巻頭言
風かほる頃
和田光征
WADA KOHSEI
…これから暫くの間、吉報と共に風は訪れる。窓を開け、部屋に迎え入れる外気は日毎に増えゆく新緑の香りに溢れている。生命が誕生したことの報せを、はちきれそうなほどに携えている。
湿気が益すにつれ、余計に酸っぱく、余計に甘ったるい。それだから薫風なのである。風の中で格別なのである
薫風によって、あちらこちらに運ばれていると思えば、これはこれで一興である
―― 先代 千宗室
そとには青と緑の昼がきていた
あかるいところどころに呼びごえ
池はさざなみをつらねて遠のき
風はとおくの花ざかりをそっくりはこび
町はずれの庭のことをうたった
まるで もう 花の冠をかむったように
ものみな いいしれず軽やかな陽ざしをあびて
あかるく立った
―― リルケ
夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
―― 立原道造「のちのおもひに」
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
そらにはあげひばり
―― 山村暮鳥
私は5月に生まれ、故にではないが4月、5月、6月という花と緑の変化にいつも生命の誕生といぶきを感じ陶酔してしまう。そんな折、いつも脳裏に甦る詩人たちの一節、それはまた、還暦を過ぎて2年目を迎えた己の青春への回帰かもしれない。
しかし、当然ながらそこを通り抜けて、脳裏に落とし込んでの道程だった訳で、すべての喜怒哀楽やすべての縁にただただ感謝するばかりである。
正月より桜の花に、時の確実な流れを感じると言われるが、まさに春から初夏にかけての自然の佇まいは、何とエネルギッシュであろうか。
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