は増やせないが、アナログマルチに較べて機動性が高いこと、そして録音品質のバランスを考えての投入となっている。
インスト楽曲の収録で用いられた、24chアナログ・マルチトラック・レコーダー「オタリMTR-100」。使用するテープは2インチ幅のオープンリールタイプで、現在では入手が難しくなってきている。複数の楽曲を収録する必要があるので、収録時間を稼ぐためにテープスピードは38cm/secに落とされていた | 『スタジオ・サウンド・ダリ』A・Stには、コントロールルームとスタジオブースを結ぶ動線の中間にエコールームが設けられている。録音中、スタジオとを隔てるドアを開放し、演奏の反響音を部屋の響きとともにマイクで収録。楽器の近接収録(オンマイク)音とミックスしてサウンドメイクする |
「レコーディング」とひとくくりにされているが、基本的なマルチトラック収録の場合、楽曲の基本構成となる楽器(ドラムやベース、ギターやピアノなど)のみを先に録音し、ソロギターやサックス、ストリングス、ボーカルなどを後日改めて録音するという、大きく分けて二段の構成を踏む。前者は『ベーシックトラック・レコーディング』、後者は『オーバーダビング(オーバーダブ)』と呼ばれる。
今回はこのベーシックトラック・レコーディングに該当するが、楽曲によってはベーシックトラック録音の段階でオーバーダブの要素まで同時に録音してしまう『一発録り』という手法を用いることもある。一発録りはミュージシャンそれぞれに高い技量が求められるが、編成が大きくなればなるほど、演奏に一体感が生まれにくくなるため、ポピュラーの世界では滅多にお目にかかれない。レコーディング初日では、ベーシックトラック録音を2曲実施した。
ドラムにはキット全体の音を捉えるためのステレオ収録用マイク(トップ用マイク)と、リズムのキーとなるキックドラム用、そして楽曲によってはスネア用にそれぞれマイクが向けられていた。画像ではトップ用マイク「ノイマンM269」とキック用リボンマイク「ロイヤーR-121」の3本のみ。アナログレコーダー収録なのでマイクの本数も少なめだ | ドラマー席の上から見たカット。トップ用マイクの向けられた方向性が良くわかる。ちなみに「ノイマンM269」は真空管式コンデンサーマイクで、ほぼ同型の真空管式マイクに「ノイマンU67」がある。ボーカル用に用いられていることが多い「ノイマンU87Ai」の祖先にあたるモデルだ |
スタジオのメインブースにはドラムの他、ピアノとウッドベースもスタンバイされていた(ファーストテイクを録音した後、ウッドベースは回りこみの音の影響を避けるため、個別ブースへ移動)。手前に座っているのは楽曲のアレンジを手がけたシュンタロウさん。ピアノにはコンデンサーマイク「MICROTECH GEFELL M940」(ハンマー側の響き)×2と「ノイマンU87i」(弦とボディの響き)がセットされている。奥に見えるウッドベースをプレイしているのは、クライズラー&カンパニーの活動で知られる、竹下欣伸さんだ | フルートを担当されるのは坂上領さん。普段はピアノ専用ブースとして使われている個室へセッティングされたが、バンドのグルーブ感と一体化するため、扉は開かれ、画像の位置よりも手前に移動した。使用しているマイクはヴィンテージ・リボンタイプの名品の一つ、「RCA 77DX」 |
サブコンソール「NEVE BCM10」の入力部に搭載されたマイクアンプユニット1073(コンソールの左上)は、“オールド・ニーヴ”としてユニット単体でも高く評価されている。今回の録音ではほぼ全てのマイクラインがこの「BCM10」に立ち上がってきている | 「BCM10」から伸びる緑のケーブルは、アナログテープレコーダー「MTR-100」に直接接続するためのもの。通常スタジオでは作業の効率化のため、“パッチベイ”というスタジオ内の入出力配線が全て集中している端子盤を使って各機材の接続を行っている。そのため、接点が多いことや引き回しの点でサウンドの純度が落ちることもあるので、こうした直接接続するためのケーブルの存在はサウンドへこだわる点でも有効に作用する |
スタジオのメインブース中央の高い位置へセッティングされた「ノイマンM269」。これはスタジオ内の響きを拾うためのオフマイクである。このセッティングの時、ドラムのトップには「Coles 4038SA」(リボンマイク)が使われていた | ウッドベースの収音用に用意されたのは、こちらもヴィンテージ・リボンマイクの名品である「RCA 44BX」(上)と、「ノイマンU67」 |
スタジオのグルーブをそのまま録音するための、とある試み
シュンタロウさんが用意したコード進行が記された譜面を元に、各ミュージシャンが一緒に音あわせを何回か繰り返し、場の空気が熱くなってきた頃合でコントロールルームではレコーダーの録音がスタート。ベーシックトラック録音のファーストテイクは、練習か本番かの境界がない段階で録音されていることが多い。その方が緊張のない自然なプレイが収録できることが多いからであるが、ここからメンバー同士の演奏のしやすさやサウンドの良し悪しを確認し、マイクの再アレンジやミュージシャンの定位置も変更したりする。
「キミガタメ」の収録では、当初メインブースで一緒だったウッドベースのマイクへ、ドラムの音の回りこみが大きくなってしまうということで、個別のブースが用意されたという一幕もあった。
ファーストテイクを録音した後、セッティングが変更されたウッドベース。マイクも同じものがそのまま移動されてきている | 「キミガタメ」の収録では、仮歌も一緒にレコーディングされた。個別のブースが一杯になっていたため、A・St用ラウンジにボーカル用の仮歌セッティングがされていた。このときのマイクは「ノイマンU87Ai」 |
さらに今回、もう一つの楽曲のレコーディングにおいて起こった驚きの出来事が、モニターヘッドホン未使用で録音したという点である。通常、各々のミュージシャンは録音中に他のパートや既に録音されているパート、一定のリズムを刻むためのメトロノームと同じ役割を果たすクリック(ドンカマとも呼ばれ、カウベルの音色で一定テンポの音が出る)、自分自身にセットされたマイクの音などを、ヘッドホンから聴きながら演奏している。今回のようなジャズアレンジの場合、一定のリズムでは抑揚が生まれにくいため、クリックを聞かないで演奏を行うこともあるが、クリックを消してもヘッドホンを付けたままでは、各メンバーが探り探りプレイをすることになってしまう一面もあり、窮屈な印象を持つテイクになることもある。だからこそ生のグルーブ感を出すため、今回のとある一曲では思い切って「ヘッドホンなしでみんなの演奏を実際に耳で聴きながら録音してみない?」という流れになったのだった。
使われているマイクもヴィンテージなもので、レコーダーも含め、50年代へレイドバックしたかのようなアナログテイスト溢れる現場に、ミュージシャン達のテンションもみるみる上がってゆく。本当に演奏することが楽しいという気持ちが音を通して見えてくる、素敵なセッションとなっていた。
次回のレポートでは下川さんへのインタビューや、一発録りを行った「トモシビ」収録の舞台裏についてを中心にお届けしたいと思っている。
【筆者紹介】
岩井 喬:1977年・長野県北佐久郡出身。東放学園音響専門学校卒業後、レコーディングスタジオ(アークギャレットスタジオ、サンライズスタジオ)で勤務。その後大手ゲームメーカーでの勤務を経て音響雑誌での執筆を開始。現在でも自主的な録音作業(主にトランスミュージックのマスタリング)に携わる。プロ・民生オーディオ、録音・SR、ゲーム・アニメ製作現場の取材も多数。小学生の頃から始めた電子工作からオーディオへの興味を抱き、管球アンプの自作も始める。 JOURNEY、TOTO、ASIA、Chicago、ビリー・ジョエルといった80年代ロック・ポップスをこよなく愛している。