“192/24はチェロの音には合わない”理由とは?
溝口肇さんに訊く大ヒットアルバム『Cello bouquet』ー 5.6MHz DSDは「自分の目指す音に近い」
e-onkyo musicの売上総合ランキングで数週間にわたり1位を獲得するなど、大ヒットを飛ばしている溝口肇さんのアルバム『Cello bouquet』。『世界の車窓から』テーマ曲など誰もが聴いたことのある名曲たちをチェロのあたたかな音色で楽しめる本作は、5.6MHz DSDで録音した音をほぼそのままのかたちで配信している点も注目を集めている。
アーティストとして鍛え抜かれた耳を持つとともに、スピーカーの自作やアナログレコードを愛する溝口肇さん。こだわりを詰め込んだ本アルバムについてお話しをうかがった。
ーー大ヒット中の『Cello bouquet』、溝口さんの自社レーベルから登場する初の作品ですね。
溝口さん:4年ほど前から、チェロクインテット(五重奏)でコンサートなど演奏活動を行っていました。自分の事務所を立ち上げた際、自社レーベルからチェロクインテットのアルバムを出したいなと考え、発売が決まりました。
ーー代表作のひとつでもある『世界の車窓から』テーマ曲のチェロ五重奏版をはじめ、『亜麻色の髪の乙女』『白鳥』、はたまた『Purple Haze』等20世紀ロックの名曲メドレーなど、誰もが聴いたことのある曲が収められていますね。
溝口さん:このアルバムは、聴きやすいものにしたかったんです。僕自身も難しいことが嫌いなので(笑)、カバー曲を中心に、チェロの魅力が伝わるような楽曲を選んでいます。なるべく聴きやすく、聞き流せもするし、じっくり聴いても貰える内容を目指しました。
ーー『Cello bouquet』は録音にこだわっていらっしゃるのも特徴ですね。コルグの「Clarity」を使った5.6MHz DSDで録音。e-onkyo musicでは5.6MHz音源の配信もされています。
溝口さん:僕がデビューした1986年というのは、ちょうどCDが発売になってすぐのころ。録音もデジタルに移行しようとしていたときでした。デジタル録音された自分のチェロの音を聴いて「こんなもんかなあ…」という感じが、どうしても残っていたんです。音が詰まってしまうというか、自分ってこんな音しか出していないのかなあ…と。
でも、2012年にソニー時代のベスト盤を出す際にDSD録音をしてみた時、自分のイメージしている音に近くて、すごく音が良いなと思ったんです。やっぱりDSDって良いんだなあと。アナログで録った音に近いなと思います。
今回のレコーディングは、余計なものをそぎ落として、レコーダー2台(うち1台はバックアップ用)、マイク2本(DPA「4003」)というシンプルなセッティングで行いました。マイク2本での録音はすごく大変ですが、後でやることがないじゃないですか。4本も6本も立てていると、それをアナログに戻してミックスしたりDSDに変換したりなんだかんだと手を加えなければいけない。それが、嫌だったんです。なので本当にシンプルにやろうと思ったんですね。
チェロという楽器の音を良い音で録るにはホールがいいだろうということで、場所は白寿ホールを。音が良いと評判の高いホールですし、収容人数300席という規模感もちょうど良かった。大きなホール全体を鳴らすには、演奏家もすごく“頑張らないと”いけないんです。でもこのくらいだと、無理なく弾けるし、ステージ上にも客席と同じような響きが返ってくるので演奏していても楽しい。楽しいって、演奏家にとって大切な要素なんですよね。5人のアンサンブルをつくる上でも、演奏しやすさは大事でした。
でも、ホール録音はエンジニアのスキルが非常に求められる。一発録音だし、スタジオのように録り直しができるわけではないので演奏家のスキルも求められます。
ーーマイクのセッティングも何度も変えたりして試行錯誤を繰り返したそうですね。
溝口さん:今回は、僕がデビュー当時から非常にお世話になっているエンジニアの鈴木智雄さんに録音をお願いしました。DSDで録った音というのは、マイクの高さをほんの5cm変えただけでも分かってしまうくらいのものなので、セッティングの微調整が大変なんです。セッティングを決めたあとは、柔らかくふわっと鳴らしたいときは5人が全体的に広がったり、リズムがしっかりした曲は逆にぎゅっと集まって演奏したりと、ステージ上の配置を変えました。それも音に如実に出てくるので面白かったです。
ーーそんな風にいろいろ変えていたんですね! そういった音の違いを、DSDで聴いて感じ取るのも面白そうです。録音の際にはコルグのClarityを使ったそうですが、これを選んだ理由はどんなものだったのでしょうか?
溝口さん:DSDで録音するにあたって、一番懸念していたのが「編集」でした。1bitで録音したものは、データに時間軸の番地がない状態ですから切り貼りができない。じゃあDSDで編集するときはどうしているのだろう…と訊いたら、編集ポイントでクロスをかけるときにそこだけPCMに変換してつなげ、またDSDに戻しているとのことで。それを聞いて、せっかくPCMから離れようとしているのになあと何だか嫌な感じがしたんです。
以前のDSDレコーディングの時に、PCMに変換してコンプレッサーやEQを掛けるとすごく音が悪くなるなと思ったんですね。その経験があったので、PCMに戻すのは嫌だった。そう思っていたときに、コルグの方にClarityを紹介していただいたんです。Clarityは編集ポイントでいったんPCMにしたときも周波数5.6MHzのまま動かしているとのことで、それだったらいいんじゃないか、と。一回PCMになるとは言えほんの0.05〜0.1秒くらいのことですし、周波数も落とさずに作業できるなら大丈夫だろうと考えました。
5.6MHz DSDの音源は、編集を数カ所しただけでマスタリングはしていません。一応EQをつけたものも作ってみたのですが、聞き比べると断然生データの方が良かったです。マスタリングをしていないので、「聞きやすさ」はPCMの方があるかも知れません。ですが、5.6MHz DSDの音は、僕はとても好きな音なんです。
ーーその場で録ったいちばん良い音を、そのまま楽しめるというわけですね。『Cello bouquet』は5.6MHzと2.8MHzのDSDのほか、96kHz/24bitと48kHz/24bitのPCM、そしてCDでも用意されていますね。
溝口さん:マスタリングはStudio Dedeの吉川昭仁さんにお願いしました。DSDの音をいかに殺さずにPCMにまとめるか、というのはとても難しかったみたいです。少しEQを入れると、全体が崩れていくんですね。今回はホールの空間を録っているので特に難しかったんだと思います。バランスが崩れないように、しかも、CDでも聴きやすいように整えていくのは本当に大変だったそうです。マスタリングには2日間も掛かったんですよ。
ーーこちらで公開されている「レコーディング日記」(関連記事)で、“192kHz/24bitはチェロの音には合わない”と書いていらっしゃったのが、非常に興味深かったのですが…これはどんな理由なのでしょうか?
溝口さん:なんだかうるさく感じるというか…キンキンするように思うんです。今回マスタリングの際、DSD 5.6MHzのデータをアナログ出力してPCM 192kHz/24bitに変換してみる、という試みをしたのですが、それでもやっぱりダメでした。これは吉川さんも同じ感想でしたね。こう…落ち着かないね、と。一方96kHz/24bitは相性がとても良いと感じます。
ーー192kHz/24bitの方が、データ量が多いわけですから、より生音に近くて良い音になるのではと思ってしまうのですが、必ずしもそうだとは言い切れないのですね。
溝口さん:もちろん、192kHz/24bitの音が好きな人もいると思います。個人的な趣味の問題ですね。
ーーアーティストの立場から、ハイレゾ配信についてどう感じるか教えていただけますか?
溝口さん:僕はたまたま自分で音源制作から録音までしますが、演奏家にとってやはり「良い音で録れる」というのはとても大事なことです。コルグのMR-2000Sのように、個人でも手が出せる性能の良い機械が存在する現在は、プロとコンシューマーが同じ機械を使える時代。でも「高品位な音」を録ろうとすると、全てにおいて「プロの出番」になってくるんですよね。たとえば、マイクの本数が増えると響きが増えて気持ちいい音になる…と思ってしまいますが、チェロの音の芯はなくなってしまう。そういったことの見極めができるのが、プロなんです。プロの力量を発揮できる部分ができて、みんな喜ぶんじゃないでしょうか。
それから演奏者側としてですが、今までは「後の処理でどうにかなるや」という意識があったので録音のとき緊張感があんまりなかったんですよ。それはそれで、伸びやかな演奏ができていい部分もあるのですが、DSDの“ほぼ一発録り”というスタイルの登場で、ライブのような緊張感というのが、録音にもまた戻ってくるんじゃないかなあと思います。
ーー今回は有り難うございました!
(インタビュー/構成:ファイル・ウェブ編集部:小澤麻実)
アーティストとして鍛え抜かれた耳を持つとともに、スピーカーの自作やアナログレコードを愛する溝口肇さん。こだわりを詰め込んだ本アルバムについてお話しをうかがった。
Cello Bouquet/溝口肇 http://www.e-onkyo.com/music/album/grml001/ 48kHz/24bit WAV/FLAC…¥2,800 96kHz/24bit WAV/FLAC…¥3,000 DSF 2.8MHz/1bit…¥3,500 DSF 5.6MHz/1bit…¥4,000 |
ーー大ヒット中の『Cello bouquet』、溝口さんの自社レーベルから登場する初の作品ですね。
溝口さん:4年ほど前から、チェロクインテット(五重奏)でコンサートなど演奏活動を行っていました。自分の事務所を立ち上げた際、自社レーベルからチェロクインテットのアルバムを出したいなと考え、発売が決まりました。
ーー代表作のひとつでもある『世界の車窓から』テーマ曲のチェロ五重奏版をはじめ、『亜麻色の髪の乙女』『白鳥』、はたまた『Purple Haze』等20世紀ロックの名曲メドレーなど、誰もが聴いたことのある曲が収められていますね。
溝口さん:このアルバムは、聴きやすいものにしたかったんです。僕自身も難しいことが嫌いなので(笑)、カバー曲を中心に、チェロの魅力が伝わるような楽曲を選んでいます。なるべく聴きやすく、聞き流せもするし、じっくり聴いても貰える内容を目指しました。
ーー『Cello bouquet』は録音にこだわっていらっしゃるのも特徴ですね。コルグの「Clarity」を使った5.6MHz DSDで録音。e-onkyo musicでは5.6MHz音源の配信もされています。
溝口さん:僕がデビューした1986年というのは、ちょうどCDが発売になってすぐのころ。録音もデジタルに移行しようとしていたときでした。デジタル録音された自分のチェロの音を聴いて「こんなもんかなあ…」という感じが、どうしても残っていたんです。音が詰まってしまうというか、自分ってこんな音しか出していないのかなあ…と。
でも、2012年にソニー時代のベスト盤を出す際にDSD録音をしてみた時、自分のイメージしている音に近くて、すごく音が良いなと思ったんです。やっぱりDSDって良いんだなあと。アナログで録った音に近いなと思います。
今回のレコーディングは、余計なものをそぎ落として、レコーダー2台(うち1台はバックアップ用)、マイク2本(DPA「4003」)というシンプルなセッティングで行いました。マイク2本での録音はすごく大変ですが、後でやることがないじゃないですか。4本も6本も立てていると、それをアナログに戻してミックスしたりDSDに変換したりなんだかんだと手を加えなければいけない。それが、嫌だったんです。なので本当にシンプルにやろうと思ったんですね。
チェロという楽器の音を良い音で録るにはホールがいいだろうということで、場所は白寿ホールを。音が良いと評判の高いホールですし、収容人数300席という規模感もちょうど良かった。大きなホール全体を鳴らすには、演奏家もすごく“頑張らないと”いけないんです。でもこのくらいだと、無理なく弾けるし、ステージ上にも客席と同じような響きが返ってくるので演奏していても楽しい。楽しいって、演奏家にとって大切な要素なんですよね。5人のアンサンブルをつくる上でも、演奏しやすさは大事でした。
でも、ホール録音はエンジニアのスキルが非常に求められる。一発録音だし、スタジオのように録り直しができるわけではないので演奏家のスキルも求められます。
ーーマイクのセッティングも何度も変えたりして試行錯誤を繰り返したそうですね。
溝口さん:今回は、僕がデビュー当時から非常にお世話になっているエンジニアの鈴木智雄さんに録音をお願いしました。DSDで録った音というのは、マイクの高さをほんの5cm変えただけでも分かってしまうくらいのものなので、セッティングの微調整が大変なんです。セッティングを決めたあとは、柔らかくふわっと鳴らしたいときは5人が全体的に広がったり、リズムがしっかりした曲は逆にぎゅっと集まって演奏したりと、ステージ上の配置を変えました。それも音に如実に出てくるので面白かったです。
ーーそんな風にいろいろ変えていたんですね! そういった音の違いを、DSDで聴いて感じ取るのも面白そうです。録音の際にはコルグのClarityを使ったそうですが、これを選んだ理由はどんなものだったのでしょうか?
溝口さん:DSDで録音するにあたって、一番懸念していたのが「編集」でした。1bitで録音したものは、データに時間軸の番地がない状態ですから切り貼りができない。じゃあDSDで編集するときはどうしているのだろう…と訊いたら、編集ポイントでクロスをかけるときにそこだけPCMに変換してつなげ、またDSDに戻しているとのことで。それを聞いて、せっかくPCMから離れようとしているのになあと何だか嫌な感じがしたんです。
以前のDSDレコーディングの時に、PCMに変換してコンプレッサーやEQを掛けるとすごく音が悪くなるなと思ったんですね。その経験があったので、PCMに戻すのは嫌だった。そう思っていたときに、コルグの方にClarityを紹介していただいたんです。Clarityは編集ポイントでいったんPCMにしたときも周波数5.6MHzのまま動かしているとのことで、それだったらいいんじゃないか、と。一回PCMになるとは言えほんの0.05〜0.1秒くらいのことですし、周波数も落とさずに作業できるなら大丈夫だろうと考えました。
5.6MHz DSDの音源は、編集を数カ所しただけでマスタリングはしていません。一応EQをつけたものも作ってみたのですが、聞き比べると断然生データの方が良かったです。マスタリングをしていないので、「聞きやすさ」はPCMの方があるかも知れません。ですが、5.6MHz DSDの音は、僕はとても好きな音なんです。
ーーその場で録ったいちばん良い音を、そのまま楽しめるというわけですね。『Cello bouquet』は5.6MHzと2.8MHzのDSDのほか、96kHz/24bitと48kHz/24bitのPCM、そしてCDでも用意されていますね。
溝口さん:マスタリングはStudio Dedeの吉川昭仁さんにお願いしました。DSDの音をいかに殺さずにPCMにまとめるか、というのはとても難しかったみたいです。少しEQを入れると、全体が崩れていくんですね。今回はホールの空間を録っているので特に難しかったんだと思います。バランスが崩れないように、しかも、CDでも聴きやすいように整えていくのは本当に大変だったそうです。マスタリングには2日間も掛かったんですよ。
ーーこちらで公開されている「レコーディング日記」(関連記事)で、“192kHz/24bitはチェロの音には合わない”と書いていらっしゃったのが、非常に興味深かったのですが…これはどんな理由なのでしょうか?
溝口さん:なんだかうるさく感じるというか…キンキンするように思うんです。今回マスタリングの際、DSD 5.6MHzのデータをアナログ出力してPCM 192kHz/24bitに変換してみる、という試みをしたのですが、それでもやっぱりダメでした。これは吉川さんも同じ感想でしたね。こう…落ち着かないね、と。一方96kHz/24bitは相性がとても良いと感じます。
ーー192kHz/24bitの方が、データ量が多いわけですから、より生音に近くて良い音になるのではと思ってしまうのですが、必ずしもそうだとは言い切れないのですね。
溝口さん:もちろん、192kHz/24bitの音が好きな人もいると思います。個人的な趣味の問題ですね。
ーーアーティストの立場から、ハイレゾ配信についてどう感じるか教えていただけますか?
溝口さん:僕はたまたま自分で音源制作から録音までしますが、演奏家にとってやはり「良い音で録れる」というのはとても大事なことです。コルグのMR-2000Sのように、個人でも手が出せる性能の良い機械が存在する現在は、プロとコンシューマーが同じ機械を使える時代。でも「高品位な音」を録ろうとすると、全てにおいて「プロの出番」になってくるんですよね。たとえば、マイクの本数が増えると響きが増えて気持ちいい音になる…と思ってしまいますが、チェロの音の芯はなくなってしまう。そういったことの見極めができるのが、プロなんです。プロの力量を発揮できる部分ができて、みんな喜ぶんじゃないでしょうか。
それから演奏者側としてですが、今までは「後の処理でどうにかなるや」という意識があったので録音のとき緊張感があんまりなかったんですよ。それはそれで、伸びやかな演奏ができていい部分もあるのですが、DSDの“ほぼ一発録り”というスタイルの登場で、ライブのような緊張感というのが、録音にもまた戻ってくるんじゃないかなあと思います。
ーー今回は有り難うございました!
(インタビュー/構成:ファイル・ウェブ編集部:小澤麻実)