公開日 2020/04/20 12:00
動的平衡へのチャレンジ − 他分野の知見も取り込むネットオーディオの新たな時代へ
「ネットオーディオ誌」が10周年となり、季刊誌という役目を終えて、WEBへ移行することになった。時を同じくして、新型コロナウイルスが世界に広がり、人々は実空間でのコミュニケーションを抑制しなければならない事態に陥った。ウイルスが人を媒介として拡散していくさまは、まるでインターネットの中で、人々の反応により情報が拡散していく様を観ているようだった。
ここ数年「デジタルトランスフォーメーション」という言葉がビジネス界で流行った。本来は、デジタルコミュニケーションを基盤とした社会で生活のあらゆることを良い方向に変革させるというコンセプトだったはずだ。しかし、どちらかと言えば、ICT(情報通信技術)をもっと使いこなしてビジネスをやろう! みたいな掛け声に使われている。いまさらのように思われるかもしれないが、それには理由がある。
事実として本当にすべてをデジタルベースで展開しても大丈夫な状況にインターネット環境も、コンピュータの計算スピードも、クラウドの容量も充分になったからだ。そして顧客の誰でもが一昔前のスーパーコンピューターと同じ処理能力を持つスマートフォンを持つようになっているのだ。理想と現実がほぼイコールな環境になったのだ。
しかしそれでも、事は進まない。その壁は我々の気持ちの壁だ。昔のとおりにやることは楽なのかもしれないし、いろいろこだわりもあるのかもしれないし、顧客がついてこないと判断しているかもしれない。相変わらず、アポイントをとって取引先で会議をして、判子をもらって、会食をして、さらに飲むみたいな文化が続いているのだ。
そこに新型コロナウイルスがやってきた。ほとんどの企業は準備もなしにリモートワークへの移行をしなければならない状況になったのだ。で、やりはじめてみれば、かなりの仕事がリモートだけでできてしまう。企業も学校も一気にオンラインでの活動を始めたので、たしかにネット回線が混んでおり、そこの増強は望まれるところだし、実際に対策は進んでいると聞いている。そこを除けば、ここのコンピュータの性能も、提供されているさまざまなツールも揃っていたのだ。
この状態を数カ月間、体験した後どうなるのであろうか? 多くの人が新型コロナウイルスの感染拡大が収束して、元の世界に早く戻りたいと言うけれど、元にはならないだろう。今回の世界レベルの危機の先には、デジタルトラスフォーメーションが定着する時代が待っているのである。
何が言いたいかといえば、オーディオ趣味というものは恐ろしく保守的な面があり、ネットオーディオを受け入れないという方々も大勢いらした。それはそれで良い。若者たちも、アナログレコードの良さに目覚め、いまやバラエティに富むレコードプレーヤーの新製品が発表されてもいる。オーディオには、さまざまな楽しみ方があって然るべきだ。しかし10年という歳月が、新しい挑戦であったネットオーディオをもある枠に嵌めてしまったという風にも感じるのである。
10年前、ぼくがとりあえずのゴールと設定していたハイレゾクオリティのストリーミングは、TIDALなどいくつものサービスで実現されている。サブスクリプションについては、Spotifyに代表されるようなサービスが乱立している。音楽を楽しむための様々な付随データとの融合という点では、Roonが出てきた。このあたりは、もうほうっておけば、進化も深化もするはずである。ということで、そろそろネットオーディオの先も見えたという2020年だとも言えなくもない。
しかし、オーディオにおけるデジタルトランスフォーメーションは、終わりが見えているわけではないと思うのである。その昔「1/f」揺らぎが話題となり、それを応用した音楽も多数発売されていたように、音は意識下にも直接働きかけて、私達の脳の状態を変え、それが気分の変化や健康状態の変化まで影響を及ぼす。その変化を脳波などで捉え人工知能で、個人個人に最適なサウンドマップのようなものを作ってイコライジングするとか、まだまだ何かあると感じるのである。
キーとなるコンセプトは、リアルタイムでの個人化と音環境適応になるだろうと想像しているところである。著名な生物学者の福岡伸一博士が言うところの「動的平衡」が、ぴったりくるコンセプトになるのではないだろうか? 音を聴くときの私は、心の状態も、健康状態も、外的な環境も、常に時間とともに変化しているが、その変化の流れの中で、心地よいバランスを求めて、良いサウンドを追求していると思えるからである。
コンピュータサイエンスと音響技術の融合であったネットオーディオが、他分野の知見を組み込んでいく時代が、本格的に始まりそうな気配なのである。その新たな流れを受け入れる気持ちが、この新型コロナウイルス感染の沈静化のために大きな変革を受け入れる私達に自然と湧くのではと、いつもながら楽観的な予想をたてているところである。
デジタルハリウッド大学 学長
杉山知之/工学博士
日本大学大学院理工学研究科修了後、同大学助手となり、コンピューターシミュレーションによる建築音響設計を手がける。87年渡米、MITメディア・ラボ客員研究員、国際メディア研究財団・主任研究員、日本大学短期大学専任講師を経て、94年デジタルハリウッドを設立。2004年大学院、2005年大学を設立し、現在デジタルハリウッド大学・学長。コンピューターとオーディオの融合をいち早く提唱し、2010年の「ネットオーディオ誌」創刊よりコラム「AudioNext」を連載、テクノロジーの進化やデジタル化がもたらすオーディオの可能性を提示し続けてきた。
ICTによる進化が加速する
ネットオーディオチャンネル始動! 杉山知之が考えるこれからのネットオーディオ
杉山知之「ネットオーディオ誌」が10周年となり、季刊誌という役目を終えて、WEBへ移行することになった。時を同じくして、新型コロナウイルスが世界に広がり、人々は実空間でのコミュニケーションを抑制しなければならない事態に陥った。ウイルスが人を媒介として拡散していくさまは、まるでインターネットの中で、人々の反応により情報が拡散していく様を観ているようだった。
ここ数年「デジタルトランスフォーメーション」という言葉がビジネス界で流行った。本来は、デジタルコミュニケーションを基盤とした社会で生活のあらゆることを良い方向に変革させるというコンセプトだったはずだ。しかし、どちらかと言えば、ICT(情報通信技術)をもっと使いこなしてビジネスをやろう! みたいな掛け声に使われている。いまさらのように思われるかもしれないが、それには理由がある。
事実として本当にすべてをデジタルベースで展開しても大丈夫な状況にインターネット環境も、コンピュータの計算スピードも、クラウドの容量も充分になったからだ。そして顧客の誰でもが一昔前のスーパーコンピューターと同じ処理能力を持つスマートフォンを持つようになっているのだ。理想と現実がほぼイコールな環境になったのだ。
しかしそれでも、事は進まない。その壁は我々の気持ちの壁だ。昔のとおりにやることは楽なのかもしれないし、いろいろこだわりもあるのかもしれないし、顧客がついてこないと判断しているかもしれない。相変わらず、アポイントをとって取引先で会議をして、判子をもらって、会食をして、さらに飲むみたいな文化が続いているのだ。
そこに新型コロナウイルスがやってきた。ほとんどの企業は準備もなしにリモートワークへの移行をしなければならない状況になったのだ。で、やりはじめてみれば、かなりの仕事がリモートだけでできてしまう。企業も学校も一気にオンラインでの活動を始めたので、たしかにネット回線が混んでおり、そこの増強は望まれるところだし、実際に対策は進んでいると聞いている。そこを除けば、ここのコンピュータの性能も、提供されているさまざまなツールも揃っていたのだ。
この状態を数カ月間、体験した後どうなるのであろうか? 多くの人が新型コロナウイルスの感染拡大が収束して、元の世界に早く戻りたいと言うけれど、元にはならないだろう。今回の世界レベルの危機の先には、デジタルトラスフォーメーションが定着する時代が待っているのである。
何が言いたいかといえば、オーディオ趣味というものは恐ろしく保守的な面があり、ネットオーディオを受け入れないという方々も大勢いらした。それはそれで良い。若者たちも、アナログレコードの良さに目覚め、いまやバラエティに富むレコードプレーヤーの新製品が発表されてもいる。オーディオには、さまざまな楽しみ方があって然るべきだ。しかし10年という歳月が、新しい挑戦であったネットオーディオをもある枠に嵌めてしまったという風にも感じるのである。
10年前、ぼくがとりあえずのゴールと設定していたハイレゾクオリティのストリーミングは、TIDALなどいくつものサービスで実現されている。サブスクリプションについては、Spotifyに代表されるようなサービスが乱立している。音楽を楽しむための様々な付随データとの融合という点では、Roonが出てきた。このあたりは、もうほうっておけば、進化も深化もするはずである。ということで、そろそろネットオーディオの先も見えたという2020年だとも言えなくもない。
しかし、オーディオにおけるデジタルトランスフォーメーションは、終わりが見えているわけではないと思うのである。その昔「1/f」揺らぎが話題となり、それを応用した音楽も多数発売されていたように、音は意識下にも直接働きかけて、私達の脳の状態を変え、それが気分の変化や健康状態の変化まで影響を及ぼす。その変化を脳波などで捉え人工知能で、個人個人に最適なサウンドマップのようなものを作ってイコライジングするとか、まだまだ何かあると感じるのである。
キーとなるコンセプトは、リアルタイムでの個人化と音環境適応になるだろうと想像しているところである。著名な生物学者の福岡伸一博士が言うところの「動的平衡」が、ぴったりくるコンセプトになるのではないだろうか? 音を聴くときの私は、心の状態も、健康状態も、外的な環境も、常に時間とともに変化しているが、その変化の流れの中で、心地よいバランスを求めて、良いサウンドを追求していると思えるからである。
コンピュータサイエンスと音響技術の融合であったネットオーディオが、他分野の知見を組み込んでいく時代が、本格的に始まりそうな気配なのである。その新たな流れを受け入れる気持ちが、この新型コロナウイルス感染の沈静化のために大きな変革を受け入れる私達に自然と湧くのではと、いつもながら楽観的な予想をたてているところである。
デジタルハリウッド大学 学長
杉山知之/工学博士
日本大学大学院理工学研究科修了後、同大学助手となり、コンピューターシミュレーションによる建築音響設計を手がける。87年渡米、MITメディア・ラボ客員研究員、国際メディア研究財団・主任研究員、日本大学短期大学専任講師を経て、94年デジタルハリウッドを設立。2004年大学院、2005年大学を設立し、現在デジタルハリウッド大学・学長。コンピューターとオーディオの融合をいち早く提唱し、2010年の「ネットオーディオ誌」創刊よりコラム「AudioNext」を連載、テクノロジーの進化やデジタル化がもたらすオーディオの可能性を提示し続けてきた。
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