「ピュアオーディオ・ルネッサンス」特別対談
菅野沖彦氏、現代のオーディオを語る―後編

哲学こそが大事である

  • オーディオ評論家 菅野沖彦氏 VS 音元出版社長 和田光征
  • オーディオ評論家の菅野沖彦氏と、音元出版社長の和田光征による対談。前編となる前号では、オーディオを通じて広がる世界は無限に追求できるものであり、その中途で手段として止まるべきではない、という菅野氏の発言を掲載した。後編となる今号では、現代のオーディオ界を憂える氏の、厳しくも限りない愛情に満ちた言葉をお届けする。

大きな企業の中にあって
オーディオが育つには、
経営者の見識と価値観
そして人徳があってこそ

「お客様」はエンドユーザー、
流通は小売りを担う同業者。
メーカーと流通は切磋琢磨し
一緒に伸びていくべき

(前号からの続き)

菅野 オーディオというものは、大きな産業として成り立たない面があるのかもしれません。昔オーディオのメーカーはどこも小さかったですね。今は大きくなりすぎ、さらには現代経営の最先端をいくようなアメリカ式の合理的な資金調達から始まって、短期見通しで会社を運営していくというような経営形態になっている。そしてオーナーシップがなくなり、トップが何をつくっているのかわからない。あるいはM&Aが日常茶飯事になり株式公開で多くの株主から資金調達するというような現代経営により、当然、オーナーシップが分散される。オーディオメーカーなのに、オーディオのことを何も識らない人が経営者や社員として存在することになる。それは、物をつくる専門性の体質からどんどん離れていってしまうことです。

先進的大企業体質の中でいいオーディオは育ち難い

和田  「ピュアオーディオ・ルネッサンス」を迎える中で、そのあたりの反省も一部の企業にはあるかもしれません。やっても駄目なら最初からやらない方がいい、ということですね。儲かりそうならやるという発想だから、駄目になるとすぐ途中で投げ出してしまう。振り返ると、各企業が音に関係するエンジニアを投げ出してしまいました。それで今、何かやろうと思っても誰もいない。従って、これからオーディオをやろうというところは、しっかりやらなくてはいけません。昔のメーカーの復活もあるのではないでしょうか。

菅野  それは望ましいことですし、僕はできないとも思っていません。ただ、産業としての成り立ちとオーディオが、どこまで整合性がとれるか。
オーディオという立場からみると、企業から大事なものがどんどん失われていった事実がありますね。今いい物をつくろうと思っても、すぐにはできないような状態になっている。昔のものがすべていいわけではないですが、精神的なよさを持っている。そういうよさと、現代の物作りのシステムと物作りの原点を融合させ、合理的に資金調達をしても、純粋な物作りの精神に満ちた物をつくる。そういうことが考えられ始めているとすれば、素晴らしいことだと思うのですが…。
実際に方法はあると思います。規模の大きな企業でも、主張を持った一人の人間を中心に小さくて小回りのきく小組織が、複数強固にまとまって、全体として大きく合理的な規模の組織を形成する。そして、それぞれに人間の才能をプライオリティとし組織の合理性を築き上げていく。至難なことではありますが、経営者の見識と価値観、そして人徳次第だと思いますよ。
今のアメリカ的な合理的経営というのは経営面では資金調達、売上げ、利益、配当が全てというような在り方です。それは、まるで、メーカーが銀行か株屋になってしまったように感じられ、物作りの哲学が希薄になり、金融哲学だけが全てのようになっています。これをよく反省すれば可能性はあるのではないかと思います。
ただそのためには、はっきりとしたフィロソフィを持っていなければなりません。本格派のオーディオは特殊分野です。趣味製品をビジネスにすること自体が、現代経営から見たら非常に難しく、効率の悪いものではないかと思います。そういう状況だけ見ると、難しいですね。
ピュアオーディオ・ルネッサンスというのは大変結構ですし、その精神を、オーディオに関わっていく経営者たちはもう一度知って欲しいです。単純に言えば、昔のオーディオの経営者は皆オーディオファンでしたよ。しかし今、そんな人はいなくなってしまった。こういう状況では本当にいいオーディオはできないのではないか、と思ってしまいますね。かつては商社の経営者だってオーディオファイルだった。ましてやメーカーは、これを生業の糧とだけ考えたら駄目でしょう。オーディオが好きで天職と考える情熱と使命感がオーディオビジネスのリーダーたる条件だと言っていい。
私が23歳くらいの頃、記者をしておりましたが、先輩の後について、松下電器から初めてビクターの社長に就任された北野さんのインタビューに伺ったことがありました。そのとき北野さんがおっしゃったことは、決して忘れられません。「私は松下からミニ松下をつくりに来たのではない。松下ができない仕事をやりに来たんだ。松下幸之助さんは、そのために私をここの社長にしたんだよ」と。最近になればなるほどその話を思い出し、現在の状況と照らして複雑な感慨がありますね。
その後、こんな話もあります。某オーディオメーカー新社長の就任挨拶の会に出席した時のことです。ちょうどその頃、発売されてそれほど経ってもいないのに、そのメーカーのフラッグシップモデルだった素晴らしい高級アンプがディスコンになってしまったのでした。同席していた事業部長に理由を聞いてみたのですが、明確な答えが返ってきません。そこで私は、では社長に話をしてみようと言って自己紹介しました。そして、このアンプは、あなたが社長になられたのを機にディスコンになったが、私が思うに、それは売上げの数字のカーブがある地点を超えて落ちると自動的にディスコンになるようなシステムをつくったからではないか、とね。設計者と事業部長が、僕の後ろで必死に止めようとしていましたね。
つまり、ずばり、新社長の合理化だったのです。設計者の入魂の製品も売上げでしか評価されない。思うことが言えない。これではいいものはできません。現代の大企業的組織には、こういうものづくりに悪い影響を及ぼす体質があると思うのです。

最も大事なものは「哲学」
メーカーの見識が今試される

和田  我々が予感しているように、団塊の人達が帰って来ます。07年から約3年間に団塊世代から定年退職者が大勢出ますが、07年だけで55兆円の経済効果があるといわれています。団塊の人たちは個を大事にする傾向が強く、趣味にお金をかけたい。そんな中に、やはりオーディオへのニーズはあるのです。それに関わるメーカーも、おっしゃったように哲学を持っているべきですね。昔の経験を繰り返しては駄目です。

菅野  哲学が一番大事、昔の二の舞をやったら、今度こそ日本のオーディオは終わりです。今回は素晴らしいチャンスです。僕はある意味で、電機メーカーの見識が試される時ではないかと思います。オーディオをやるならそういう覚悟でやらないと。失敗して本人達だけが損をするなら構いませんが、オーディオ界全体に害を流すのです。
かつての大メーカーのように、オーディオに無理解のまま、ただ技術があって、作れるからから作るというのでは失敗は目に見えています。技術競争をユーザー不在のままにやる電機業界の悪い体質の繰り返しです。自分達だけが失敗をするだけではなくて害毒を再びオーディオマーケットに流します。
以前、トヨタ自動車のカーオーディオ開発セクションとのお付き合いが2年ほど続いたことがあるのですが、その頃、事業部長だった方が個人的に熱心な音楽愛好家でオーディオファイルでした。その方がこう言っておられたのを忘れません。『電気業界さんは商売が下手ですね。我々自動車屋はこの10年、どうやったら車のベーシックな売値を倍にできるかということで一生懸命やってきました。ところがオーディオは、どんどん安くされますね』と。『オーディオは音を買うのだから、コスト計算は直接消費者にはわからないでしょう。我々は1000万円出して買うオーディオシステムに対して、物ではなく音を買ったと考えるのです。オーディオは付加価値がつけやすいはずなのに、どうして価値を高める方向に努力しないのでしょうか? これだけ価値があるということを、業界を挙げて訴えることが必要ではないでしょうか…』。
確かに電機メーカーには、音の美しさというような抽象的な価値観をしっかり持って認識するインテリジェンスがないのだと思いますね。ですから、技術競争でしのぎを削り、価格を下げることだけで競争しています。異業種の理解ある人から見たら妙だと思うのではないでしょうか。

和田  全くそうだと思いますね。

商品、販売、顧客の質が
業界発展のカギとなる

菅野  昔あるメーカーが、業界で初めて3年保障というのをつけた。それを聞いて僕は『よくないですよ』とそこの社長に言いました。それは、昔のきちんとした小売店の在り方がなくなって、何でもメーカーにおんぶに抱っこという姿勢に拍車をかけるという意味からでした。メーカーは流通を教育し、一緒に伸びていくことを考えなくてはいけないと思う、と言いました。
メーカーに行くとたいていの人が小売店を『お客さん』と言う。ここからそもそも認識の間違いではないのかと思いますね。商品のお客さんはエンドユーザーだけです。お店は小売りを担当する同業者です。それをお客さんと言われれば、お店はいい気になります。ヘルパーだ、協賛金だと要求し、メーカーはお店の言いなりという状態が長年続きましたよ。3年保障というのはそのひとつに見えるのです。それで僕は、かつての秋葉原の流通の横暴さに腹を立てていました。今見ても、この悪しき習慣の名残りが残っていますね。
また、ある小さなメーカーが大型販売店と取り引きを始めたと得意になって言っていました。しかし、大型店で価格が下がっていくと、物の価値は下がっていきます。それを防ぐのは取り引きしないことしかないようです。小さいメーカーは、本当は大型販売店で売ってもらいたくても、皆、我慢しています。価値が下がるのを恐れるからです。小さな専門店を一軒一軒足で回って、きちんと扱ってくれるところだけに売ってもらう。価値を維持するにはこれしかないと思うのです。なんでもが質より量の現代は、その反対の価値観の世界を破壊します。つまり、質、クオリティを下げるのです。音楽とオーディオの文化、芸術にとっては大問題なのです。
大型販売店にとってみれば、オーディオ売り場の信用が欲しい。店頭に、オーディオファイルも納得するような商品を置きたいのです。僕の勝手な想像ですが、大手流通は、そういう商品を売れる売れないに関わらず置いて、実売で一番動く普及、中級商品でのプラス効果を考えているのではないでしょうか。
昔、マッキントッシュの社長がこう言っていました。『クオリティプロダクツ、クオリティセールス、クオリティカスタマー。この3つが連なってクオリティを保たなければ趣味のオーディオの世界は発展しません。そのために、セールスのクオリティはとても大事です。クオリティのあるセールスをしてこそ、初めてお客さんの方も相当の価値を持って商品のクオリティを認め、価値観を持って機械を扱い、オーディオファイルのクオリティも上がる』と。僕も本当にそうだと思います。どこかでクオリティが落ちれば、 水は低きに流れるのたとえ通り、引っ張られて全てが低劣化してしまうのです。販売のクオリティが悪くなれば、当然お客さんの方も、聞くだけ聞いて安売り店で買う、というような嘆かわしいことになりますよ。

和田  そういった意味で、クオリティカスタマーとの接点にある流通がクオリティの高いセールスをやることが大切です。とりわけ専門店の活性化が重要ですね。

菅野  ユーザーも文化芸術というものをしっかり理解して、価値観を持って、こういう風に使いたい、こういうところで買いたい、という意識があって欲しいですね。クオリティカスタマーズも少なくなってしまったのでしょうかね。

和田  量販店の中には、メーカーが開発してくれるからこそ有難い、と言われるお店もあります。小さいメーカーも大メーカーも、いろいろな価値を生み出しています。そこに敬意を表して共生意識を持たれているところも成長してきています。そして値ごろ感はユーザーにあるとおっしゃっています。哲学としてメーカーを大事にしておられるのですね。

菅野  それはすばらしいことです。販売店は、メーカーと同じように努力とお金と時間をかけて開発しているでしょうか。メーカーも販売店も意識を持ち直すべきです。メーカーはものづくりを担当し、販売店は小売を担当する同業者なのだということの再確認です。そういう当たり前の常識を持ってほしい。真のお客さんはユーザーです。その認識を、業界としてしっかり持たなければならないと思いますよ。

和田  言葉と言えば、ご著書の中で「レコードとCD」というのがありますね。CDは“レコード”であるという。

菅野  当然です。CDというのは一商標です。それを一般用語ならデジタルレコードとか、デジタルディスクという正しい呼び方をして欲しのいです。

和田  いずれにしても、ピュアオーディオ・ルネッサンスを果たしていくためにも、哲学を根底にしっかり置いたメーカー、販売店の姿勢、真のお客様であるユーザーもまたクオリティカスタマーとして享受していくことが重要だと思います。

菅野  オーディオがたどり着くべき目的、音と音楽の素晴らしい世界を見据えて邁進していきたいですね。メーカー、販売店、ユーザー、それぞれの立場からオーディオの世界をもっと深めていけると思います。

和田  いいお話をたくさんお聞かせいただきました。ありがとうございました。

菅野沖彦氏の自宅。そうそうたるオーディオシステムや、おびただしい数のレコードコレクションが並ぶ

◆PROFILE◆
菅野沖彦 Okihiko Sugano

1932年東京生まれ。編集者、フリーの録音制作家を経てオーディオラボを創立、1971年よりオーディオラボ・レコードを発売開始。また1950年代半ばよりオーディオに関する寄稿を開始、以後オーディオ評論家として第一線で活躍中。