日本放送協会理事 永井 研二氏 大切なのは挑戦する勇気受け継がれるDNAをバトンし続けていく コンテンツと同時に技術が大きな力となり放送を進化させてきました コンテンツと技術の両輪から世界の放送の発展を牽引してきたNHK。世界的なスポーツの祭典「北京五輪」を大きな契機に、日本の地デジ普及もいよいよ正念場を迎える。2011年7月24日の完全デジタル化へ、公共放送としての重要な立場から様々な施策を展開する一方で、“次”を見据えた基礎技術の研究が続けられている。放送の今、そしてこれからを、永井研二理事に聞く 永井 あと3年と2ヵ月。国や民放とも連携してやりとげなければなりません。放送のデジタル化は国策として進められているわけですが、NHKにとっても公共放送の責務として、非常に大きな経営課題のひとつになります。 デジタル化には2つの側面があります。ひとつは送信する側で、これはわれわれの責任で一足早く、2010年末くらいまでには全国のご家庭にあまねくデジタル放送をお届けできるよう整備をしていきます。具体的には、全国2200局の送信所に加え、NHKが地元組合と共同で設置・運営している共同受信施設(NHK共聴)のデジタル化を進めなければなりません。総額で建設費が3850億円かかります。平成19年度までに2500億円を支出して、放送局内の設備のデジタル化、送信所・NHK共聴のデジタル化の対応を進めてきました。送信所は東京タワーなど規模の大きな局所から順にデジタル化して、今年3月末までに344のデジタル局を開局、視聴可能世帯数では全世帯の約93%をカバーするに至り、NHK共聴も約1400施設にデジタル導入を実施しました。しかし大変なのはこれからです。今後、1800局余りの全国の送信所をデジタル化しなければならず、それはカバーエリアが数百から数千の小規模な局所が中心となります。 もうひとつの側面である受信側については、視聴者の方々にデジタル放送の受信機を設置していただけるような周知広報活動にも一層の強化が必要です。放送などを通じた普及活動などにも注力します。4月2日には、会長をトップに据えた「2011年完全デジタル移行委員会」という組織をNHK内に新たに立ち上げ、全局的な体制強化を図りました。また、国は今年10月から全国11箇所、来年の4月1日までには全都道府県に相談センターを開設しますが、そこへはNHKと民放からも人員を派遣して、視聴者の方々の疑問・相談・要望、それぞれの状況を把握して、的確に対応して参ります。 ―― 普及活動という面からも、8月に開催される北京五輪は注目されますね。 永井 これまでもオリンピックやサッカーW杯などスポーツのイベントでデジタル受信機の普及がぐんと加速しました。今回も、一層普及に弾みがつくように取り組まなければなりません。北京五輪は全都道府県で地上デジタル放送が始まって以降、初めての大会です。また五輪史上初めて、全競技の国際信号がハイビジョン、音声も5・1サラウンドで制作されます。NHKは体操・新体操・トランポリンの国際信号制作を担当しますが、競技場にいるような迫力ある映像をお茶の間に届けたいと考えています。放送は総合テレビで190時間、BS1で347時間を予定していますが、地上デジタル放送で臨場感あるハイビジョン、5・1サラウンドを是非、多くの方に楽しんでいただきたいと思います。 放送サービスとともに、デジタル受信機の普及活動も積極的に展開します。5月に総務省から報道発表された2月末での全国普及数は約2200万世帯でした。国と放送各社が参加する地上デジタル推進全国会議の「デジタル放送推進のための行動計画(第8次)」では、北京五輪時点で2400万世帯の普及を目標に掲げています。その実現へ向けて、五輪の放送スケジュールや見どころをタイムリーに発信し、多くの視聴者にご覧いただくと同時に、ポスターやミニうちわなどの観戦ガイドも用意して、受信機の普及を支援していきます。 また、これからは各ご家庭では、今見ているテレビがアナログ放送なのか、デジタル放送なのか、きちんと認識してもらうことが大事です。これまでアナログBS放送をご覧いただくと画面右上に「BS1」「BS2」というロゴが表示されていましたが、この5月よりそれに「アナログ」というロゴを追加し、アナログとデジタルの識別ができるようにしました。 ―― NHKとして、販売店の店頭対策についてはどのような取り組みを展開されているのでしょう。 永井 今後の完全デジタル移行には、販売店の方々の協力が不可欠です。NHKでは、地域の電気店や量販店の方々を対象に、デジタル時代の放送受信技術をテーマにした講習会を開催しており、昨年度は229回実施しました。デジタルとアナログの双方に対応できる放送受信技術者育成の必要性やそのための取り組み、受信トラブルにおける様々な事例やそれに対する受信システムの構築など、地域ごとの特殊な事情も踏まえて、講義させていただいています。本年度も同様に、特に、デジタル中継局が新たに開局される地域で重点的に開催していきます。 まだ地デジを見られないところでは、いつ見られようになるか、どこの地域が次に見られるようになるかなど、問い合せも多くいただきます。各放送局には、そのようなサービスエリア情報の担当者がおり、県単位でわかりやすく表示した地図の作成なども行っています。そうした情報を量販店や電気店へ出向いて説明するなど、デジタル受信機の普及促進の支援もさせていただいています。 ―― データ放送で住んでいる地域の情報も手に入りますが、アナログ放送と比較した上でのそうしたメリットの啓発も、まだ十分ではないように思います。 永井 NHKのデータ放送では、各放送局で独自のデータ放送をサービスしており、地域に密着した情報をお届けしています。地域のニュースや天気予報はもちろん、休日夜間の緊急医療機関など、地域に役立つきめ細かな情報をご覧になれます。データ放送は、地デジのサービスの大きな特長のひとつです。そのメリットを視聴者に理解していただけるよう、電気店向けの講習会でもご説明していますし、各放送局にいらっしゃった視聴者の方には実際にご覧いただいています。 ―― ワンセグも一気に普及が進み、こちらのサービスも注目されますね。 永井 2006年の4月からサービスを開始しましたが、驚くほど急速に普及が進んでおり、それから約2年のうちに2500万台が普及しています。NHKでは、いつでもどこでもテレビが見られるという特長を活かし、非常災害時など、いざというときに役立つ情報をお届けしていくと同時に、親しみやすさですとか、放送と通信の連携をうまくとりながら、必要な情報を容易に入手できるサービスの充実も進めています。 ワンセグにもデータ放送があり、最新のニュースや気象情報、昨年1月からは、地震・津波情報も提供しています。また、これまでは東京で制作した全国一律のコンテンツをお届けしていましたが、この3月末からは各放送局から独自のデータ放送を提供できるようになりました。また、通信と連携したサービスとして、「大河ドラマ」や「ためしてがってん」を番組関連情報としてお伝えしています。 家庭導入を描いてみせる 永井 スーパーハイビジョンや立体テレビジョンなど、われわれも次世代のテレビとしてさまざまな研究を進めています。スーパーハイビジョンは、これまでも放送技術研究所の一般公開(技研公開)や海外の展示会などいろいろな機会にご覧いただいていますが、今年の技研公開(5月22〜25日)では、いよいよ一般家庭に入ることをイメージした液晶ディスプレイによる展示を行います。まだ、スーパーハイビジョンのフルスペックとなる4000本級の液晶ディスプレイはありません。このため、走査線2000本級の液晶ディスプレイを4面貼り合わせて表示しており、画面中央にクロスの枠が入りますが、将来の放送イメージを十分、体感していただけると思います。また超高精細の映像とともに、高臨場感の重要な役割を果たす音響では、22・2マルチチャンネル音響システムの環境を家庭にも簡単に設置できるコンパクトなスピーカーシステムを展示します。 一方、カメラについても従来はスーパーハイビジョンのフルスペック3300万画素に対応した撮像素子がなく、800万画素のデバイス4枚を組み合わせていました。つい最近、3300万画素のデバイスの開発に成功しましたので、これも技研公開で展示させていただきます。各要素技術の研究・開発と並行して国際標準化にも取り組んでおり、昨年11月にはスーパーハイビジョンの映像フォーマットが、SMPTEという放送のスタジオ規格を担う国際標準機関で暫定規格として承認されました。今年はインターフェイスや音響の標準化も進めていきます。 実際にスーパーハイビジョンが一般家庭で見られるようになるには、伝送、受信における技術面の課題や、さきほどのディスプレイへの表示技術などを開発することに加えて、放送サービスするための国際標準化や制度整備など、さまざまな課題をクリアしなければなりません。ハイビジョンのときも同じような苦労をしながら、40年かけてようやく今があります。スーパーハイビジョンも実用化にはまだしばらく時間はかかりますが、メーカーや海外の研究機関との連携を深め、どういう形が一番いいのかを探りながら着実に取り組みを進めたいと思います。 ―― 直近のテーマでは、ブロードバンドとテレビの関係がいよいよ密接なものになりそうですね。 永井 今年12月の「NHKオンデマンド」のサービス開始へ向けて準備を進めています。つい見逃してしまった番組を見られる「見逃しサービス」と、過去に放送したさまざまな番組をご覧いただける「特選ライブラリー」サービスを考えています。基本的には有料で、具体的な料金や提供する番組ラインナップなどは9月頃に公表できる予定です。 ―― これまでお話を伺って参りましたが、エンターテインメントから地域医療に至るまで、これからの放送の発展と普及において、NHKは大きな社会的な役割を担われていると思います。 ―― 放送、コンテンツに対する大変大きなミッションを持つNHKですが、これから技術をどういう方向に発展させていきたいのか。永井さんの技術に対するビジョン、哲学をお聞かせください。 永井 NHKは1925年にラジオという音声放送を始めました。その後、テレビが白黒で登場し、それがカラー化され、そして地上だけでなく衛星放送も始まりました。ハイビジョンになり、そして、現在デジタル化が進んでいます。そこではコンテンツと同時に、技術が大変大きな力になり、放送を進化させてきました。コンテンツと技術の両輪が放送の発展を支えてきたのです。そういう意味ではNHKの技術が常に先導的な役割を果たしてきたと自負しています。 ハイビジョンにしても実は、1964年、東京五輪が終わった直後から開発を続けてきて、40年経ってようやく花開きました。壁掛けテレビの発想も、50インチのハイビジョン映像を日本の家庭の狭い空間でご覧いただくにはブラウン管ではできないと考え、そこで出てきたのがプラズマテレビで、これも30年くらい前から研究・開発を重ねてきました。衛星も世界に先駆けて放送に取り入れようと、何度も失敗を重ね、その都度批判を浴びながらも、あきらめずに続けてきたものです。 新しいものに挑戦する勇気と、それを継続していくことがいかに大切であるかを身に染みて感じています。しかもそれを次の世代へとバトンタッチし続けていくことが非常に重要なのです。先達たちの苦労が衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送で今、花開きました。われわれもこのDNAをしっかりと受け継いで、次の世代に渡していきたいと思います。 ―― 40年経って、これだけ世の中を変えてしまうわけですから、物凄いパワーを備えた技術ですね。 永井 公共放送として放送技術研究所を持っているのには、そういう意味合いもあると思います。すぐに成果を求められるものももちろんありますが、基礎研究をしっかり行っていれば、そこからさまざまな技術が派生的に生まれてくるのです。 ―― 豊かさは地道な研究のたまものというわけですね。 永井 スーパーハープカメラも試行錯誤の中から生まれました。実はデバイスの研究で、その失敗作の中に不思議な特性を持つものが見つかりました。これは何かおかしいぞと、特性試験をしているうちにスーパーハープの原理となる「電子のなだれ増幅現象」が発見できたのです。それも、基礎研究をしっかりやっていたからこそで、小手先ではできません。 NHK技術には、研究所、番組制作、送出、番組を全国に送信、受信するまでさまざまな仕事があります。これらすべての技術職員が未来を展望しながら日々の仕事に臨まなければなりません。そうした中でいろいろなアイデアが生まれ、次の世代に引き継ぐべきことが生まれてくるのだと思います。われわれには脈々と受け継がれてきた貴重なDNAがあります。この財産をこれからも受け継ぐことで、先導的な役割を担える放送技術が育つのだと思います。いつも夢ばかり見て過ごしているわけにはいきませんが、そういうことも非常に大切だと思います。 ―― 本日はどうもありがとうございました。 ◆PROFILE◆ 永井 研二
氏 kenji nagai |