巻頭言

鳥になる

和田光征
WADA KOHSEI


晩秋のふるさと、大分を訪ねた。温暖化で街路樹が蒼々としている東京の異常さとは裏腹に、晩秋の空気と佇まいがあって、紅葉は錦を織りなし、その見事さにただただ感激の淵へと誘われていった。思えば帰郷は夏の盛りが多かった。清流に魚を追うという少年の頃の魂がそうさせていたのだろうか。

今回の帰郷の目的のひとつは「九重“夢”の大吊り橋」を体験することである。全長390メートル、高さ173メートル、総工費20億円、大人1800人の重さに耐えられるスケールの大きさであり、とりわけ私にとって高さに関心があった。ちょうど新宿の高層ビル郡の真上に吊り橋が掛かっている理由になるからだ。眼下に高層ビルのてっぺんが見えることを想像して頂きたい。

まさに高さがあって、長さがあるのである。

何故にこの高さ、長さなのか、そのことは一見して理解できた。眼下に、また遠くにひろがる渓谷の景観の凄さ、見事さは、巨大な日本画を見るようである。

錦織りなす渓谷の右崖に高さ83メートルの「震動の滝」が、ちょうど日光の「華厳の滝」のような姿であり、左崖にはやわらかな布引のような「女滝」が94メートルの高さから落下している。両滝の清流が滝壺から流れ出て交わるあたりに、青松の古木材があって、青と紅葉と滝の絶妙のコントラストを描いている。水は白い滝となって3キロに渡って下り、紅葉の名所「九酔渓」の谷底を流れ落ちていく。

吊り橋から九酔渓の紅葉に染まった山容を遠くまで見ることができる。この吊り橋は、九酔渓のどん詰まりにひろがる巨大な釜状の渓谷に渡されたのである。

鳥にしか見ることのできなかった秘境の見事な景観を、近代橋梁技術によって、人々が鳥のような高さから見ることができるようになったのである。

この景観こそ「九重“夢”の大吊り橋」の真骨頂と言えるだろう。春夏秋冬、鳥になりたい思いにかられてしまった。

この景観、鳥にしか見ることができなかった・・・。

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