巻頭言 人口ウエーブ / 和田光征 WADA KOHSEI 私が下図の「人口ウエーブ」を考えたのは、25年余り前のことである。厚生省が発表する国勢調査をもとにした人口ピラミッドを見ながら下図のようなグラフにした方が読みやすいと思ったのが発端だった。 当時アナログオーディオ全盛期で、市場はグングン増幅、成長していた。しかし、その成長を支える正体、エネルギーが何なのか具体的に理解できていなかった。そんな中、堺屋太一著の「団塊の世代」と出会って猛烈な心臓の鼓動を覚え、かなりの興奮状態に陥ったのだった。まさに目から鱗が落ちたのである。 団塊世代の存在を人口ピラミッドで見て、当分はオーディオブームは続くとの認識を業界全体がしたのである。とりわけ16〜26才の購買ゾーンへのシステム提案はシスコンというジャンルで花開き、単品コンポも新記録を更新し続けたのだった。 16〜26才を購買ゾーンとして設定し、それを学校のように見た時、新入生が入ってきて、卒業していく、16〜26才というゾーンを固定することによって、業界の未来をも透視できるのである。「人口ウエーブ」は当時、人口ピラミッドを見ながら、こうした方が未来を、現状をも確実に読むことができると思った。実際にマーケティング上、大変な武器となった。 団塊世代が購買ゾーンを去り始めた頃、オーディオは不況を迎えることとなった。購買ゾーン人口が減少しているのに、人口が目一杯いるような製販体制だった。従って、一気に過剰在庫となり、価格は乱れ、業界は不況へと転がり落ちていったのである。 「人口ウエーブ」はグラフである。しかしグラフを構成しているのは人間そのものである。「人間が存在していなければ何事も起こらない」という本質を認識していれば「人口ウエーブ」はまさに生き物である。そこには人間のこころが溢れているのである。技術は人間が創り出す物の、まさに最高無二の本質である。 ソニーの井深さんが「技術はこころへのインターフェース」と仰られていたと教えて頂いた。人類が存在し続けるということはその本質としてのこころが存在し続けるということであり、そこから創出される技術はこころとしっかり結びついていなければ価値がない。 私は「人口ウエーブ」の向こうのこころと技術との融合による未来を、今、見続けていることに、ある種の心地よさを味わっているのである。
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