巻頭言

スポーツの力と国際公約

和田光征
WADA KOHSEI

2020年のオリンピック開催が東京に決まった。共に候補となったマドリードは経済危機にあり、イスタンブールは反政府デモ中で隣国は問題のシリアである。故に東京しか選択肢はないのではと思っていたが、やはり福島原発事故は強烈なマイナス要素である。事故の時、外国人達はアッという間に帰国してしまったことも記憶に新しい。その行動の素早さに驚いたが、それを普通であり、当たり前と考えているならば誘致にも暗雲が漂う。

日本オリンピック委員会の竹田会長は、記者会見で原発となると押し黙って答えようとはしなかった。プレゼンでの安倍総理の役回りと思いを秘めて、あえて答えなかったのだろう。そしてそれを物語るように、最後のプレゼンテーションは厳密で周到な戦略に裏打ちされていて見事で圧巻だった。石原、猪瀬東京都知事の成金的発言は私ばかりでなく多くの人達が眉をひそめたのではないだろうか。このこともシナリオの内だったのだろう。

最後のプレゼンで、スポーツに明るい高円宮妃久子様は国際オリンピック委員会の公用語であるフランス語と英語で心のプレゼンを高貴にさわやかに行い、オール日本を印象づけ安心感を植えつけた。そして、大震災の被災地・宮城県気仙沼出身の佐藤真海さんのプレゼンは、オリンピックを東京に引き寄せたのではと思う。

「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました」。アスリートだった佐藤さんは早稲田大学の2年生の時、病によって左脚の膝から下を切断した。絶望の底に打ちひしがれている時、義足でパラリンピックを目指す。現在、幅跳びの日本記録保持者である。

涙々として聞いている私。「スポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら5万人以上の子どもたちをインスパイアしています」。

「私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力を持つということです」。

この佐藤さんのプレゼンで単なる祭典でない、国威発揚のにおいのない、真のオリンピックの姿を見た思いがしたのである。

安倍総理が「原発事故はコントロールされている」と語り、「2020年には普通の美しい日本の姿で世界の人々をお迎えしたい」と語ったことは、最高責任者の国際公約として東京開催を決定づけたといえよう。この公約は日本国民に対する公約でもある。速やかに原発問題を収束させて、まず福島の人々、そして日本国民を安心安全へと誘って頂きたい。今まで以上に世界は注視しているのである。

思えば私が上京したのは1963年。東京オリンピックの前年であった。アルバイト先の窓から青い空ばかり見ていた。つまりオリンピックで興奮する余裕がなかったと言っていい。

ENGLISH