佐藤良平が見た「PDX-Z10」− さまざまなソースをより良く聴くために追求を重ねたモデル
多彩なソースをマルチに楽しむことができるパイオニアのマルチミュージックレシーバー「PDX-Z10」。本機の持つ意義を、佐藤良平氏が分析する。
■ある意味で日本のオーディオの将来を決めることになるかも知れない、興味深いモデル
PDX-Z10はパッケージソフトの再生を主眼とする既存のオーディオと、PCやネットを中心とする新しいスタイルのオーディオの両者を包含する「第三のオーディオ」を提唱するハードである。オーディオのビギナーであれば本機を中心としたシステムで満足感を得られるはずであり、すでにオーディオの経験を積んだリスナーにとってはネット環境に対応したサブシステムの中核として有用な選択肢になる。今のところ国内ではワン・アンド・オンリーの存在だが、このような製品を内心で求めていた人も多いのではなかろうか。
Z10のように新しいジャンルを築くような製品を他社に先駆けて発表するのがパイオニアというメーカーの面白いところだ。社名の通り、開拓者精神にあふれた企業ポリシーである。この「ヤマっ気」とも言える気風が時に大当りを生む。過去を振り返れば、最大級の大当りがレーザーディスク(LD)であったことは間違いない。テープメディア全盛時代にあって一歩先を行くビデオディスクに先鞭を着け、高画質/高音質ソフトで世界標準規格となり、DVDやブルーレイへ通じる基盤を形成したのは日本の誇りと言ってよい。
筆者はLDによって掛け替えのない楽しさを味わった世代の人間だ。LDという巨大なムーヴメントを顧みて思うのは、パイオニアがLDを主導したことは本当にラッキーだったという事実である。音が専業の同社にとって映像信号や映像ソフトを大量に扱うのは初めての経験だったはずだが、後発のハンディを跳ね除けてLDが一流の映像フォーマットに成長できた理由は何だったのか? それは、同社が映像信号を単にスペックだけ見て判断するのではなく、スペックに表れない部分にまで踏み込んで尊重すべきであることを知っていたからだと筆者は考えている。それは紛れもなく、LD以前に長いあいだ音声信号を扱っていた時に築いた方法論の応用であった。もし他のメーカーがLDを主導していたら、おそらくLDはぜんぜん別の経路を辿って進化したに違いない。そこには、パイオニアがやったような改革、たとえばLDにCDと同クラスのデジタル音声を載せるとか、マスタリングやディスク製造工程のコントロールによって画質や音質を総合的に改善するといった取組みはなされなかった可能性がある。オーディオメーカーが映像を扱う意義が明確に読み取れた。
そうしたオーディオメーカーとしての実績はZ10にも引き継がれている。音楽を乗せた信号をどう扱ったらよいのか、単なるデジタル信号としての扱い以上のトリートメントを行うことによって一体どのような成果が出るのか、パイオニアは知っている。それはパソコンメーカーが今日に到るまで殆ど尊重しなかった領域だ。筆者がいまだに音楽を聴くための道具としてPCに信頼を置かないのは、それらが本来的に音楽を扱うことを目的として作られていないと感じるからである。言い方は悪いが、彼らは音楽信号を単にスペックでしか捉えておらず、測定結果に表れないファクターは存在しないかのように考えているのではないか。たとえ測定結果は同じでも、どこでアースを取るのか、どこの会社が作ったコンデンサーを使うのかで音は変わる。そういったアナログ的なオーディオの基礎をPCメーカーの人間がオーディオ専業メーカーに勉強しに来たという話は、寡聞にしてあまり聞かない。とても残念なことだと筆者は思う。不要輻射をだだ漏れのまま放置している問題ひとつ取っても、一般的なPCがオーディオの範疇に仲間入りできないことは明らかだ。
PCは「何でもできる」という幻想をユーザーに与えることで売上げを伸ばしてきた。しかし、何でもできるということは何をやっても中途半端になるのと同義である。あれだけ多機能なOSを積んでいても、その機能を100%使っているユーザーは稀だろう。だとすれば、使っていない機能はコスト面でも性能面でもムダにしかならない。それに比べると、音楽再生に特化したオーディオ機器の場合はハードに盛り込まれた機能の大部分が日常的にフルに近い状態で稼働するから、トータルで考えればムダが出にくいと考えられる。
Z10の持ち味は「より良く音楽を聴く」という一点に機能を絞り込んだところにある。DVD再生機能を積むのは容易であったはずだが、積んでいない。映像出力端子を装備すればモニター上にメニューを映して操作できるから楽であるに決まっているが、それもやらない。本体の前面パネルに必要最小限のサイズの表示部があるきりだ。すべて音質を優先した結果である。現在考え得る限りの多様なデジタル信号に全方向的に対応しつつ、枝葉を切り落し、良質な音のみを呈示する。そこには確固たる美学がある。外観は多機能を誇示せず、操作部が目立たないデザインに徹したのも、そうした哲学の表われだと感じた。
SACDを除けば、Z10が扱う信号のスペックは決して高くない。そこに不満を覚える人もいるに違いない。より高いスペックに対応するのがオーディオの目指すべき道だという考え方もある。しかし、この点でも筆者はZ10の設計の「見切りの良さ」を評価する。高スペックの音楽配信は現時点でまだ先行きが不透明だ。将来性はあるが、順調に発展しないという負の可能性もある。Z10は「入手可能な現行の音楽信号を過不足なく扱える」そして「扱うからには可能な範囲内で最高のトリートメントを行う」との発想で設計されている。デジタルアンプを採用したのは、ディスク再生系から始まって全てのステージで厳密なクロック管理を行うためだと知って合点がいった。仮にユーザー個人が本機と同じことをやろうとすれば、かなりの専門的な知識と経験、それに決して少なくないコストが必要になるだろう。しかも、パイオニアが長年にわたって蓄積してきたオーディオ的ノウハウに追いつけるという保証はない。本機の完成度を達成するのは容易でないはずだ。
こうしたスタイルのハードウェアは事実上Z10が国内で初となる。しかしヨーロッパでは事情が異なり、本機と類似した製品が山ほど売られていて、すでに一つの市場として確立しているのだと現地に詳しい人から伺った。彼の地では音楽を聴く時の手段が日本と違う道筋で進化しているわけだ。もともとヨーロッパにはアンプとチューナーが合体したレシーバーの人気が伝統的に高いという素地がある。そこへ持ってきてネットやデジタルに対応する最新機能を加えたと考えれば、この話にも頷ける。同様な製品ジャンルが日本でも成立するかどうかは、一にかかってZ10の売行きが決めることになるだろう。ある意味で日本のオーディオの将来を決めることになるかも知れない、興味深いモデルだ。
【執筆者プロフィール】
佐藤良平 SATOH,Ryohei
1964年、秋田市生まれ。音楽ソフトの品質に特化して研究を続けている、世界的に見ても珍しい文筆業者。「季刊オーディオアクセサリー」(音元出版)、「ヘッドホンブック」(音楽出版社)など多数の雑誌やウェブで活躍している。
■ある意味で日本のオーディオの将来を決めることになるかも知れない、興味深いモデル
PDX-Z10はパッケージソフトの再生を主眼とする既存のオーディオと、PCやネットを中心とする新しいスタイルのオーディオの両者を包含する「第三のオーディオ」を提唱するハードである。オーディオのビギナーであれば本機を中心としたシステムで満足感を得られるはずであり、すでにオーディオの経験を積んだリスナーにとってはネット環境に対応したサブシステムの中核として有用な選択肢になる。今のところ国内ではワン・アンド・オンリーの存在だが、このような製品を内心で求めていた人も多いのではなかろうか。
Z10のように新しいジャンルを築くような製品を他社に先駆けて発表するのがパイオニアというメーカーの面白いところだ。社名の通り、開拓者精神にあふれた企業ポリシーである。この「ヤマっ気」とも言える気風が時に大当りを生む。過去を振り返れば、最大級の大当りがレーザーディスク(LD)であったことは間違いない。テープメディア全盛時代にあって一歩先を行くビデオディスクに先鞭を着け、高画質/高音質ソフトで世界標準規格となり、DVDやブルーレイへ通じる基盤を形成したのは日本の誇りと言ってよい。
筆者はLDによって掛け替えのない楽しさを味わった世代の人間だ。LDという巨大なムーヴメントを顧みて思うのは、パイオニアがLDを主導したことは本当にラッキーだったという事実である。音が専業の同社にとって映像信号や映像ソフトを大量に扱うのは初めての経験だったはずだが、後発のハンディを跳ね除けてLDが一流の映像フォーマットに成長できた理由は何だったのか? それは、同社が映像信号を単にスペックだけ見て判断するのではなく、スペックに表れない部分にまで踏み込んで尊重すべきであることを知っていたからだと筆者は考えている。それは紛れもなく、LD以前に長いあいだ音声信号を扱っていた時に築いた方法論の応用であった。もし他のメーカーがLDを主導していたら、おそらくLDはぜんぜん別の経路を辿って進化したに違いない。そこには、パイオニアがやったような改革、たとえばLDにCDと同クラスのデジタル音声を載せるとか、マスタリングやディスク製造工程のコントロールによって画質や音質を総合的に改善するといった取組みはなされなかった可能性がある。オーディオメーカーが映像を扱う意義が明確に読み取れた。
そうしたオーディオメーカーとしての実績はZ10にも引き継がれている。音楽を乗せた信号をどう扱ったらよいのか、単なるデジタル信号としての扱い以上のトリートメントを行うことによって一体どのような成果が出るのか、パイオニアは知っている。それはパソコンメーカーが今日に到るまで殆ど尊重しなかった領域だ。筆者がいまだに音楽を聴くための道具としてPCに信頼を置かないのは、それらが本来的に音楽を扱うことを目的として作られていないと感じるからである。言い方は悪いが、彼らは音楽信号を単にスペックでしか捉えておらず、測定結果に表れないファクターは存在しないかのように考えているのではないか。たとえ測定結果は同じでも、どこでアースを取るのか、どこの会社が作ったコンデンサーを使うのかで音は変わる。そういったアナログ的なオーディオの基礎をPCメーカーの人間がオーディオ専業メーカーに勉強しに来たという話は、寡聞にしてあまり聞かない。とても残念なことだと筆者は思う。不要輻射をだだ漏れのまま放置している問題ひとつ取っても、一般的なPCがオーディオの範疇に仲間入りできないことは明らかだ。
PCは「何でもできる」という幻想をユーザーに与えることで売上げを伸ばしてきた。しかし、何でもできるということは何をやっても中途半端になるのと同義である。あれだけ多機能なOSを積んでいても、その機能を100%使っているユーザーは稀だろう。だとすれば、使っていない機能はコスト面でも性能面でもムダにしかならない。それに比べると、音楽再生に特化したオーディオ機器の場合はハードに盛り込まれた機能の大部分が日常的にフルに近い状態で稼働するから、トータルで考えればムダが出にくいと考えられる。
Z10の持ち味は「より良く音楽を聴く」という一点に機能を絞り込んだところにある。DVD再生機能を積むのは容易であったはずだが、積んでいない。映像出力端子を装備すればモニター上にメニューを映して操作できるから楽であるに決まっているが、それもやらない。本体の前面パネルに必要最小限のサイズの表示部があるきりだ。すべて音質を優先した結果である。現在考え得る限りの多様なデジタル信号に全方向的に対応しつつ、枝葉を切り落し、良質な音のみを呈示する。そこには確固たる美学がある。外観は多機能を誇示せず、操作部が目立たないデザインに徹したのも、そうした哲学の表われだと感じた。
SACDを除けば、Z10が扱う信号のスペックは決して高くない。そこに不満を覚える人もいるに違いない。より高いスペックに対応するのがオーディオの目指すべき道だという考え方もある。しかし、この点でも筆者はZ10の設計の「見切りの良さ」を評価する。高スペックの音楽配信は現時点でまだ先行きが不透明だ。将来性はあるが、順調に発展しないという負の可能性もある。Z10は「入手可能な現行の音楽信号を過不足なく扱える」そして「扱うからには可能な範囲内で最高のトリートメントを行う」との発想で設計されている。デジタルアンプを採用したのは、ディスク再生系から始まって全てのステージで厳密なクロック管理を行うためだと知って合点がいった。仮にユーザー個人が本機と同じことをやろうとすれば、かなりの専門的な知識と経験、それに決して少なくないコストが必要になるだろう。しかも、パイオニアが長年にわたって蓄積してきたオーディオ的ノウハウに追いつけるという保証はない。本機の完成度を達成するのは容易でないはずだ。
こうしたスタイルのハードウェアは事実上Z10が国内で初となる。しかしヨーロッパでは事情が異なり、本機と類似した製品が山ほど売られていて、すでに一つの市場として確立しているのだと現地に詳しい人から伺った。彼の地では音楽を聴く時の手段が日本と違う道筋で進化しているわけだ。もともとヨーロッパにはアンプとチューナーが合体したレシーバーの人気が伝統的に高いという素地がある。そこへ持ってきてネットやデジタルに対応する最新機能を加えたと考えれば、この話にも頷ける。同様な製品ジャンルが日本でも成立するかどうかは、一にかかってZ10の売行きが決めることになるだろう。ある意味で日本のオーディオの将来を決めることになるかも知れない、興味深いモデルだ。
【執筆者プロフィール】
佐藤良平 SATOH,Ryohei
1964年、秋田市生まれ。音楽ソフトの品質に特化して研究を続けている、世界的に見ても珍しい文筆業者。「季刊オーディオアクセサリー」(音元出版)、「ヘッドホンブック」(音楽出版社)など多数の雑誌やウェブで活躍している。