「ハーラの老人」:イラン女流監督第一人者の語るデジタル技術と映画作り
イランは映画大国であり、日本でも多くの素晴らしいイラン映画が上映されている。また、映画教育体制作りも整備されており監督を志す若者の多い。2003年山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波 奨励賞を授賞した「ハーラの老人」の監督、マーヴァシュ・シェイホルエスラーミ氏は、そのイラン女性監督としてパイオニアである第一人である。
本年3月4日、12日のneoneo座での映画上映にあわせ、2003年におこなった監督インタビューをご紹介する。ドキュメンタリ−の現場、映画教育の現場で果たすデジタルビデオカメラの役割を率直に語っていただいた。
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「ハーラの老人」The Old Man of Hara
2001年/VIDEO/30分/イラン
マーヴァシュ・シェイホルエスラーミ 監督インタビュー
「ハーラの老人」は、ペルシャ湾南岸の島、キシム島で一人網を打って漁をしながら暮らす老人の日常を追った映画である。塩水に生えるマングローブで囲まれたハーラの森の静かでおだやかな光、水のたゆたい、夜の静けさなどが静逸でありながら、素晴らしい豊かな諧調のある画面によって表現されている。音楽はなく自然音を使っており、自然の中での簡素でも豊かな生き方を感じさせ、心が静まるような哲学的ともいえる映画だ。
イラン女性映画監督の草分けであるシェイホルエスラーミ監督は、映画について、そして現在のデジタル技術が若い人の映画作りに与えている影響について熱心に語ってくれた。二本目の作品が作れない若者に苦言を呈する監督には、本当にイランの映画界と映画作りをする若者たちの将来を心配する、厳しいけれど暖かい母親のような思いを感じた。
目次
1.「ハーラの老人」との出会い
2.ものを無駄にしない生活
3.今だから、この老人の良さがわかる。
4.気温の高い湿地での撮影にベータカムが役立った
5.若者の映画作りとデジタル技術の良し悪し
6.現場で考えなくなる危険性
7.現場に対する尊敬が必要
8.簡単に撮ると後が続かない
9.映画監督になるまで
10.イランでは映画を学ぶのは男性より女性が多い
11.ホームシアターの可能性は?
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1.「ハーラの老人」との出会い
−このハーラの老人は、あらかじめご存知の方でしたか?
監督: 映画を撮る直前に会った人です。私は島の雨季に興味があって撮影の6ヶ月前にあの島に行きました。そこで美しいハーラの森を見て誰か住んでいるのではないかと思いました。いろいろきいてみましたが誰も知らないし教えてもくれない。それで土地の人にボートを出してもらってハーラの森に近づいたところ、遠くから彼のとても簡単な家が目に入りました。そこに彼がいたんです。
−この方はエコロジストとか特別の考えをもっている人なんでしょうか?
監督:ただの普通のおじいさんで海を愛しているというだけの人です。本を読むとか勉強もしていないんだけれど、哲学者そのものでした。撮影に入る前に3,4日間、彼と一緒にいましたが、ほとんど話をしない人なんです。それで私も彼に自分から何もききませんでした。
彼が話すことは、今鳴いた鳥は何だとか、お月さんがこちらに出てこれからどちらに沈んでいくかとか、今の聞いてごらん、この歌はこうだよとか。それを説明してくれました。一言もこちらからしゃべらなくても、彼の話をきくだけでとても楽しかったのです。
2)ものを無駄にしない生活
−この映画の世界はとても美しく、静かで理想化された世界のようにも見えますが彼には何も問題がなかったのでしょうか。
監督: 彼はお金を得ようと思えば魚を売ることができますから貧しくはないし、自分の質素な生活に満足していました。魚をとるときは、自分の食べるぶんしかとらずに、あとは海にもどしていました。自然や環境を大事にしていて、自然を破壊せずにごみを捨てないようにすごし、自分が食べる魚の骨まで乾かして魚のえさにしたり、湿地にくる鳥たちにも採った魚をわけて一緒に食べたり、汚染のことにもとても気をくばっていました。
バイクに乗って池に自分で飲む水をとりにいくところがあったでしょう?あれは雨水ですが、その水をとるときにバケツをいっぱいにしないで水をとったんです。バケツいっぱいにしてしまったら、水がこぼれて無駄になるからなんです。一滴の水も無駄にしないよう、こぼれてしまう分をあらかじめ池に戻していました。そして一匹の魚を食べるためには働かなくてはいけないといって、そういう精神で一生懸命動いている哲学者のような人でした。
3)今だから、この老人の良さがわかる。
−「ハーラの老人」は政治にかかわる問題を正面からとりあげるドキュメンタリーとは違うタイプの映画ですね。この映画の主題を選ばれた理由をお教え願えますか?
監督: 自分が今考えてみると、たとえ7,8年前でも、自分にはこの映画は作れなかったと思います。それは技術的なことというよりも、この歳になっていろいろな事を見てきた今の自分だからこそ、このハーラの老人のやっていることの良さがわかるからです。もっと若かったらわからなかったかもしれません。
それにこの時代に生きている私たちは彼の持っている良さを理解する必要があるのではないかと思います。少し前の私でも、そういう考えで映画を作る時期にはまだきていなかったのですけれど。ですから今でなければこの映画は作れなかったし、今の私だからこの映画を作ったのです。
4)気温の高い湿地での撮影にベータカムが役立った
− この映画で使われたカメラは何ですか?
監督: ベータカムです。イランではソニーのプロ用のベータが良く使われています。現場はとても熱く50度を超えることもあります。経験者の友人から熱によるトラブルの心配があるからベータカムにしなさいと言われたんです。実際に写真をとるためのデジタルカメラは熱さのために使えなくなりました。
また、この「ハーラの老人」の場合は、泥の深いところでの撮影でしたので、そういうところでは、35ミリのカメラを持って入っていくことはできませんし、このおじいさんは一歩もとまらない人でしたしドキュメンタリーですから、フィルムをチェンジするから待っていてくださいというわけにはいかないです。ですから今のこういうデジタル撮影の機械がなければこういうドキュメンタリーは撮れなかったですね。
−撮影はご自分でなさったのですか?
監督: 他の撮影では自分が撮る場合もありますが、この映画では別の撮影監督です。絶えずとまらないおじいさんの動きについていかなければならなくて、その動きを含めた全体を把握している必要があったんです。それで私はおじいさんの動きを見ながらこれから何を撮ればいいのかを指示していました。
−自然条件によって35ミリは持っていけなかったようですが、できればフィルムで撮ることを希望されていたんでしょうか?
監督: 今まで35ミリで撮っていますから状況が良ければ35ミリで撮ったかもしれません。ただし私の夢でイランの全土を歩いて、いろいろなものを自分で撮りたいという希望をずっと持っていたんです。デジタル技術で撮影ができる今の時代になって、この夢が実現可能になってきました。ドキュメンタリーにとっては、デジタル技術は素晴らしいものです。
5)若者の映画作りとデジタル技術の良し悪し
−技術が進歩して誰でも映像表現が容易にできるようになってきている現在の状況をどのようにお考えでしょうか。
監督:デジタルで撮れる良いところとしては、たしかに誰でもキャメラを手にでき、多くの人が映画作りを初められるようになりました。そのようにして今の若者たちはデジタル技術を使って、どこでもキャメラを回すことができるし映画を撮ることができます。
でもそれは良いことであると同時に、ある意味であまりよくないことだと思います。なぜなら彼らはフォトグラファー、撮影監督としての経験もなく勉強もしていなくて機械に頼って撮っているのですから、どのくらい経験が将来役にたつかどうか、わからないのです。そこに彼らは気が付いていません。
特にわたしたちの国では、社会の中でキャメラを持っていけばおもしろい題材はたくさん手に入るんです。それをフォローしていけば映画が作れると思って映画を作り自信を持っていくんですが、その自信の裏には、経験も体験も何もなく、知識もあまりない。だから一本作ればそれで終わってしまうということが多いんです。それは今のデジタルキャメラの恐ろしいところでもありますね。
6)現場で考えなくなる危険性
監督: というのは最近のキャメラは色々なことができるわけです。例えば撮影では画面に右から入ったら左からでるべきだとか、いろいろ考えますが、デジタル技術でそれが編集の段階でチェンジできるんです。ちがっていたらそれを直すことができる。それはいいことであると同時に、監督にとっては悪いことでもあるんですよ。なぜなら現場で監督が考えなくてもすむことになってしまうからなんです。それはいけないと私はそれに抵抗しているんです。もちろん、光でも何でも調整できる良さはありますが、私は監督として抵抗感がありますね。
ただ、最近のカメラはペンと同じで、書く代わりにロケハンなどで使えばよい記録として使えますね。ですからデジタル技術のいいところもあるし、悪いところもあります。
−若い人が映画作りを志すときにフィルムから始めたほうが良いというご意見でしょうか?
監督: どんどん技術が進んでいっているので、それを35ミリに戻ってそこから始めなさいとは言えることではないですが、デジタルで映画を作ったからといってこのまま簡単には映画を作っていったり、簡単に映画監督になることはできないということは、若い人に良く言っています。知識を固めるために勉強や経験が必要です。
私自身数年前までは、35ミリとか、16ミリフィルムカメラで映像を撮っていました。それは自分にとっては大変大切な体験でした。その体験がなければ、この「ハーラの老人」のような映画は作らなかったと思います。
7)現場に対する尊敬が必要
−フィルムで撮る場合はスタッフも必要ですし機材をそろえることも大変なので映画を撮る経験ができる人の数が限られるという面もありますね。そのへんはどうでしょうか?
監督: 35ミリはとても難しい技術ですし、おっしゃる通り資本集めやスタッフ集めは大変です。そういうスタッフのコントロールも大変なことです。35ミリのクルーと一緒に仕事をすることはすごく難しいことです。現場には現場の規則があるんです。クルーが集まって何かを撮るということは、やはり心の準備が必要ですし心を大事にしなければいけないことです。現場の規則や現場に対する尊敬というのがデジタルではなくなってきているように思います。音に関していうと、デジタルの場合はこちらが撮影をしているときに周りが関係なくしゃべったり笑ったりしてしまうということがあったりして集中できないことがあります。
−映画を撮る場合に、今までのフィルム撮影がもっていたある伝統的なやりかたを尊重したほうがいいということでしょうか?
監督: 同じ話になりますが、デジタルカメラを持って映画を撮るときの気持ちと35ミリのキャメラを持って映画を撮るときの気持ちは同じでなければ駄目です。35ミリの現場で必要な規則や現場への尊敬をデジタルで撮るときももっているべきです。
でも、自分もよくわかっていることですが、今デジタルで撮れるものの中には、35ミリでは絶対撮れないものもあるんですね。デジタルでこういうものが撮れるようになったことは本当に素晴らしいことです。
8)簡単に撮ると後が続かない
監督: ですからデジタル技術に反対しているわけでは全然ないんですが、私の国の若者たちの話をすれば、やはり簡単に映画を一本撮ってしまって、それができると満足してなまけものになってくるんです。勉強もしないし他の監督の映画も見ないということになってしまう。一本だけ撮ってそこでとまってしまうという恐れがあるんです。
才能があって知識もあり、手に持つ機材はなんであれ素晴らしい映画を撮る人もいます。デジタルキャメラを手にして映画を撮りはじめる人たちのすべを批判したくないんですが、でも彼らはそれだけで満足してしまったら絶対に成功しないんです。または2作目を作るときに失敗するんです。ですから勉強をすることが絶対必要です。
今、映画界の素晴らしい監督たちもデジタルを手にして撮っていますが、彼らのバックには経験もあり文化もあり、その蓄積の上にデジタルで撮っているんです。それを表面だけ真似してしまったら、そこから先は続けられないということを言いたいんです。もうひとつはデジタルは安いから何日も、何ヶ月も撮影して、それを編集しようとしたときに知識や考えなしにとっているから、まとめられないという問題もあります。
9)映画監督になるまで
ー どのようにして監督になられたのですか?
監督: 中学校が終わってから音楽の専門学校にいきました。その後大学では絵を勉強し、引き続き絵を勉強するつもりでロンドンに行きました。しかし一人でいる時間より皆と一緒にいるのが好きなので、画家が本当に自分がやりたいことかどうか考えて迷っていました。その時フィルムスクールに通っていた友人に会ったんです。そしてちょっと彼女と話をしたりして、だんだん映画に興味がでてきて映画の世界に入りました。
−そのとき、イランで女性の監督はいらっしゃいましたか?
監督: あまりいなかったんですが、イランの女性詩人でフォルーグ・ファッロフザードは「あの家は黒い」(1962年)というドキュメンタリーを撮りました。それ以外で監督として仕事をしている人はいませんでした。映画の現場で働いている女性はいましたが、監督としてはいなかったです。
−女性が監督になると、男性に指示を与えることになりますがそういう困難はありませんでしたか?
監督: 革命前も映画を撮り監督や制作をしました。そのときは、自分が若かったせいもありますが、男性が女性のいうことをききたくないということがありましたが、革命後は映画をずっとやってきたこともあって、全然問題なく仲良く仕事をしています。
10)イランでは映画を学ぶのは男性より女性が多い
−イランでは映画を学ぶ女性は多いですか?
監督: 今のイランでは4つの大学で映画学部があり女性も男性も映画を学べます。またプライベートの学校もたくさんあります。映画に興味を持つ人はとても多く映画を学ぶ人では女性の数のほうが多いのです。映画祭もありますしドキュメンタリー映画にも関心は高く、監督になったり自分で映画をとる人は増えています。
−イランでは、多くの人が好んで映画を見ているんでしょうか?
監督: ええ。家族で映画を見に行くことが多いんです。休みの前の日は必ずみんなで映画に行くんです。それは必ず。家族で映画に行くということは、家族にとってとても大きな体験なんですね。
11)ホームシアターの可能性は?
−素敵な体験ですね。今はホーム・シアターという家の中で映画を見る形態がでてきています。イランではホーム・シアターは始まっていますか?
監督: いいえ。イラン人は家から出るのが好きで、特に子供たちを連れて外に出るのは好きなんです。外出して何かを食べて映画を見ようというのが休みの始まりなんです。映画は大きなスクリーンでみんなと一緒に見るものがいいと思いますよ。
通訳のショーレさん: イランでは、映画は観客の息が監督にとって大事というんですよ。
− 最後に映画を作る側見る側にどんな体験をしてほしいか、お話いただけますか?
監督: 自分も映画をすこしずづ、じわじわ体験してきて今の立場にきました。若い人たちもそのようにとにかくたくさんの映画を見て欲しいです.勉強してひとつひとつを学んでいくことを大事にして、それから映画を作ってほしいです。
−貴重なお話をありがとうございました。
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通訳:ショーレ・ゴルバリアン(イラン映画研究者)
取材・構成:山之内優子
2003年10月16日山形市山形国際ドキュメンタリー映画祭にて取材
本年3月4日、12日のneoneo座での映画上映にあわせ、2003年におこなった監督インタビューをご紹介する。ドキュメンタリ−の現場、映画教育の現場で果たすデジタルビデオカメラの役割を率直に語っていただいた。
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「ハーラの老人」The Old Man of Hara
2001年/VIDEO/30分/イラン
マーヴァシュ・シェイホルエスラーミ 監督インタビュー
「ハーラの老人」は、ペルシャ湾南岸の島、キシム島で一人網を打って漁をしながら暮らす老人の日常を追った映画である。塩水に生えるマングローブで囲まれたハーラの森の静かでおだやかな光、水のたゆたい、夜の静けさなどが静逸でありながら、素晴らしい豊かな諧調のある画面によって表現されている。音楽はなく自然音を使っており、自然の中での簡素でも豊かな生き方を感じさせ、心が静まるような哲学的ともいえる映画だ。
イラン女性映画監督の草分けであるシェイホルエスラーミ監督は、映画について、そして現在のデジタル技術が若い人の映画作りに与えている影響について熱心に語ってくれた。二本目の作品が作れない若者に苦言を呈する監督には、本当にイランの映画界と映画作りをする若者たちの将来を心配する、厳しいけれど暖かい母親のような思いを感じた。
目次
1.「ハーラの老人」との出会い
2.ものを無駄にしない生活
3.今だから、この老人の良さがわかる。
4.気温の高い湿地での撮影にベータカムが役立った
5.若者の映画作りとデジタル技術の良し悪し
6.現場で考えなくなる危険性
7.現場に対する尊敬が必要
8.簡単に撮ると後が続かない
9.映画監督になるまで
10.イランでは映画を学ぶのは男性より女性が多い
11.ホームシアターの可能性は?
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1.「ハーラの老人」との出会い
−このハーラの老人は、あらかじめご存知の方でしたか?
監督: 映画を撮る直前に会った人です。私は島の雨季に興味があって撮影の6ヶ月前にあの島に行きました。そこで美しいハーラの森を見て誰か住んでいるのではないかと思いました。いろいろきいてみましたが誰も知らないし教えてもくれない。それで土地の人にボートを出してもらってハーラの森に近づいたところ、遠くから彼のとても簡単な家が目に入りました。そこに彼がいたんです。
−この方はエコロジストとか特別の考えをもっている人なんでしょうか?
監督:ただの普通のおじいさんで海を愛しているというだけの人です。本を読むとか勉強もしていないんだけれど、哲学者そのものでした。撮影に入る前に3,4日間、彼と一緒にいましたが、ほとんど話をしない人なんです。それで私も彼に自分から何もききませんでした。
彼が話すことは、今鳴いた鳥は何だとか、お月さんがこちらに出てこれからどちらに沈んでいくかとか、今の聞いてごらん、この歌はこうだよとか。それを説明してくれました。一言もこちらからしゃべらなくても、彼の話をきくだけでとても楽しかったのです。
2)ものを無駄にしない生活
−この映画の世界はとても美しく、静かで理想化された世界のようにも見えますが彼には何も問題がなかったのでしょうか。
監督: 彼はお金を得ようと思えば魚を売ることができますから貧しくはないし、自分の質素な生活に満足していました。魚をとるときは、自分の食べるぶんしかとらずに、あとは海にもどしていました。自然や環境を大事にしていて、自然を破壊せずにごみを捨てないようにすごし、自分が食べる魚の骨まで乾かして魚のえさにしたり、湿地にくる鳥たちにも採った魚をわけて一緒に食べたり、汚染のことにもとても気をくばっていました。
バイクに乗って池に自分で飲む水をとりにいくところがあったでしょう?あれは雨水ですが、その水をとるときにバケツをいっぱいにしないで水をとったんです。バケツいっぱいにしてしまったら、水がこぼれて無駄になるからなんです。一滴の水も無駄にしないよう、こぼれてしまう分をあらかじめ池に戻していました。そして一匹の魚を食べるためには働かなくてはいけないといって、そういう精神で一生懸命動いている哲学者のような人でした。
3)今だから、この老人の良さがわかる。
−「ハーラの老人」は政治にかかわる問題を正面からとりあげるドキュメンタリーとは違うタイプの映画ですね。この映画の主題を選ばれた理由をお教え願えますか?
監督: 自分が今考えてみると、たとえ7,8年前でも、自分にはこの映画は作れなかったと思います。それは技術的なことというよりも、この歳になっていろいろな事を見てきた今の自分だからこそ、このハーラの老人のやっていることの良さがわかるからです。もっと若かったらわからなかったかもしれません。
それにこの時代に生きている私たちは彼の持っている良さを理解する必要があるのではないかと思います。少し前の私でも、そういう考えで映画を作る時期にはまだきていなかったのですけれど。ですから今でなければこの映画は作れなかったし、今の私だからこの映画を作ったのです。
4)気温の高い湿地での撮影にベータカムが役立った
− この映画で使われたカメラは何ですか?
監督: ベータカムです。イランではソニーのプロ用のベータが良く使われています。現場はとても熱く50度を超えることもあります。経験者の友人から熱によるトラブルの心配があるからベータカムにしなさいと言われたんです。実際に写真をとるためのデジタルカメラは熱さのために使えなくなりました。
また、この「ハーラの老人」の場合は、泥の深いところでの撮影でしたので、そういうところでは、35ミリのカメラを持って入っていくことはできませんし、このおじいさんは一歩もとまらない人でしたしドキュメンタリーですから、フィルムをチェンジするから待っていてくださいというわけにはいかないです。ですから今のこういうデジタル撮影の機械がなければこういうドキュメンタリーは撮れなかったですね。
−撮影はご自分でなさったのですか?
監督: 他の撮影では自分が撮る場合もありますが、この映画では別の撮影監督です。絶えずとまらないおじいさんの動きについていかなければならなくて、その動きを含めた全体を把握している必要があったんです。それで私はおじいさんの動きを見ながらこれから何を撮ればいいのかを指示していました。
−自然条件によって35ミリは持っていけなかったようですが、できればフィルムで撮ることを希望されていたんでしょうか?
監督: 今まで35ミリで撮っていますから状況が良ければ35ミリで撮ったかもしれません。ただし私の夢でイランの全土を歩いて、いろいろなものを自分で撮りたいという希望をずっと持っていたんです。デジタル技術で撮影ができる今の時代になって、この夢が実現可能になってきました。ドキュメンタリーにとっては、デジタル技術は素晴らしいものです。
5)若者の映画作りとデジタル技術の良し悪し
−技術が進歩して誰でも映像表現が容易にできるようになってきている現在の状況をどのようにお考えでしょうか。
監督:デジタルで撮れる良いところとしては、たしかに誰でもキャメラを手にでき、多くの人が映画作りを初められるようになりました。そのようにして今の若者たちはデジタル技術を使って、どこでもキャメラを回すことができるし映画を撮ることができます。
でもそれは良いことであると同時に、ある意味であまりよくないことだと思います。なぜなら彼らはフォトグラファー、撮影監督としての経験もなく勉強もしていなくて機械に頼って撮っているのですから、どのくらい経験が将来役にたつかどうか、わからないのです。そこに彼らは気が付いていません。
特にわたしたちの国では、社会の中でキャメラを持っていけばおもしろい題材はたくさん手に入るんです。それをフォローしていけば映画が作れると思って映画を作り自信を持っていくんですが、その自信の裏には、経験も体験も何もなく、知識もあまりない。だから一本作ればそれで終わってしまうということが多いんです。それは今のデジタルキャメラの恐ろしいところでもありますね。
6)現場で考えなくなる危険性
監督: というのは最近のキャメラは色々なことができるわけです。例えば撮影では画面に右から入ったら左からでるべきだとか、いろいろ考えますが、デジタル技術でそれが編集の段階でチェンジできるんです。ちがっていたらそれを直すことができる。それはいいことであると同時に、監督にとっては悪いことでもあるんですよ。なぜなら現場で監督が考えなくてもすむことになってしまうからなんです。それはいけないと私はそれに抵抗しているんです。もちろん、光でも何でも調整できる良さはありますが、私は監督として抵抗感がありますね。
ただ、最近のカメラはペンと同じで、書く代わりにロケハンなどで使えばよい記録として使えますね。ですからデジタル技術のいいところもあるし、悪いところもあります。
−若い人が映画作りを志すときにフィルムから始めたほうが良いというご意見でしょうか?
監督: どんどん技術が進んでいっているので、それを35ミリに戻ってそこから始めなさいとは言えることではないですが、デジタルで映画を作ったからといってこのまま簡単には映画を作っていったり、簡単に映画監督になることはできないということは、若い人に良く言っています。知識を固めるために勉強や経験が必要です。
私自身数年前までは、35ミリとか、16ミリフィルムカメラで映像を撮っていました。それは自分にとっては大変大切な体験でした。その体験がなければ、この「ハーラの老人」のような映画は作らなかったと思います。
7)現場に対する尊敬が必要
−フィルムで撮る場合はスタッフも必要ですし機材をそろえることも大変なので映画を撮る経験ができる人の数が限られるという面もありますね。そのへんはどうでしょうか?
監督: 35ミリはとても難しい技術ですし、おっしゃる通り資本集めやスタッフ集めは大変です。そういうスタッフのコントロールも大変なことです。35ミリのクルーと一緒に仕事をすることはすごく難しいことです。現場には現場の規則があるんです。クルーが集まって何かを撮るということは、やはり心の準備が必要ですし心を大事にしなければいけないことです。現場の規則や現場に対する尊敬というのがデジタルではなくなってきているように思います。音に関していうと、デジタルの場合はこちらが撮影をしているときに周りが関係なくしゃべったり笑ったりしてしまうということがあったりして集中できないことがあります。
−映画を撮る場合に、今までのフィルム撮影がもっていたある伝統的なやりかたを尊重したほうがいいということでしょうか?
監督: 同じ話になりますが、デジタルカメラを持って映画を撮るときの気持ちと35ミリのキャメラを持って映画を撮るときの気持ちは同じでなければ駄目です。35ミリの現場で必要な規則や現場への尊敬をデジタルで撮るときももっているべきです。
でも、自分もよくわかっていることですが、今デジタルで撮れるものの中には、35ミリでは絶対撮れないものもあるんですね。デジタルでこういうものが撮れるようになったことは本当に素晴らしいことです。
8)簡単に撮ると後が続かない
監督: ですからデジタル技術に反対しているわけでは全然ないんですが、私の国の若者たちの話をすれば、やはり簡単に映画を一本撮ってしまって、それができると満足してなまけものになってくるんです。勉強もしないし他の監督の映画も見ないということになってしまう。一本だけ撮ってそこでとまってしまうという恐れがあるんです。
才能があって知識もあり、手に持つ機材はなんであれ素晴らしい映画を撮る人もいます。デジタルキャメラを手にして映画を撮りはじめる人たちのすべを批判したくないんですが、でも彼らはそれだけで満足してしまったら絶対に成功しないんです。または2作目を作るときに失敗するんです。ですから勉強をすることが絶対必要です。
今、映画界の素晴らしい監督たちもデジタルを手にして撮っていますが、彼らのバックには経験もあり文化もあり、その蓄積の上にデジタルで撮っているんです。それを表面だけ真似してしまったら、そこから先は続けられないということを言いたいんです。もうひとつはデジタルは安いから何日も、何ヶ月も撮影して、それを編集しようとしたときに知識や考えなしにとっているから、まとめられないという問題もあります。
9)映画監督になるまで
ー どのようにして監督になられたのですか?
監督: 中学校が終わってから音楽の専門学校にいきました。その後大学では絵を勉強し、引き続き絵を勉強するつもりでロンドンに行きました。しかし一人でいる時間より皆と一緒にいるのが好きなので、画家が本当に自分がやりたいことかどうか考えて迷っていました。その時フィルムスクールに通っていた友人に会ったんです。そしてちょっと彼女と話をしたりして、だんだん映画に興味がでてきて映画の世界に入りました。
−そのとき、イランで女性の監督はいらっしゃいましたか?
監督: あまりいなかったんですが、イランの女性詩人でフォルーグ・ファッロフザードは「あの家は黒い」(1962年)というドキュメンタリーを撮りました。それ以外で監督として仕事をしている人はいませんでした。映画の現場で働いている女性はいましたが、監督としてはいなかったです。
−女性が監督になると、男性に指示を与えることになりますがそういう困難はありませんでしたか?
監督: 革命前も映画を撮り監督や制作をしました。そのときは、自分が若かったせいもありますが、男性が女性のいうことをききたくないということがありましたが、革命後は映画をずっとやってきたこともあって、全然問題なく仲良く仕事をしています。
10)イランでは映画を学ぶのは男性より女性が多い
−イランでは映画を学ぶ女性は多いですか?
監督: 今のイランでは4つの大学で映画学部があり女性も男性も映画を学べます。またプライベートの学校もたくさんあります。映画に興味を持つ人はとても多く映画を学ぶ人では女性の数のほうが多いのです。映画祭もありますしドキュメンタリー映画にも関心は高く、監督になったり自分で映画をとる人は増えています。
−イランでは、多くの人が好んで映画を見ているんでしょうか?
監督: ええ。家族で映画を見に行くことが多いんです。休みの前の日は必ずみんなで映画に行くんです。それは必ず。家族で映画に行くということは、家族にとってとても大きな体験なんですね。
11)ホームシアターの可能性は?
−素敵な体験ですね。今はホーム・シアターという家の中で映画を見る形態がでてきています。イランではホーム・シアターは始まっていますか?
監督: いいえ。イラン人は家から出るのが好きで、特に子供たちを連れて外に出るのは好きなんです。外出して何かを食べて映画を見ようというのが休みの始まりなんです。映画は大きなスクリーンでみんなと一緒に見るものがいいと思いますよ。
通訳のショーレさん: イランでは、映画は観客の息が監督にとって大事というんですよ。
− 最後に映画を作る側見る側にどんな体験をしてほしいか、お話いただけますか?
監督: 自分も映画をすこしずづ、じわじわ体験してきて今の立場にきました。若い人たちもそのようにとにかくたくさんの映画を見て欲しいです.勉強してひとつひとつを学んでいくことを大事にして、それから映画を作ってほしいです。
−貴重なお話をありがとうございました。
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通訳:ショーレ・ゴルバリアン(イラン映画研究者)
取材・構成:山之内優子
2003年10月16日山形市山形国際ドキュメンタリー映画祭にて取材