巻頭言
売り損じていないか
和田光征
WADA KOHSEI
白いイブニング用手袋を買いに来た中年の婦人客に女店員が一双売りました。それを見ていた老紳士が「君々、今は大変残念なことをしたね。手袋を売り損なって」。女店員は変な人だなと思いながら「今のお客様にはお買い上げいただきました。ご覧になりませんでした?」とプロの店員をつかまえて馬鹿にしているという顔をしました。
そこにまた婦人客が立ち止まってショーケースをのぞき込みました。老紳士「奥様、パーティー用の手袋でいらっしゃいますか? お宜しいのをお出ししましょう」「この頃、パーティーが多いものだから。そちらの白いものを見せて下さらない」。老紳士「このデザインはシンプルでどんな洋服にも合いますので、大変便利だと存じます」「そうね。それにしましょう」。
ここまでは女店員と同じです。老紳士は一旦包装台の方を向きましたがくるりと向き返って、「ところで奥様、このところパーティーシーズンですので、白い手袋は洗い替えをご用意されてはいかがでございましょうか?」「そういえば汚れてシミになることもあるわね。それでは2つくださいな」「ありがとうございます」。
老紳士はそれから手際よく包装し、「いつもごひいきにいただきましてありがとうございます。実は先ほどからお姿を拝見いたしておりまして、是非おすすめしたい手袋があるのですが、ご覧いただけますか」「どんなの?」。老紳士はシルバーグレイの手袋を出して、「この色は流行色でございますが、なかなかお似合いになる方がいらっしゃらず、おすすめする機会がございません。奥様でしたらよくお似合いになると存じまして、是非おすすめしたいと存じます」「きれいな色ね。私に似合うかしら」。老紳士「上品な色ですけれどセンスの良い方でないと似合いません。お鏡をご覧下さいませ。奥様にはよくお似合いです」。
結局、その手袋も婦人客は購入しました。老紳士は女店員に、「最初の手袋は販売したのではなく、お客様が買いに来られたものをお渡ししただけだ。次の2つの手袋こそ、販売したと言えるのです」。実はこの老紳士こそ、デパート王J・ワナメーカーだったのです。
つまり、販売を職とする人はいつもお客様の優位性を大切にしながら、能動的でなければならないということを教えているわけです。絶えず前向きで積極的な姿勢をもつことこそ、販売に対してやる気のある人にほかならないわけです。
現在はコンピューターによる管理で効率主義が徹底されていますから、お客様と話をすること自体無駄であるとの環境が一方であります。POSの弊害は、販売員がお客様にどう売ったのかということを覆い隠してしまう、そんなところがあるように思われます。
人の心を大切にした販売、それによる効率化こそ大切です。事実、あまりにも商品知識、応用力のない販売員が多すぎるといえましょう。業界の活性化のために、J・ワナメーカーの話を復唱したいと思います。