巻頭言
東京新聞 8.14 社説
和田光征
WADA KOHSEI
東京新聞 8月14日朝刊
社説「ビートルズ50年 僕らの歌を乗り越えろ」
手元に一枚の白黒写真がある。一九六二年八月のビートルズ。故郷リバプールのキャバーンクラブで撮影された演奏風景だ。
のちにトレードマークになったマッシュルームカットに襟なしスーツ。細身のネクタイでそろえた四人がそこにいる。ジョンとポールの肩越しに、新加入のリンゴの姿が控えめに写っている。
メンバーが確定し、この写真の二ヵ月後に「ラブ・ミー・ドゥー」でレコードデビューを果たす。ジョンのハーモニカが印象的な曲。伝説はこの年に始まった。
五〇年代、戦争の抑圧から解放された若者たちは、自らの文化を探し求める余裕ができた。攻撃的な旋律、リズム、そして自由な言葉。ロック音楽は、それまで彼らを縛り付けてきたものたちへの抵抗の象徴でもあった。経済成長を背景に、若者たちはさらなる変革を求めていた。
マスメディアが発達し、世界は急速に近くなり、国境は溶けていく。史上初の“国際的アイドル”が躍り出る舞台は整った。
ビートルズの魅力は、もちろんそのサウンドにある。時代に寄り添うポールの豊かな音楽性、時代の先を行くジョンの鋭い芸術性。二つの希有な才能が時に調和し、時に化学変化を起こしつつ、新しい音楽を次々生み出した。
「五番目のビートル」と言われたマネジャーらの洗練された経営戦略も、それまでは、ないものだった。台頭してきたテレビなど映像メディアも駆使してライブに観客を動員し、レコードを売りまくる――。現代に通じるものだ。ビートルズは、それまで辞書になかったものを、絶えず創造し続けた。
親から子へ、孫へ、聞き継がれ、歌い継がれた半世紀。長寿の秘訣は世界の音楽シーンが今も、ビートルズが残した“かたち”の中にあるからだろう。
ビートルズは色あせない。だが、その風格は古典の域だ。ジョンとジョージはこの世にいない。
ロンドン五輪の開会式で「ヘイ・ジュード」を歌ったポールは七十歳。閉会式に映像で登場したジョンと声を重ねて、僕らの“聖火”を受け継ぐ新しい世代よいでよ、創造者よ出てこいと、叫んでいるようにも見えた。
東京新聞の社説を私は注目して読んでいるが、他紙と違い極めてオーソドックスであり信頼性が高いからだ。
この8月14日の社説「ビートルズ50 年 僕らの歌を乗り越えろ」は、昭和38年に上京してきて、時代の変化を体現してきた私にとって、すばらしい一文である。読まれていない業界人各位にぜひ一読をと思い、ここに全文引用した。そして私なりに、これからの時代と は、と思いをはせ嘆息したのだった。