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【Senka21】新春特別対談“オーディオビジュアルの2008年を語る” − 貝山知弘×山之内正(第1回)

公開日 2008/01/01 12:19
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新春特別対談 貝山知弘×山之内正 オーディオビジュアルの2008年を語る
「ハイビジョンは、映画館を超える感動をもたらした」


薄型テレビがさらなる拡大を続ける中、BD、HD DVDでのハイビジョン認知度の高まり、HDオーディオ再生を実現させたAVアンプの登場など、2007年のオーディオビジュアル界には大きなトピックスが相次いだ。北京五輪という大イベントを控えてさらなる飛躍の期待される2008年を迎えるにあたり、オーディオ・ビジュアルの楽しみや、ハードウェアのあるべき姿についてなど、ビジュアルグランプリ審査委員をつとめる2人の評論家に語っていただいた。


ハイビジョンがもたらした映像と音の大きな変化

貝山 2007年とは、僕はAVにとってある到達点を迎えた年だと思います。それはBDやHD DVDといった新世代のDVDが定着したこと。これがハイビジョンに対する関心を一気に高めた要因になりました。しかし楽しみが本当に始まるのは、実は2008年からではないかと思っています。本当の意味の映像と音声のせめぎ合い、そして相乗効果が現れるのではないかと。

山之内 映像に加えて音が、2008年は大分変わっていくだろうと思います。HDの映像に相応しいHDオーディオ。これは意図的にHDという共通の言葉を使っていますが、要するにHDの映像の表現力に見合う音ということです。

映像と音の相乗効果については私も大いに期待していて、2007年は特に大きな動きとしてハードウェアの質の変化がありました。パイオニアの「KURO」シリーズのような薄型テレビの画質改善、プロジェクターもフルHDが2世代目に至って本格的に画がよくなった。またBDが2007年末に本来あるべき姿になったという印象を持っています。

こうして総合的にハードウェアの環境が整ってくると、今度はソフトに目がいきます。2008年は音楽ソフトをもっと出して欲しい。これが潤沢に出てくると、画と音のコラボレーションというのが本当に機能してくると思います。今はその前の段階で、こうあるべき、こうなって欲しいという姿が見えてきたところでしょう。


貝山知弘氏
貝山 おそらく2008年春までにはパイオニアを筆頭に、デノン、ヤマハと今までAVのオーディオに非常に力を注いできた会社が、新しいHDオーディオ機器を出してくる。これらの製品の音を聴いてみると、実に画期的なクオリティを実現していることが分かります。これらの製品は、ピュアオーディオに対しても大きな刺激を与えると思います。

2チャンネルのオーディオは、僕に言わせるとここのところ怠けています。いかにコストを抑えるかという製品が大半で、それに引き替え昨年出たAVアンプ、たとえばパイオニアのフラグシップモデルなどは、今までピュアオーディオでもできなかった新しいデジタル技術の新しい試みをきちっと成功させています。これまでもデジタル技術を活用したアンプはいろいろと出てきましたが、実際音と製品の意図がこれほどみごとに一致した例はないといえます。ある意味、ピュアオーディオの方々は自分たちで作ったマルチチャンネルの可能性をほぼ諦めているようですが、AVアンプでこれほどショッキングな製品が出てくると、マルチチャンネル再生の楽しさが改めてわかってきます。この際ピュアオーディオも頑張って、マルチチャンネルのソフトをもっともっと出して欲しい。


山之内正氏
山之内 2チャンネルとマルチチャンネルの間というのは、あるところに溝があってそれを越えるというのでなく、連続した世界だと私は思っています。総合的な音楽表現というのは、ステレオだから、マルチだからといい悪いを云々するのでなく、いろいろな世界ガ同時に存在しています。マルチへの方向というのはひとつの進化の形であり、だからその間のステップというのも存在するし、今回パイオニアが提示したような、非常に先を見通せるような技術も出てくるのです。

新春対談なので少し大きな話をすると、オーディオもオーディオビジュアルも含め、ただの流行ではなく確立した趣味の世界として拡がっていると凄く実感するんですね。すばらしい映画作品や音楽作品というものを再生してみると、かつてオーディオをやった人がまた記憶を辿りながらやっていくというだけじゃなくて、もっと世代を超えて拡がっていくべきものであり、もっと深い趣味であるということがよくわかるのです。

ピュアオーディオの楽しさがマルチチャンネルで拡がる

貝山 同感ですね。僕は趣味としてのAVは、DVDの時にすでに確立したと思っています。そこにハイビジョン放送が登場し、映像的には更に緻密で繊細な映像を獲得した。ただ、それに匹敵するマルチチャネルサウンドの音があったかと言うと、放送ではMpeg2AAC、DVDではドルビーデジタル、DTS止まりだった。それが、BDやHD DVDでは、比圧縮のPCM、ロスレスのTruHDによるマルチチャンネル音声が加わって、オーディオのクオリティが一気に上がり、ハイビジョン映像と拮抗できるようになりました。

映画では、映像と音声の緊密な関わり合いから、足し算ではなく掛け算の効果が得られます。最近観たスタンリー・キューブリックのBD5作品では、それを実感しました。「2001年宇宙の旅」は、HD放送で何度か見ましたが、今回のBDを、リニアPCM5.1チチャネルで再生すると、放送では得られぬ感動が湧いてきました。

例えば、人猿が骨を投げ上げ、それが宇宙船の映像に変わる有名なシーン。そこではカラヤン指揮のシュトラウスのワルツが流れるのですが、今まで、これだけ歪みなく、美しく聴けたことはなかった。その瞬間、涙が噴きだしました。規模が大きくかつ緻密な映像と、美しい音楽の相乗効果が極まった瞬間です。その感動って凄いですよ。

その感動は、封切時に近い、あるいは、それを超えるものでした。これって画期的なことですよね。映画館よりいい映像が見られる、それが生み出す感動を独占できるっていうのは。この楽しみは、皆さんにぜひ味わって頂きたいと思います。

山之内 キューブリックが映像にどれだけこだわる監督かということは言うまでもないですが、あの宇宙ステーションが最初に映る非常に印象的なシーンですね。おっしゃったとおり、映画を昔スクリーンで見たときそんなに宇宙空間での感動はなかったんですよ。これは不思議なところで、監督が意図したものは、実は今BDで見ている世界の方が深い場合もあり得るという経験を私も実際にしました。これは面白いことですよね。

僕は舞台芸術が好きなので、オペラにせよコンサートにせよクラシックの映像に親しむんですけれど、これはこれから趣味の領域で大きく成長していくひとつの分野だと思っているんですね。DVDの時は画にちょっと不満があったし、音も圧縮音声だった、そこに次世代がきて映像がハイビジョンになった。そしてやや時間差はありましたけど、音も基本的にHDになって、ロスレスになった。そうすると最近気づいたんですが、見ていて疲労が少ないんですよね。

で、映画はセリフもあり効果音もありということで、一見派手であれば表現が深いように勘違いしていた。ところが実は、派手さではなくてやっぱりリアリティなんです。

貝山 そうですね。

山之内 音楽もそうなんですね。音楽もマルチチャンネルで聴くと、実は疲れない。ステレオの方が落ち着くという方もいるでしょうけれど、私はSACDのマルチチャンネルの音源を聴いていると、ステレオに戻したときに逆にストレスを感じます。限られた狭い世界になるという印象で。そういうことはマイナスの意味で言っているのではなくて、表現として進化してきているんだということが言えると思います。

貝山 今おっしゃったようなことで言えば、僕はこれがきっかけになって、いわゆるピュアオーディオとAVとの間の垣根が破れると思っているんですよ。これまで映像やマルチチャンネルに対する偏見が、特にメーカーの中に根強くあったわけです。画も何にもないオペラをわかったような顔して聴いていた、それは昔の4チャンネルを引きずった世代の人たちです。映像ソフトによって、初めてオペラというものが大衆のものになってきた。今まで批評家だって全部見られるわけじゃなかったし、歌舞伎と同じように視覚で捉えなければ絶対にわからない何かがあるわけです。それを音だけで聴いて神聖視してもしょうがないですよね。それでは楽しみの10分の1も味わってないと思う。もちろん音だけで想像しながら聴くのもいいけれど、それ以上に画のついたオペラというのは楽しいですよ。そういう楽しみを大勢の人がどんどんわかってくるようになるというのは、すごくいいことだと思っているんです。


繊細な映像、繊細な音で大きな感動を味わう

―― AVとは結局、コンテンツをどう楽しむかということですね。どういう感動を求めようとするかということ。AVの技術の進化によって、これから楽しい世界がどんどん拡がっていくわけですが、この楽しみをもっと広く一般の方々に知っていただくために、我々は何をしなくてはいけないのでしょうか。

山之内 私の持論としては、まず一番いいものを体験するのが先決ですね。中途半端なものを体験するくらいなら、しない方がいいかもしれない。まず映像の楽しさや音楽の深みを理解するには、一番いいものやそれに近いものを体験するのが、結局は近道ではないかと思います。


貝山 もうひとつ忘れてはいけないのは、教育という視点です。子どもだって視覚は大人と同じですし、テレビというのは今生まれてくる子にとって、あるいは胎内にいるときから何かを感じ取れる存在なわけです。嘘をついた映像は、子どもにもすぐわかる。そのくらい映像は強力な存在であり、諸刃の剣的な危険もありますが、私の信念の中ではとにかく、できるだけ小さいうちから繊細な映像を見せなさいということなんです。

僕は、たとえば悲しい映像であろうと残酷な映像であろうと、子どもに見せるべきだと思います。子どもがこれから生活する中で必ず出くわすこと、たとえば両親が亡くなってしまうような悲しいこともあります。そういう不幸に立ち向かえる人間を育てるべきだと、そのために不幸は若いうちに知ってしまった方がいいというのが私の信念なんです。

たとえば映画でも、童話でもアニメでも何でもいい、とにかくそういうものを通して不幸を知る。知るときにはできるだけ繊細な、ナイーブな状態で知る。で、ナイーブにさせてくれるのはやっぱり画が非常に緻密なもの、音楽でも決して刺激音が耳につかずにきちんと伝えてくれるもの。そういうものを、しっかりと再生できる機器で味わうにこしたことはない。それを説いていく側面が、ジャーナリズムのひとつの責任として僕はあると思う。そこで弱気になって、これは娯楽なんだから安い機器でもいいじゃないかということに結びついてしまうと、ハイエンドの指向性がなくなってしまう。

僕の実感として、買おうとする人達にこういうことを言うと、わかる方が結構いるんです。そう言う意味で需要をひっぱっていくことは必要だと思う。

山之内 さらにそれを提供する場ですよね。講演会や試聴会にいらしてくださる方は、もともといい映像やいい音に対する要求が高いから理解していらっしゃるし、話が通じやすい。もっと拡げて、ごく一般的に店頭にいらっしゃる方にとっては、その違いがわかるような場を提供してもらわないと、よさがわかりにくいですよ。

ただ一旦その場が提供されれば、人間の目も耳も凄い感度をもったセンサーなので、必ず違いに気がつくんですよね。ところが違いに気がつきにくい環境にあると、どうしても安い方に、手軽な方にと指向してしまう。そこのところが肝心ですし、販売店の売り場というのは最前線として大変重要な場ですよね。

一番進んだテクノロジーや文化の最先端にあるものとして、劇場や映画館もありますが、間接的なものとして私たちに一番近いのがディスプレイやオーディオの再生装置であって、それが置いてあるところが店頭です。そこの環境が、今言ったように人間のセンサーの感度に見合うものであるかどうかということですね。残念ながらそうなってはいないケースが多いですけどね。

貝山 放送でもそうですが、今ハイビジョンが基準になっていると思うんですよ。ハイビジョンにおいて演技の何が変わったかというと、そんな大きな芝居をしなくてもいいわけです。誰かに見つめられて胸がポッと赤くなる、毛細管が花開くような感じが出れば、それだけでいいんですよ。ハイビジョンだったらそれが捉えられるのですが、曖昧なテレビで見たらわからない。演じている側がせっかくそれだけのことをやっているのだから、それをフルに味わうためにはハイビジョンの機器は必要です。

古い映画を見たときにも、何度も見たはずなのに新しい発見があるんですね。これはこういうことだったんだとか、ここでこれだけお客にわからせようとしていたんだとか、ハイビジョンになって初めてわかることが多いんです。音楽でもそうです。最近、表現そのものが緻密になりましたよね。


山之内 従来はどちらかというと迫力であるとか、圧倒するような力や美であるとか、言ってみれば大げさな表現で盛り上げているところもかなりある。ところが今の演奏のスタイルはそうでなくて、作曲家の意図に非常に忠実な演奏が増えてきていますよね。私たち鑑賞する立場としても、そこをくみ取ることが一番楽しいわけです。

昔はその表現が非常に限られていたと思うんです。オーディオにしても、ダイナミックレンジも狭いですから、ある程度聞き手の側が補う必要があった。それが行き過ぎると、聞き手が自分のイメージを勝手につくっていくことになる。そして自分のイメージに対してどれだけ近いかが尺度になってしまい、リアルはどこかへ行ってしまうんですよね。

貝山 日本では、価値観を判断するのに、芸術性であるとかストーリーの強さとかを重視しがちです。僕の頭の中には最初からそういう基準はないんですよ。映画も流れだし、音楽も流れなんです。いいメロディをきちっと出せばいい演奏ができるように、映画もひとつの流れというものを出せばいいと思っています。ここからは見る側にゆだねる。そのためにハイビジョンというのは非常に効果がありますね。

事実いい機械を使って見ていると、背筋が震えるほどの感動が訪れます。一度それを味わってしまうと、もう元には戻れないというくらい強いものになる。

山之内 流れという言葉で表現されていましたけど、その中にはいろいろな要素があります。映像というのは具体ですから、色も階調も、それは物理的なひとつの重要な表現です。その積み重ねがあいまいになったり、歪曲されたりすると、作り手が本来伝えようとしたものが何分の一も伝わらなくなります。音も同じだと思いますが、やはりいい装置でみる重要性は、決して侮ってはいけないですね。

貝山 機器で言えば、2007年はハイビジョン再生が大過なくできるようになった。まだ完成したという言い方はしたくないですが、かなり近づいたという年だったと思います。各社のテレビが、非常に質が揃ってきました。そこに我々も少しは貢献したかと思っているんですけれど。2008年はさらにそれを進めていっていただきたいと思います。


(特別対談「第2回」に続く)

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