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世界に発信するアジアの監督たち キルギス共和国編〜テミルベク・ビルナザロフ監督インタビュー〜

公開日 2004/01/29 17:22
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●1991年ソ連が崩壊し中央アジアには多くの新国家が誕生した。その中のひとつであるキルギス共和国は、北はカザフスタン、南東は中国と国境を接し、7000メートルを超える天山山脈を仰ぐ国土を持つ国である。

古くはアレクサンダー大王も足跡を残し、シルクロードの要衝都市のひとつでもあったキルギスは多くの民族の接触の舞台でもあった。現在人口の半数以上を占めるキルギス人には、日本人に似た顔立ちの人も多い。

映画産業は、ソ連時代には国家による助成もあり、優れた作品が生み出されたが、ソ連邦崩壊後、厳しい状況におかれている。(*1)その中で、デジタルカメラを手にして、ドキュメンタリー映画作品を作る監督もあらわれてきた。

お話をうかがったデミルベク・ビルナザロフ監督は、キルギスで唯一、デジタルカメラによるドキュメンタリー映画を撮影している映画監督だ。キルギスの山岳地帯で育ち、故郷の人々の日常の暮らしを大切に撮影したいという監督だが、11歳の時に川端康成を読み日本文化に造詣が深いという一面もある。映画作りにとりくむお考えや、キルギスの映画産業などについてうかがった。
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○ テミールベク・ビルナザロフ Temirbek Birnazarov

1964年 キルギスの地方都市ナリン州生まれ。
1993年 カザフスタンのアルマディ映画演劇学院にて演劇と映画について学ぶ。
同年制作した『Don't Cry Rhinoceros!』は、フランス、ポルトガル、イタリアの短編映画祭で上映、受賞。
1996年『魔のつり橋』制作。同作品は、山形国際ドキュメンタリー映画祭1997の「アジア千波万波」で特別 賞を受賞。
2003年 山形国際ドキュメンタリー映画祭で、「Ordo」(*2)上映。、

補注
*1 キルギス共和国長編劇映画第一作「あの娘と自転車に乗って」監督アクタン・アブディカリコフ、第二作「旅立ちの汽笛」(同監督)は、日本でも上映された。

*2「Ordo」 (オルド)。 ビルナザロフ監督が共同監督した短編ドキュメンタリー映画。雪の積もる広場で、男たちが、キルギスの国民的ゲームといわれる「オルド」に熱中している。映画は真剣そのものの男たちの表情を丁寧に時にはユーモラスに追っている、市場にニワトリを売るために通りがかった男もゲームに熱中してしまう。袋の中のニワトリはどうなるのだろうか?オルドはキルギスの国民的ゲームで、コインの周りに骨を積み、それをめがけて別の骨を投げ、最終的にはコインをはじくことで勝負が決まる。チームを作って対抗しておこなうが、勝負には、いろいろな要素があり、ゲームは一日続くという。キルギス/2002/キルギス語/カラー/ビデオ/12分

監督:テミールベク・ビルナザロフ、エミル・ジュマバエフ

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テミールベク・ビルナザロフ 監督インタビュー

目次

1.キルギスの国民的ゲーム、オルド
2.骨を使った遊び
3.カメラはベータカムを使用
4.キルギスの映画界の現状
5.現実に興味があります
6.日常を見る視点を大切にしたい
7.ユーモアはキルギスの伝統
8.キルギスで読んだ日本の文学作品
9.映画監督になるまで

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テミールベク・ビルナザロフ監督インタビュー

●1.キルギスの国民的ゲーム、オルド

−今、東京では、道で遊ぶ子供の姿を見ることはとても少なくなっているんですが、この映画を見ていて、そういえば、昔は自分も道で友達と夕方まで遊んだなあと懐かしく思い出しました。

監督: オルドというゲームは、都市ではやっていないゲームです。キルギスのナリン州の村とか、あとは小さな村でしか行われていません。私自身はこのゲームが大好きです。キルギスには、骨を使ったゲームが何種類かありますが、子供たちがやるものもあるし、大人がやるものもありますが、みな、路上でやるゲームです。

−映画の中では、袋に入ったニワトリが動いているのがユーモラスですが、あれは景品ですか?

監督: 景品ではありません。私たち撮影隊はオルドをやっているところを探していたのですが、ある広場で、ちょうどオルドが始まったのを見つけて撮影を始めたんです。その広場に、市場にニワトリを売るために、ちょうど通りがかった人がいて、ニワトリのことを忘れてオルドに夢中になってしまったのです。結局、彼は、一日中オルドに熱中して、ニワトリはまた、持って返ることになりました。オルドはこの地方の大人にとって、それほど熱中してしまうゲームです。

−都会の人もこの遊びのことは知っているんでしょうか?

監督: 知ってはいますけれども、実際にやるチャンスはありません。都会の人は興味の対象が別のほうにあって、難しい問題を抱えている場合は、お酒に走ったり、麻薬に手を出したりする人もいます。またコンピューターに熱中したり、問題から逃げるやり方は都会の人はちがうのです。

●2.骨を使った遊び

−監督は、この遊びのもっている大切さを前から考えていて、それを主題に選ばれたのですか?

監督: ずっと前から骨を使った遊びを撮影したいとは思っていたのです。子供のころ、骨を使った遊びをやっていて、それを思い出したこともあります。骨を使ったゲームは、キルギス人にとっては、歴史と結びついたものです。

−あの骨は何の骨ですか?

監督: ヒツジです。山にいる野生のヒツジの骨も使います。

−キルギスは遊牧の方が多いのですか?

監督: 夏になると村にいる人は、遊牧に出ていきます。冬は村に戻ります。その人たちにとっては、オルドは子供のころからやっている遊びです。

−勝負はどうやってつけるんですか?

監督: 話だすともう大変で、オルドについて説明するだけで一日かかってしまうほどなんです。撮影には、やはり、一日中かかりました。すごい寒い日でしたが、ゲームをやっている人たちは、寒さを感じないほど熱中していました。初めはオルドがどのようなゲームかがわかるように撮影しようと思っていたのですが、やがて、夢中で遊んでいる人たちの表情を撮影することに興味がわいたのです。

●3.カメラはベータカムを使用

−ゲームをやっている人たちは、撮影隊を気にしなかったんですか?

監督: 最初はカメラのことを覗き込んでこれは何だとか言っていましたが、ゲームが始まると、彼らはすぐそんなことを気にしなくなりました。

−本当にカメラがないかのように、自然な感じで撮影されていますね。

監督: 普通の映画で撮影に使うカメラだと音がしてわかるんですが、ビデオカメラはそれほど音がしないし、普段あまり見るものではないので、かえって意識しなかったようです。

−機材はどんなものを使われましたか?

監督: ソニーのベータカムです。カザフスタンの学校時代の友人が個人的にスポンサーになってカメラを貸してくれました。

●4.キルギスの映画界の現状

−キルギスでは、ベータカムを使って映画を撮る人が増えているのでしょうか?

監督: キルギスでは私しかドキュメンタリー映画作家はいないんです。私の卒業制作も劇映画でした。撮影に使用したビデオカメラは自分のものではないのです。カメラが手に入れば、私は、これからもドキュメンタリーも作っていきたいと思っていますが、今は「イヤリング」という題の25分の劇映画を作っています。これはフランスとスイスの映画祭に出品をする予定です。

−ドキュメンタリー映画に対する国や財団などの助成はありますか?

監督: ソ連の共和国だったときには、キルギスの映画界は活気を帯びた良い状態でしたが、今撮影している映画は、西側のプロデューサーなどがスポンサーとなっています。
国の助成は劇映画に対しても、ほとんどないのです。今年は劇映画への助成が少しありましたが、ほとんどないといえます。

−西側の大きい資本で作りたいという気持ちもお持ちですか?

監督: テーマによりますね。攻撃的なものや、自分が撮りたくないものはやらないでしょうね。

●5.現実に興味があります。

−今、ドキュメンタリーの中に劇部分を入れているものが多くなっています。劇映画とドキュメンタリーの両方を作っておられる監督としては、この二つをわけて考えていらしゃるか、それとも、混ぜてひとつの映画に併用することも考えますか?

監督: 自分にとってはフィクションとドキュメンタリーは別のものです。実際の生活を扱ったものの方が、私にはおもしろいんです。

−ドキュメンタリーの中で再現映像を使うことについてはどう思いますか?

監督: それも手法のひとつですが、やはり、人生そのものや現実よりも興味をそそるものではないと思います。自分の映画に使うつもりはありません。

●6.日常を見る視点を大切にしたい

−これから、現実のどういう部分を映画にしたいと思っておられますか?

監督: 実際にキルギスで起きた事件で、5人の若ものが射殺された事件が去年あったんですが、それを映画にすることを考えています。
5人の若者がどんなことを考えていたのか、どういう恋愛をして、どんな生活をしていたのかということを、政治的なやりかたではなくて、もっと軽いやりかたで描いてみたいんです。このよう悲劇的な事件については、その悲惨さが強調されたりしがちですが、この若者たちも普通に恋愛したり、コミカルな面に遭遇したりとかしていたわけですから、悲劇的なことだけでなく、そのような日常を、どのように表現するか、その表現のしかたを今考えているところです。

−今までも、直接政治と関係ない、日常のことを撮ろうとしていたんですか?

監督: もちろん政治的な問題や社会的な問題に関心がありますし、キルギスだけでなく日本でも中国でもアメリカでも失業問題ですとか、さまざまな問題が地球全体にあることに関心を持っています。それを映画にしてもなかなか解決には至らないですし、私の場合は、そういった困難さを描くのではなくて、日常にあることを、ユーモアをもって描きたいと思っています。

●7.ユーモアはキルギスの伝統

−難しい問題がある場面でもユーモアを大事にすることは、キルギスの伝統でしょうか?

監督: 他のキルギスの映画作家の作品も、どこかにユーモアを感じさせると思います。ですから、ユーモアはキルギスの伝統といえるでしょう。たとえば、キルギスの挨拶では、相手がたとえ死にかけているような人でも、元気かい、ときいて、相手も元気だよ、という。そういうところは、キルギス人の特質かも知れません。

−特に影響を受けた作家など、ありますか?

監督: 私は、おじいさんに影響を受けました。おじいさんは、字は読めなかったんですが、興味深い伝説や民話の話をたくさんしてくれたのです。古い本をもってきて読むことをすすめてくれたりもしました。それを私がおじいさんに読んであげたんです。読んだ本がおじいさんに気にいらないと、作家に文句をいったりする人でした。。絵も上手な人でした。

●8.キルギスで読んだ日本の文学作品

監督: 日本の作家の作品もたくさん読みました。11歳の時に、川端康成をキルギス語で読みました。日本の伝統について書いているものです。安部公房、芥川、開高健なども読みました。

−キルギスでは日本文化について、関心が高まっているんでしょうか?

監督: とても関心を持っています。木下順二の「夕鶴」の上演も行われました。
日本に来て、日本の多くの人がもう着物を)着ていないことなどに気がつきましたが(笑い)しかし、着物は着ていなくても、日本の伝統は深く豊かで、日本はこの文化の中心だと思っています。

●9.映画監督になるまで

−ご出身はキルギスのどちらでしょうか?

監督: 私はキルギスのナリン州の山岳地帯の村の出身です。海抜4000メートルぐらいで、植物もあまり育たないところでした。父は別のところに住んでいる画家で、11人兄弟でした。私はおじいさんと一緒に育ちました。

−映画監督を志されたのはどうしてか、お話願えますか?

監督: もともと画家になりたかったんですが、映画のほうが語りたいことがより表現できるのではないかと思う気持ちがありました。動きや音が使えますからね。初めは、まず、芝居の演出を勉強しました。私は最近、キルギス人が出演した井原西鶴の芝居の演出もしました。

−監督は、川端康成のような繊細な耽美主義的な日本文化、さらに、安部公房のような現代のSF的な日本文化や、日本人でもなかなか読まなくなった井原西鶴まで、深い関心をお持ちなのですね。文化に対する深い理解の上にユーモアの大切さを感じていらっしゃるという奥の深さを感じました。

監督: 日本文化については、まだ、まだ、勉強中です。これからも、より多く日本について知りたいと思っています。

−今日はありがとうございました。

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<後記>

この後、ビルナザロフ監督は筆者に、村上春樹をどう思うかという質問をされた。村上春樹は今、キルギスでも人気があるそうだ。キルギスは、私を含めて多くの日本人にとって、まだなじみの薄い国だが、ソニーのビデオカメラや、日本の文学作品が受け入れられていることなど、人々の日本文化への関心が高くなっていることをうかがわせた。

監督が撮影した「オルド」というゲームには、私の子供の頃(昭和30年代の東京)に流行った、路上で石やプラスチックのチェーンを投げる遊びに似たところがある。フランスで行われるペタンクというゲームも、真中の小さな的に大きな玉を接近させるように投げるところは良く似ている。このようなゲームをすることができる日常、それに熱中することの大切さ、それは一見なんでもないようでいて実はとてもかけがえのないことだということを感じさせる映画を作った監督は、古い文化の厚みを背景に思わせる審美眼の持ち主だった。

2003年10月15日山形国際ドキュメンタリーフィルムフェスティバル会場にて
(インタビューと構成・写真:山之内優子)

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<写真左>
映画「オルド」より
広場でキルギスの国民的ゲーム「オルド」に興じる人たち
前の袋に入ったニワトリがユーモラスに動いている。

<写真右>
テミールベク・ビルナザロフ監督
(2003年10月15日山形市中央公民館にて)

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