試聴・文/山之内 正 Tadashi Yamanouchi

一度聴いただけでその印象が何年にもわたって記憶にとどまるような優れた音と出会うチャンスは、滅多にあるものではない。スピーカーに限ってみると、せいぜい片手で数えられる程度に絞られてしまう。Signature Diamondの音は、その数少ない例の一つとして私の記憶にとどまり続けることになるだろう。

海外のハイエンドオーディオショーに続き、マランツの試聴室でじっくり聴く機会を得た。プレーヤー、アンプともにマランツのフラグシップと組み合わせての試聴である。

メサイア』[1742年ダブリン初演版] バット&ダンディン・コンソート&プレイヤーズ(¥3,560 LINN RECORDS CKD285)

最初にヘンデルの『メサイア』(リンレコード)を聴く。まず、音が出る直前の気配がこれまで体験してきた空気と本質的に違うことに気付く。

大きいが巨大ではない空間のなか、オーケストラ全員が一斉に息を吸った。

その次の瞬間、静かに、しかし決然と最初の音が出る。弦楽器とチェンバロの弦が同時に発音し、やがてテンポを上げ、次々に音が重なっていく。どの音に注目しても、音色、長さ、音程いずれもまったくぶれがなく、立体的な空間精度もきわめて高い。

ここまでくれば、Siginature Diamondが非凡な性能をそなえていることを疑う余地はない。しかし、スピーカーの存在を意識しているのはそのあたりまでだ。独唱が歌い始め、その余韻が消えたか消えないかのタイミングでオーケストラがスーッと入ってくる頃には、再生システムから意識が離れて、演奏そのものに100%集中していることに気付くのである。

もう一度スピーカーに意識を戻して分析を試みる。オーディオ用語で表すと声も楽器も音像のフォーカスがまったくぶれず、音の立ち上がりがピタリと揃いつつ、消える瞬間にも一切の余計な音を出さない。過渡応答がきわめてなめらかで、すべての音域にわたって歪みが非常に少ない。スピーカーの特性を語るうえで基本中の基本の要素ばかりだが、それがなかなか実現できないのが現実なのだ。

曲が進むにつれ、意識は再び演奏そのものに集中していく。それにしてもなんと優れた録音だろう。オーケストラの全奏に重なっているにも関わらず、独唱者の言葉は単語の最後の一音が完全に消えるまで鮮明に聴き取れるし、その時に空中に浮かぶ音のイメージは完全に原寸大で、大きすぎず、小さすぎることもない。合唱の全パートとオーケストラのすべての楽器が有機的に響き合って、それぞれが互いの音を聴き合ってハーモニーを作り出していることが聴き手にもありのままに感じられる。目の前のステージに演奏者が並んでいる劇場やコンサートホールならともかく、オーディオ装置で間接的に聴いているだけなのに、なぜそこまで意識が及ぶのだろうか。

次に聴いたヴァント/北ドイツ放送響の『英雄』(BMG)は、この演奏が目指す響きの本質が冒頭の和音からいきなり明確に提示される。少しずつ盛り上げるといった中途半端なことはしない。最初の一音から完全な変ホ長調の和音をこれ以上はないというほどクリアに響かせ、その和音を繰り返すことで作られた3拍子のリズムの力学で第一楽章の最後まで一気に突き進む。途中で立ち止まって余韻にふけったり、ゆったりと休みを取ったり、テンポを落として重さを作り出すような演出とはまったく縁がない。ベートーヴェンはこういう音楽を目指していたのかと、驚くほど素直に納得させてくれる演奏である。
SACD 5枚組ボックスセット『ベートーヴェン:交響曲全集 ギュンター・ヴァント&北ドイツ放送響』(BVCC-37473~77 ¥10,500(税込))

この曲でも最初から演奏の話になってしまったが、聴き手を音楽に集中させる方向に導くことが、やはりSignature Diamondというスピーカーの最大の特徴なのだろう。弱音で吹く木管楽器の和音を聴きながら、個々の演奏者が自分が受け持つ音の音量をリアルタイムで絶妙にコントロールし、耳で聴きながら最良の響きを作り出していることに気付かされる。ホルンが旋律を朗々と鳴らしている背後で弦楽器と木管楽器が8分音符や16分音符の細かい動きで和音を響かせている様子など、映像として奏者の動きが目に浮かぶほどのリアリティで迫ってきた。

Signature Diamondの音は、楽器を演奏し、声を出している生身の人間の存在を驚くほど自然に浮かび上がらせるスピーカーである。聴いていて鳥肌が立つような感動は生身の人間を前にしたリアルの世界ではたびたび体験するが、再生装置を通してしまうとその感動の深さがどうしても浅くなってしまう。しかし、このスピーカーと付き合い始めると、その常識を疑う必要がありそうだ。ここまでのリアリティを再現できるとは正直予想していなかったので、最初は少々とまどったことはたしかである。だが、「聴きたかったのはこの音だ」という結論を出すまで、ほとんど時間はかからなかった。

山之内 正 Tadashi Yamanouchi

横浜市出身。東京都立大学理学部卒。在学時は原子物理学を専攻する。出版社勤務を経て、音楽の勉強のためドイツで1年間過ごす。帰国後より、デジタルAVやホームシアター分野の専門誌を中心に執筆。趣味の枠を越えてクラシック音楽の知識も深く、その視点はオーディオ機器の評論にも反映されている。