巻頭言 九月の光 和田光征 いつしか草むらから秋虫の歌がきこえ中秋の十五夜の月はまさに冴え渡り、かってない程の輝きだった。 五月の光と九月の光が好きだ。季節の中でこのふたつの月は特別のようである。生物にとって最も輝き生長し種を連続させるための進化を促す力をもっており、自然の摂理そのものである。 稲で見ると去年の種を播種し、早苗にして田に植え、五月頃には花が咲き実ができ、そして九月の光のもとで結実し、次の年への種が完成する。種は時間をつないでいくわけである。 五月も九月も花の月であり、実を結ぶ月でもあり、最も生に満ちた月である。古来より人々は感謝をこめた祭を奉り収穫を祝うが、この風習は永遠である。 そんな事を思いながら九月の花々、結実した植物の種を見、残暑ながらも良く澄んだ空、光に我が身を委ねている此の頃である。深まる秋、澄みわたる空、やはらかな冬を思いながら。 私の手帳を見ると、年の始めあたりには「着眼大局、着手小局」とあり、二月には「大丈夫。明日はまた新しい人生が生まれてくるから」、「道・天・地・将・法」と記されている。 三月「勢いとは利を囲みて権を制するなり」、そして3・11。「…未曾有の天災であり、只々被災した人々を救済し、新たな歩みへ。心のこもった支援と思いやり深い行動で助け合って、何はともあれ復興のスピードを高めなければならない」 「しかし、最も由々しきは人災部分である。とりわけ原発事故は様々な苦難を強い、無策でレベルの低い政治主導で何ら展望が開けていない点で、国内のみならず世界的に“風評”を巻き起こしてしまった」。「私は田舎の畜産農家の出でもある。わが子同様に育て暮らしている可愛い牛や豚や鶏たち、主がいなくなって自然死、処理死…。あらゆることが心を痛めてやまない。政治家は志を高く、展望の見える対応をしっかりやるべきである。策なき政治ほど不幸はない」。 「危機においてこそ、本質が立ち現れる」と四月記。五月記す。『夕ぐれかすむ バラの畑に灯がともり てふてふが帰ってくる めいめいの翼にのって 子供らは木のさじでスープを飲み しばらく騒いで眠ってしまふ 笑いがまんまるく 彼のそばにいる』。 そして私の手帳は白紙になっていく。震災、津波、原発、政府の人間本来の姿からもとる対応に憤怒は極に達していたからである。菅政権になって日本人の誇りが徹底的に踏みにじられ、事業する業界人にとっても砂を噛むが如き日々ではなかったか。 「気もくるふ 世相は地獄 炎天下」、八月記す。「新しき計画の成就は、只、不撓不屈の心にあり。ならばひたむきに只想え、気高く、強く一筋に」。 そして、私の原点「業界の発展に寄与する、生まれる価値のあるものは育てよう」。 新政権は“和をもって尊しと為す”の、日本古来の思いを具現化しながらのスタートである。九月の光と新政権。少なくとも小泉政権から始まった国民不幸を終息させて欲しいと思わざるを得ない。 |