「G線上のアリア」や「ジムノペディ」など
クラシックの名曲にジャズのアレンジを効かせて − フルート奏者・工藤重典さんに訊く新アルバムの魅力
日本フルート界の第一人者・工藤重典さん。第2回パリ国際フルートコンクールと第1回ランパル国際フルートコンクールで優勝し、ソリストとして国内外の著名オーケストラと共演。またサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団の首席フルート奏者を務めるなど、ソロを中心に室内楽、オーケストラなど幅広く活躍されている。
そんな工藤さんの新アルバム「G線上のアリア〜フルート、ピアノ&ベースによるトリオ・セッション〜」が、e-onkyo musicにて96kHz/24bitで好評配信中だ。誰もが一度は耳にしたことがあるクラシックの名曲にジャズのエッセンスを加えた一作となっている。今回、工藤さんと、録音を担当したマイスター・ミュージックの平井義也さんにお話しをうかがった。
G線上のアリア〜フルート、ピアノ&ベースによるトリオ・セッション〜
・J.S. バッハ:G線上のアリア
・J.S. バッハ:プレリュード平均律クラヴィーア曲集第1巻より
・G. ビゼー:ハバネラ
・L. van ベートーヴェン:エリーゼのために
・F. シューベルト:セレナーデ
・F. ショパン:前奏曲 第4番作品28
・A. ドヴォルジャーク:交響曲 第9番『新世界より』第2楽章テーマ
・L. van ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ『月光』第1楽章
・E. サティ:ジムノペディ第1番
・ロンドンデリー・エア
・コンドルは飛んでいく
・さくら、さくら
◇ ◇ ◇
−−− 工藤さんはこれまで様々なアルバムをリリースされていらっしゃいますが、今回はクラシックの名曲をジャズアレンジした作品に挑戦されていますね。
工藤さん:クラシック奏者にとって、ジャズって憧れなんです。クラシックは楽譜に書いてあるものをいかに再現するかという“再現芸術”ですが、ジャズはいかに独創的な、誰も聴いたことがないアレンジでやるかが面白いところでしょう? 二度と同じ演奏はしないわけですよね。そこに、クラシック奏者としては非常に魅力を感じるんです。だから、少しでも仲間に入りたいな、というのがあって(笑)。
僕の先生のジャン=ピエール・ランパル(編集部註:20世紀最高と賞されるフルート奏者)も、クロード・ボリングというジャズピアニストとトリオを組んで非常に素晴らしいアルバムをリリースしていました。これはアメリカですごくヒットしたのですが、日本では「クラシック奏者がジャズをやるなんて考えられない」という風潮があって、あまりヒットしなかった。僕は当時フランスにいてそういう状況を見ていて、いつか日本でもジャズのアルバムをやってみたいなと思っていたんです。その夢が、今回叶ったという感じですね。
−−− バッハの「G線上のアリア」やドヴォルザークの「交響曲第9番『新世界より』第2楽章のテーマ」など、クラシックファンでなくても一度は聴いたことのある曲が満載ですね。でも、馴染みのある曲だからこそ、”アレンジする”というのは難しかったのではないかと思うのですが?
工藤さん:そうですね。スタークはバリバリのジャズピアニストですが、もともとジュリアード音楽院の作曲科出身で、クラシックにも造詣が深いんです。実はジャズマンってルーツにクラシック音楽を持っている人は多いんですよ。そんな彼だからこそできた、クラシックの要素を取り入れたジャズ風アレンジになっています。そこが今回の新アルバムの面白さですね。
クラシックの演奏会で『新世界より』を聴くとなったら、あんまり気軽に気楽に聴くという感じではなくなりますよね。でもこの新アルバムは、リラックスしてお酒でも飲みつつ聴きながら「あっ、これ『新世界より』だね!」となったときの喜びを感じてもらうのが狙いなんですよ。『G線上のアリア』も、バッハの名曲を途中からジャズ調に変えていくというセンスは、スタークでなければ書けなかったかも知れません。
−−− 確かに、『G線上のアリア』は、冒頭は原曲そのままなのに、ガラッとジャズに変わるという曲調のコントラストが面白かったです。
工藤さん:本当のジャズファンは「なにこれクラシックじゃない?」と言う人もいると思います。でも僕のファンの方は殆どクラシック愛好家なので、そういう方達にリラックスして聴いてもらうためのアルバムなんですね。僕が本当のジャズをやろうと真似しても相手にされないと思うから(笑)、こういうクラシカルな曲を“ジャズ風”にアレンジして、クラシックファンがリラックスして聴いてもらえるアルバムを目指しました。
−−− ジャズ“風”と言っても、クラシックの曲を演奏する時との感覚の違いはきっとありますよね。
工藤さん:クラシック音楽を演奏するときは、一音一音ものすごく注意しながら演奏しています。音程やフレーズ、アンサンブル…ちょっとでも乱れると、すぐ分かりますから。そういう世界からしたら、ジャズは憧れの世界です。色々な音楽のなかでも芸術性の高いものだと思うし、求められる技術が違うのでなかなか入り込めない分野なんですよ。今回のアレンジは即興的に聞こえるんですが、実はこれ、全部譜面に起こしてあるんです。僕はそれを、気持ちだけはジャズマンになったつもりで譜面通り吹いているというわけです。
音楽的には、こういう風にフレーズをつけたいとか、こういう風に吹きたいというのは僕の音楽性であって、ジャズマンを真似しているわけでは全くないです。クラシックとして感じているかジャズとして感じているかは分からないけれど、スタークが書いてくれた音楽を、自分が感じるまま、吹いています。クラシック風に留まっている部分もあるかも知れないけれど、意外にジャズ風にできてる、みたいなところもあると思います。そういった点も未知の世界ですよね、僕にとっては。
今回このアルバムをやってみたことで、リラックスして演奏するってこういうことなんだって分かった点も良かったですね。クラシックを演奏する時も、今回の経験が生きるなと思いました。
−−− クラシックでも、ベートーヴェンといったドイツものはカッチリやらないといけないイメージがありますが、以前演奏されていたハチャトゥリアンのフルート協奏曲などは、自由に吹く感じの曲なのかなと思っていたのですが。
工藤さん:自由にやるということは無いですよ。自由に聞こえるように、音楽が自分の体に染みこんでいますけれど。音楽というのは同じ譜面を使っているから10人とも同じ演奏になるかと言ったらそうではない。楽譜に書いてあるメッセージ − レシピみたいなものですね − を読み取って、作ってみたら味が全部違う訳ですよね。だけど、余計なものを入れてはいけないし、抜いてもいけない。伝統的な料理は、必ず書いてあるとおりに作らなければいけない。それと楽譜は、僕は同じだと思います。その人のセンスでいくらでも味が変わる。演奏もそうなんですよね。
−−− 楽譜に込められたメッセージというと、「どの楽器で演奏するか」というのもメッセージのひとつですよね。今回の曲はどれも元々フルートのために書かれた曲ではありません。楽器が変わると、曲の雰囲気も変わると思います。多くの方に愛される原曲の良さを残しつつ、”フルートで演奏する意味”を持たせるというのは、とても難しかったのではないかと思うのですが、どういうことが重要だと感じていらっしゃいましたか?
工藤さん:それこそ「音楽」なんですよ。楽器が何であれ、音楽的に聞こえなければ聴き手はつまらないですよね。原曲がピアノだからピアノで演奏すれば何でもいいという訳ではないし、チェロでやった演奏を聴いたときの方が感動した…なんてこともあるわけで。何の楽器で演奏するか、というよりも、演奏家の音楽性の問題だと思うんです。ただ、構造的にその楽器ではできないというものもありますよね。例えばピアノは打鍵楽器なので音が必ず減衰するから、サン=サーンスの「白鳥」みたいな、音を長く伸ばすメロディーを演奏しようとしたらお話にならない、とか。
一番難しいのは、各楽器の技術ではない部分…音楽だけが凝縮された、エッセンスの部分を表現することだと思います。勉強したり研究したりしないと、良いですねなんて誰も言ってくれないですよ。最終的にはそういう領域に到達したいと思っています。
−−− そのエッセンスである「音楽性」というのは、どんなもので、どこに宿っていて、どういったところを読み取るのでしょうか?
工藤さん:良い料理を作りたければ、良い料理を食べるしかない。良い音楽をするには、良い音楽を聴くことです。全ての分野の最高の音楽を聴くことで、分かってくると思います。普段不味い料理しか食べていない人が、美味しい料理を作ろうとしても難しいでしょう。良い料理って、仕込みも入念だし、作り手の技術も高いし、大変な手間をかけて作られているんです。僕は音楽も同じだと思います。美味しいと思って貰える演奏をするには、勉強と研究を重ねて同じ道を歩まなければならないんですね。
◇ ◇ ◇
−−− 今回のレコーディングはどのように行われたのでしょうか?
平井さん:今回は、横須賀芸術劇場の小ホール「ヨコスカ・ベイサイド・ポケット」でレコーディングを行いました。ここは舞台が可動式なので、客席よりも舞台が低くなるようなセッティングにし、サウンドを逃がさないようにしました。
ジャズ的な録音というと、本来はプレイヤーごとにマイクを立てるものですが、マイスターミュージックの持ち味はワンポイント録音。マイクの周りに3人で並んでもらいました。
今回はクラシックとジャズを融合させたアルバムですが、ジャズ風の部分は歯切れ良い音が欲しいし、クラシックの部分は流れるような響きが欲しい…そのどちらも両立できるようなマイクセッティングを行いました。曲によって全て、マイクセッティングは変えています。
工藤さん:だから、生で聴いている感じですよね。変な調整などをしていないし、自然ですよね。調整してしまうとどうしても人工的になりますからね。オーケストラの録音でも、木管のソロになるといきなり音が大きくなる音源とかありますしね(笑)。
平井さん:昔のジャズの録音を聴いていると、早いパッセージの部分や全員でアンサンブルしているときはいいけれど、プレーヤーが減ったときに音がすごく寂しくなってしまうものがあるんですよね。こういう録音もマイク1本でやっていたんですけど、ワンポイント録音でも、ある程度雰囲気がないとね…と思ってます。
−−− では実際に音源を聴いていただきましょう。同じ曲を、最初はCDで、その次にハイレゾを。では「G線上のアリア」を。
◇ ◇ ◇
−−− いかがでしたでしょうか?
工藤さん:まず「音質」が違いますね。あとは、誇張した言い方になるけれども、三次元的な立体感のある音がするなと感じました。もうひとつスピーカーが増えたような感じというか、ハイレゾと比べると、CDはだいぶ平面的ですよね。ステレオ感が違うし、空間の広がり感もありますね。なんでこんなに違うんだろう。5chとかマルチチャンネルにしないと感じないようなものを、ハイレゾは2chで聴いて感じることができたなと思った。驚きましたね。
人間の耳はいろんな方向の音を聴いているので、スピーカーって2chじゃ足りないと思うんですよ。5chでもほんとは足りないくらいじゃないかと思っている。僕はホールを借りて楽器のテストをよくやるんですが、後で録音を聴くと、その場で聴いていた印象とまるで違ったりするんですよね。Bの楽器が最高に良かった、Aの楽器はいいけど少し音の広がり感が少ないな…と思っていたら、録音を聴いたら逆だったり。それって、広がりを作っていた音がマイクに入っていないんですよね。こういうのが難しくてね…録っている機械も普通のデジタルの機械ですから、もっと細かい、5chくらいで録るとかすればいいのか、よく分からないですけど…。
−−− 販売する音源で考えれば、どういう部分の音を録るかというのがクオリティの差になるわけですから、難しいですよね。
平井さん:そうですね。僕は、音を録っているのではなく、バッハやドヴォルザークといった「音楽」を録りたい、と思ってやっています。バッハならバッハ、ショパンならショパンの雰囲気に合った音で録りたいんです。極端な話、楽器の前にマイクを置けば音は録れるんですよ。でも、それだけでバッハなどのイメージが出てくるかというと、そうは行かないんです。
−−− 今回のアルバムだと色々な作曲家の曲が入っているので、マイキングもそれぞれ変えているんですよね。
平井さん:そうですね、若干変わりますね。工藤さんとスタークさんのふたりのオブリガートのときは、若干変えています。マイクを少し(30cmとか20cmとか)下げるか上げるか…それでも音が全然変わるんです。マイクを下げると低音がクリアになり、上げると低音が入ってくるのが大きくなるんです。
工藤さん:それで音楽が随分変わりますよね。「音楽」を録ることで、メッセージが強く伝わるから、そこはとても大事なところですよね。僕ら演奏家の立場からはなかなか分からない、経験と技術の賜物だと思います。いかに「音楽」を録るかが、そのレーベルの持つ味ということなんでしょうね。そういう点で、一定の評価を得ているマイスターミュージックのようなレーベルは、やっぱりすごいですよね。
それと、コンサート会場では必ずしも理想の音がする席を取れるとは限りませんが、録音されたものというのは、それをきけるというのがメリットだと思います。今回のアルバムにしても、こういう風に聞こえるのが理想なのかも知れない。それを提供できるというのは幸せなことですね。
−−− ありがとうございました。
そんな工藤さんの新アルバム「G線上のアリア〜フルート、ピアノ&ベースによるトリオ・セッション〜」が、e-onkyo musicにて96kHz/24bitで好評配信中だ。誰もが一度は耳にしたことがあるクラシックの名曲にジャズのエッセンスを加えた一作となっている。今回、工藤さんと、録音を担当したマイスター・ミュージックの平井義也さんにお話しをうかがった。
G線上のアリア〜フルート、ピアノ&ベースによるトリオ・セッション〜
・J.S. バッハ:プレリュード平均律クラヴィーア曲集第1巻より
・G. ビゼー:ハバネラ
・L. van ベートーヴェン:エリーゼのために
・F. シューベルト:セレナーデ
・F. ショパン:前奏曲 第4番作品28
・A. ドヴォルジャーク:交響曲 第9番『新世界より』第2楽章テーマ
・L. van ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ『月光』第1楽章
・E. サティ:ジムノペディ第1番
・ロンドンデリー・エア
・コンドルは飛んでいく
・さくら、さくら
−−− 工藤さんはこれまで様々なアルバムをリリースされていらっしゃいますが、今回はクラシックの名曲をジャズアレンジした作品に挑戦されていますね。
工藤さん:クラシック奏者にとって、ジャズって憧れなんです。クラシックは楽譜に書いてあるものをいかに再現するかという“再現芸術”ですが、ジャズはいかに独創的な、誰も聴いたことがないアレンジでやるかが面白いところでしょう? 二度と同じ演奏はしないわけですよね。そこに、クラシック奏者としては非常に魅力を感じるんです。だから、少しでも仲間に入りたいな、というのがあって(笑)。
僕の先生のジャン=ピエール・ランパル(編集部註:20世紀最高と賞されるフルート奏者)も、クロード・ボリングというジャズピアニストとトリオを組んで非常に素晴らしいアルバムをリリースしていました。これはアメリカですごくヒットしたのですが、日本では「クラシック奏者がジャズをやるなんて考えられない」という風潮があって、あまりヒットしなかった。僕は当時フランスにいてそういう状況を見ていて、いつか日本でもジャズのアルバムをやってみたいなと思っていたんです。その夢が、今回叶ったという感じですね。
−−− バッハの「G線上のアリア」やドヴォルザークの「交響曲第9番『新世界より』第2楽章のテーマ」など、クラシックファンでなくても一度は聴いたことのある曲が満載ですね。でも、馴染みのある曲だからこそ、”アレンジする”というのは難しかったのではないかと思うのですが?
工藤さん:そうですね。スタークはバリバリのジャズピアニストですが、もともとジュリアード音楽院の作曲科出身で、クラシックにも造詣が深いんです。実はジャズマンってルーツにクラシック音楽を持っている人は多いんですよ。そんな彼だからこそできた、クラシックの要素を取り入れたジャズ風アレンジになっています。そこが今回の新アルバムの面白さですね。
クラシックの演奏会で『新世界より』を聴くとなったら、あんまり気軽に気楽に聴くという感じではなくなりますよね。でもこの新アルバムは、リラックスしてお酒でも飲みつつ聴きながら「あっ、これ『新世界より』だね!」となったときの喜びを感じてもらうのが狙いなんですよ。『G線上のアリア』も、バッハの名曲を途中からジャズ調に変えていくというセンスは、スタークでなければ書けなかったかも知れません。
−−− 確かに、『G線上のアリア』は、冒頭は原曲そのままなのに、ガラッとジャズに変わるという曲調のコントラストが面白かったです。
工藤さん:本当のジャズファンは「なにこれクラシックじゃない?」と言う人もいると思います。でも僕のファンの方は殆どクラシック愛好家なので、そういう方達にリラックスして聴いてもらうためのアルバムなんですね。僕が本当のジャズをやろうと真似しても相手にされないと思うから(笑)、こういうクラシカルな曲を“ジャズ風”にアレンジして、クラシックファンがリラックスして聴いてもらえるアルバムを目指しました。
−−− ジャズ“風”と言っても、クラシックの曲を演奏する時との感覚の違いはきっとありますよね。
工藤さん:クラシック音楽を演奏するときは、一音一音ものすごく注意しながら演奏しています。音程やフレーズ、アンサンブル…ちょっとでも乱れると、すぐ分かりますから。そういう世界からしたら、ジャズは憧れの世界です。色々な音楽のなかでも芸術性の高いものだと思うし、求められる技術が違うのでなかなか入り込めない分野なんですよ。今回のアレンジは即興的に聞こえるんですが、実はこれ、全部譜面に起こしてあるんです。僕はそれを、気持ちだけはジャズマンになったつもりで譜面通り吹いているというわけです。
音楽的には、こういう風にフレーズをつけたいとか、こういう風に吹きたいというのは僕の音楽性であって、ジャズマンを真似しているわけでは全くないです。クラシックとして感じているかジャズとして感じているかは分からないけれど、スタークが書いてくれた音楽を、自分が感じるまま、吹いています。クラシック風に留まっている部分もあるかも知れないけれど、意外にジャズ風にできてる、みたいなところもあると思います。そういった点も未知の世界ですよね、僕にとっては。
今回このアルバムをやってみたことで、リラックスして演奏するってこういうことなんだって分かった点も良かったですね。クラシックを演奏する時も、今回の経験が生きるなと思いました。
−−− クラシックでも、ベートーヴェンといったドイツものはカッチリやらないといけないイメージがありますが、以前演奏されていたハチャトゥリアンのフルート協奏曲などは、自由に吹く感じの曲なのかなと思っていたのですが。
工藤さん:自由にやるということは無いですよ。自由に聞こえるように、音楽が自分の体に染みこんでいますけれど。音楽というのは同じ譜面を使っているから10人とも同じ演奏になるかと言ったらそうではない。楽譜に書いてあるメッセージ − レシピみたいなものですね − を読み取って、作ってみたら味が全部違う訳ですよね。だけど、余計なものを入れてはいけないし、抜いてもいけない。伝統的な料理は、必ず書いてあるとおりに作らなければいけない。それと楽譜は、僕は同じだと思います。その人のセンスでいくらでも味が変わる。演奏もそうなんですよね。
−−− 楽譜に込められたメッセージというと、「どの楽器で演奏するか」というのもメッセージのひとつですよね。今回の曲はどれも元々フルートのために書かれた曲ではありません。楽器が変わると、曲の雰囲気も変わると思います。多くの方に愛される原曲の良さを残しつつ、”フルートで演奏する意味”を持たせるというのは、とても難しかったのではないかと思うのですが、どういうことが重要だと感じていらっしゃいましたか?
工藤さん:それこそ「音楽」なんですよ。楽器が何であれ、音楽的に聞こえなければ聴き手はつまらないですよね。原曲がピアノだからピアノで演奏すれば何でもいいという訳ではないし、チェロでやった演奏を聴いたときの方が感動した…なんてこともあるわけで。何の楽器で演奏するか、というよりも、演奏家の音楽性の問題だと思うんです。ただ、構造的にその楽器ではできないというものもありますよね。例えばピアノは打鍵楽器なので音が必ず減衰するから、サン=サーンスの「白鳥」みたいな、音を長く伸ばすメロディーを演奏しようとしたらお話にならない、とか。
一番難しいのは、各楽器の技術ではない部分…音楽だけが凝縮された、エッセンスの部分を表現することだと思います。勉強したり研究したりしないと、良いですねなんて誰も言ってくれないですよ。最終的にはそういう領域に到達したいと思っています。
−−− そのエッセンスである「音楽性」というのは、どんなもので、どこに宿っていて、どういったところを読み取るのでしょうか?
工藤さん:良い料理を作りたければ、良い料理を食べるしかない。良い音楽をするには、良い音楽を聴くことです。全ての分野の最高の音楽を聴くことで、分かってくると思います。普段不味い料理しか食べていない人が、美味しい料理を作ろうとしても難しいでしょう。良い料理って、仕込みも入念だし、作り手の技術も高いし、大変な手間をかけて作られているんです。僕は音楽も同じだと思います。美味しいと思って貰える演奏をするには、勉強と研究を重ねて同じ道を歩まなければならないんですね。
−−− 今回のレコーディングはどのように行われたのでしょうか?
平井さん:今回は、横須賀芸術劇場の小ホール「ヨコスカ・ベイサイド・ポケット」でレコーディングを行いました。ここは舞台が可動式なので、客席よりも舞台が低くなるようなセッティングにし、サウンドを逃がさないようにしました。
ジャズ的な録音というと、本来はプレイヤーごとにマイクを立てるものですが、マイスターミュージックの持ち味はワンポイント録音。マイクの周りに3人で並んでもらいました。
今回はクラシックとジャズを融合させたアルバムですが、ジャズ風の部分は歯切れ良い音が欲しいし、クラシックの部分は流れるような響きが欲しい…そのどちらも両立できるようなマイクセッティングを行いました。曲によって全て、マイクセッティングは変えています。
工藤さん:だから、生で聴いている感じですよね。変な調整などをしていないし、自然ですよね。調整してしまうとどうしても人工的になりますからね。オーケストラの録音でも、木管のソロになるといきなり音が大きくなる音源とかありますしね(笑)。
平井さん:昔のジャズの録音を聴いていると、早いパッセージの部分や全員でアンサンブルしているときはいいけれど、プレーヤーが減ったときに音がすごく寂しくなってしまうものがあるんですよね。こういう録音もマイク1本でやっていたんですけど、ワンポイント録音でも、ある程度雰囲気がないとね…と思ってます。
−−− では実際に音源を聴いていただきましょう。同じ曲を、最初はCDで、その次にハイレゾを。では「G線上のアリア」を。
−−− いかがでしたでしょうか?
工藤さん:まず「音質」が違いますね。あとは、誇張した言い方になるけれども、三次元的な立体感のある音がするなと感じました。もうひとつスピーカーが増えたような感じというか、ハイレゾと比べると、CDはだいぶ平面的ですよね。ステレオ感が違うし、空間の広がり感もありますね。なんでこんなに違うんだろう。5chとかマルチチャンネルにしないと感じないようなものを、ハイレゾは2chで聴いて感じることができたなと思った。驚きましたね。
人間の耳はいろんな方向の音を聴いているので、スピーカーって2chじゃ足りないと思うんですよ。5chでもほんとは足りないくらいじゃないかと思っている。僕はホールを借りて楽器のテストをよくやるんですが、後で録音を聴くと、その場で聴いていた印象とまるで違ったりするんですよね。Bの楽器が最高に良かった、Aの楽器はいいけど少し音の広がり感が少ないな…と思っていたら、録音を聴いたら逆だったり。それって、広がりを作っていた音がマイクに入っていないんですよね。こういうのが難しくてね…録っている機械も普通のデジタルの機械ですから、もっと細かい、5chくらいで録るとかすればいいのか、よく分からないですけど…。
−−− 販売する音源で考えれば、どういう部分の音を録るかというのがクオリティの差になるわけですから、難しいですよね。
平井さん:そうですね。僕は、音を録っているのではなく、バッハやドヴォルザークといった「音楽」を録りたい、と思ってやっています。バッハならバッハ、ショパンならショパンの雰囲気に合った音で録りたいんです。極端な話、楽器の前にマイクを置けば音は録れるんですよ。でも、それだけでバッハなどのイメージが出てくるかというと、そうは行かないんです。
−−− 今回のアルバムだと色々な作曲家の曲が入っているので、マイキングもそれぞれ変えているんですよね。
平井さん:そうですね、若干変わりますね。工藤さんとスタークさんのふたりのオブリガートのときは、若干変えています。マイクを少し(30cmとか20cmとか)下げるか上げるか…それでも音が全然変わるんです。マイクを下げると低音がクリアになり、上げると低音が入ってくるのが大きくなるんです。
工藤さん:それで音楽が随分変わりますよね。「音楽」を録ることで、メッセージが強く伝わるから、そこはとても大事なところですよね。僕ら演奏家の立場からはなかなか分からない、経験と技術の賜物だと思います。いかに「音楽」を録るかが、そのレーベルの持つ味ということなんでしょうね。そういう点で、一定の評価を得ているマイスターミュージックのようなレーベルは、やっぱりすごいですよね。
それと、コンサート会場では必ずしも理想の音がする席を取れるとは限りませんが、録音されたものというのは、それをきけるというのがメリットだと思います。今回のアルバムにしても、こういう風に聞こえるのが理想なのかも知れない。それを提供できるというのは幸せなことですね。
−−− ありがとうございました。