巻頭言
五月に思ふ
和田光征
WADA KOHSEI
五月の清々しさの中で私は生まれた。五月三日に生まれ、出生届が五月十三日に出されたことから五月十三日が誕生日である。生まれ年の1944年はまさに戦時下であり、どの子も実際の誕生から「誕生日」まで十日程の時間を有していた。
五月の空気の中で生まれたからであろうか。ことのほかこの季節が好きである。このころになると故里の友人から電話があって、峡谷の里の花便りがある。岩つつじの花が咲き始めたとか、山桜がほんとに奇麗であるとか、山藤の花もいつもより見事だった等々、なぜか里山の岩肌にしっかり根を張る花や、芽吹きの落葉樹と照葉樹や針葉樹のコントラストの中で咲く花々の便りである。私が語りかけるせいもあるが、ともかく相手と波長が同じだから里山の四季の移ろいの会話が多いのである。
里山の春でいつも思うことがある。それは山藤の花である。去年見かけなかったところに咲いている事が多い。
里山や ここにもあったか 藤の花。
私の駄作であるが、友人は「…そうそう、ほんとうにそうね」と弾んだ声になる。そして「福島の故里を追われた人達を思うと申し訳ない」と言葉が曇る。優しく明るい友人である。
このところ、五月晴れという季節なのに低気圧が青空を占領して憂うつになる。明らかに異常気象である。里山や大自然の中の新緑そして花々、その先に宇宙の果てまで透視できた思いがよぎるほどの青い空がぴったりであり、これ以上ないこの季節の風が生気を蘇らせてくれるのである。低気圧が世界的に荒れ狂っているこの頃、諸々に対する天の憤りではと思ってしまう。
話は変わるが、「他人事」という言葉が頭から離れない。辞書で引くと、「自分に関係のないこと。他人に関すること。よそごと」とある。私の頭から離れない「他人事」とは、自分に深く関係していることなのに、関係のないごとく振る舞うこと。いうなれば「無責任」ということである。
先般、15〜29歳対象の「2012年版子ども若者白書」の原案が明らかになったが、「若者が将来にどのような未来を望んでいるかの調査」では、「仕事で十分な収入が得られるかどうかや、老後に年金を受け取れるかどうかに不安を感じている」結果となった。
働くことへの不安は=「とても不安」と「どちらかといえば不安」の合計が82.9%。「老後の年金はどうなるか」81.5%、「きちんと仕事ができるか」80.7%、「そもそも就職ができるのか、仕事を続けられるのか」79.6%となっている。景気や雇用の厳しい現実を反映した全く夢を描けない結果である。若者の失業率は、15〜19歳 9.6%、20〜24歳 7.9%、25〜29歳 6.3%となっている。
この白書を政府が六月上旬に閣議決定する方針ということだが、私が「他人事」というのは、こうした現状を創り出しているのが為政者であるという認識が甘いことである。閣議決定しても、具体的な生きた対策はいつも曖昧で放置されてしまう。まさに「他人事」であり、無責任だ。そのことはわが業界の現状の厳しさにも及んでいると言えるだろう。五月の憤りである。