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連載:世界のオーディオブランドを知る(4)オーディオの“イノベーター”であり続ける「LINN」の歴史を紐解く
これまでに多くの世界的なオーディオブランドが誕生してきているが、そのブランドがどのような歴史を辿り、今に至るのかをご存知だろうか。オーディオファンを現在に至るまで長く魅了し続けるブランドは多く存在するが、その成り立ちや過去の銘機については意外に知識が曖昧...という方も少なくないのではないだろうか。
そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第4回目となる本稿では「LINN(リン)」ブランドについて紹介しよう。
「私の夢は、他のどこを探しても手に入らない素晴しく音の良いミュージックシステムを作ることだった」。LINNプロダクツの創業者アイヴァー・ティーフェンブルンが創業40周年にあたり、初志を述懐した言葉である。
LINNはそのためにいかなる革新とリスクをも躊躇しなかった。並みいるイギリスのHi-Fiメーカーの中で後発だったが、いつのまにか先頭を走る存在となった。21世紀のオーディオはLINNによって開かれたといっていい。では、なぜLINNにそれが成し得たか...半世紀にわたるヒストリーを辿ってみよう。
1970年代半ば、日本のオーディオは頂点に達し、世界の中心はここにありとばかりわが世の春を謳歌していた。エレクトロニクスではソニーがアンプの完全なソリッドステート化を達成。ソースの分野ではデンオン(現・デノン)がPCM録音を実用化し、世界のどこよりも早くデジタルを掌中にしつつあった。
とりわけ、アナログプレーヤーの分野ではテクニクスがダイレクトドライブ方式を発明し、先導的立場にあった。しかし1974年、黒船襲来にもたとえられるオーディオ史上の事件がおきる。LINN「SONDEK LP12」(以下、LP12)が輸入開始されたのである。
アナログレコード爛熟期のこの時代、日本のレコードプレーヤーはバキューム吸着や糸ドライブ方式など百花繚乱だった。しかし、共通したことに、ハウリングマージンと円滑な走行を得るために、がちがちに固められたリジッドな筐体を持ち、重量を競い合っていた。
一方スコットランド製のアナログプレーヤーは、瀟洒な木枠に身を包み拍子抜けするほどコンパクト。そして驚くことに、ターンテーブルとトーンアームベース部がサスペンションスプリングに支えられて、メインシャーシから分離されフワフワと浮いていた。
日本のいかめしく重厚なプレーヤーが、スピーカー等の振動を「はねつける」のに対し、LP12は「いなす」「かわす」というアプローチを実践してきた。この発想の転換に最初は戸惑い、次に音を聴いて納得した。LP12の専門各誌の推奨理由は、ワウフラッター何パーセント以下でもハウリングマージンとシステムS/Nの高さでもなく、いちように「音質の良いプレーヤー」だった。国産製品がよすがとしたカタログ数値は、LP12の前に色褪せてしまったのである。
しかし、音質に秀でていたのは、必ずしも発想の転換によってではなかった。ライバルメーカー・マイクロ精機のエンジニアとしてLP12を迎え撃った西川英章氏(ステラヴォックスジャパン創立を経て、テグダスブランドのハイエンドアナログプレーヤー「エアフォース」を送り出す)は後年、当時を回想して、「LP12のスピンドル軸受部のベアリングの精度に驚愕した」と述懐している。逆転の発想の産物のプレーヤーは、一方でオーソドックスな性能追求の積み上げだったのである。
LP12を送り出したのが、創業者アイヴァー・ティーフェンブルン。1946年スコットランドの産業都市グラスゴーに生まれた彼は、大学で機械工学を学んだ後に父の遺した会社勤務を経て、1973年にリン・パーク近くのキャッスルミルク地区に自身の会社リン・プロダクツ・リミテッドを設立する。
オーディオの音質を決定するものはスピーカーというのが、当時のイギリスの常識だった。しかし彼は、音の入り口こそが最も重視されるべきだと考えた。精密機械の知見を注ぎ込み、長時間メディア(12インチLP)から最大限の音楽情報を引き出すターンテーブルシステム、LP12が誕生。音楽産業のメッカにしてHi-Fiの中心地イギリスの耳を魅了した。LP12が常識を覆したのは日本だけでなかったのである。
LINNの最初のスピーカーシステム「Isobarik」は、LP12の翌年1974年に発売される。アイヴァー・ティーフェンブルンが次のプロジェクトに音の出口を選んだことは当然のなりゆきだが、アクティブクロスオーバーとの使用を前提とするパッシブクロスオーバーを内蔵しないモデルをすでにラインナップしていた事実に、LINNが理想とするスピーカーの形式が現れていた。
LP12の世界的好評を受けて、1970年代終わりから80年代半ばまでLINNの活動は、カートリッジ「Asak」(MC型)、「Basik」(MM型)、ダイレクトカップルドトーンアーム「Ittok LVII」はじめプレーヤー周辺機器の開発に費やされ、1981年にLP12のアップグレードキット「Nirvana」、翌年には水晶発振制御による高精度電源「Valhalla」を発売。オープンアーキテクチャー・コンセプトが早くもこの時期に実現していたのである。
リンは1985年に満を持してエレクトロニクスに進出する。プリアンプ「LK1」、パワーアンプ「LK2」。注目すべきことに、すでにLK1は半導体素子とラダー抵抗を使ったボリュームシステムを採用している。音量調整や入力切り替え等をすべてリモコンに任せることに躊躇していない。パリのポンピドゥー・センターやロンドンのミレニアム・ドームで知られる、リチャード・ロジャース設計による新本社工場の竣工もこの時期のこと。
1990年代に入ると、オーディオビジュアルの隆盛、ホームシアターの台頭を背景に1994年、現代のマルチルーム機能を先取りしたシステム「Knekt」を他に先駆けて提案、翌年にサラウンドシステム “AV 51 シリーズ” 、翌々年にサラウンドプロセッサー「AV5103」を発売。レキシコン以来久々の海外製高音質サラウンドプロセッサーは、一味違う映画サウンドを志向するホームシアターファイルを魅了する。
欧州ことにイギリス圏のオーディオメーカーの特徴に、スピーカーならスピーカー、アンプならアンプの開発に徹した専業が多く、オーディオ全般を手がけるメーカーは少ないが、LINNはLP12の翌年にスピーカーさらにはアンプの開発に乗り出した。
その背景には、他社製品と組み合わせることでLINN製品の所期の特性、性能が得られにくいことがあるが、冒頭のアイヴァー・ティーフェンブルンの言葉から伺われるように、LINNでなければできないオーディオの実験と実践を、各ジャンルに拡張していったと考えるべきだろう。
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そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第4回目となる本稿では「LINN(リン)」ブランドについて紹介しよう。
「私の夢は、他のどこを探しても手に入らない素晴しく音の良いミュージックシステムを作ることだった」。LINNプロダクツの創業者アイヴァー・ティーフェンブルンが創業40周年にあたり、初志を述懐した言葉である。
LINNはそのためにいかなる革新とリスクをも躊躇しなかった。並みいるイギリスのHi-Fiメーカーの中で後発だったが、いつのまにか先頭を走る存在となった。21世紀のオーディオはLINNによって開かれたといっていい。では、なぜLINNにそれが成し得たか...半世紀にわたるヒストリーを辿ってみよう。
■LINN「SONDEK LP12」の衝撃
1970年代半ば、日本のオーディオは頂点に達し、世界の中心はここにありとばかりわが世の春を謳歌していた。エレクトロニクスではソニーがアンプの完全なソリッドステート化を達成。ソースの分野ではデンオン(現・デノン)がPCM録音を実用化し、世界のどこよりも早くデジタルを掌中にしつつあった。
とりわけ、アナログプレーヤーの分野ではテクニクスがダイレクトドライブ方式を発明し、先導的立場にあった。しかし1974年、黒船襲来にもたとえられるオーディオ史上の事件がおきる。LINN「SONDEK LP12」(以下、LP12)が輸入開始されたのである。
アナログレコード爛熟期のこの時代、日本のレコードプレーヤーはバキューム吸着や糸ドライブ方式など百花繚乱だった。しかし、共通したことに、ハウリングマージンと円滑な走行を得るために、がちがちに固められたリジッドな筐体を持ち、重量を競い合っていた。
一方スコットランド製のアナログプレーヤーは、瀟洒な木枠に身を包み拍子抜けするほどコンパクト。そして驚くことに、ターンテーブルとトーンアームベース部がサスペンションスプリングに支えられて、メインシャーシから分離されフワフワと浮いていた。
日本のいかめしく重厚なプレーヤーが、スピーカー等の振動を「はねつける」のに対し、LP12は「いなす」「かわす」というアプローチを実践してきた。この発想の転換に最初は戸惑い、次に音を聴いて納得した。LP12の専門各誌の推奨理由は、ワウフラッター何パーセント以下でもハウリングマージンとシステムS/Nの高さでもなく、いちように「音質の良いプレーヤー」だった。国産製品がよすがとしたカタログ数値は、LP12の前に色褪せてしまったのである。
しかし、音質に秀でていたのは、必ずしも発想の転換によってではなかった。ライバルメーカー・マイクロ精機のエンジニアとしてLP12を迎え撃った西川英章氏(ステラヴォックスジャパン創立を経て、テグダスブランドのハイエンドアナログプレーヤー「エアフォース」を送り出す)は後年、当時を回想して、「LP12のスピンドル軸受部のベアリングの精度に驚愕した」と述懐している。逆転の発想の産物のプレーヤーは、一方でオーソドックスな性能追求の積み上げだったのである。
LP12を送り出したのが、創業者アイヴァー・ティーフェンブルン。1946年スコットランドの産業都市グラスゴーに生まれた彼は、大学で機械工学を学んだ後に父の遺した会社勤務を経て、1973年にリン・パーク近くのキャッスルミルク地区に自身の会社リン・プロダクツ・リミテッドを設立する。
オーディオの音質を決定するものはスピーカーというのが、当時のイギリスの常識だった。しかし彼は、音の入り口こそが最も重視されるべきだと考えた。精密機械の知見を注ぎ込み、長時間メディア(12インチLP)から最大限の音楽情報を引き出すターンテーブルシステム、LP12が誕生。音楽産業のメッカにしてHi-Fiの中心地イギリスの耳を魅了した。LP12が常識を覆したのは日本だけでなかったのである。
■音の世界観を表現する総合メーカーへ
LINNの最初のスピーカーシステム「Isobarik」は、LP12の翌年1974年に発売される。アイヴァー・ティーフェンブルンが次のプロジェクトに音の出口を選んだことは当然のなりゆきだが、アクティブクロスオーバーとの使用を前提とするパッシブクロスオーバーを内蔵しないモデルをすでにラインナップしていた事実に、LINNが理想とするスピーカーの形式が現れていた。
LP12の世界的好評を受けて、1970年代終わりから80年代半ばまでLINNの活動は、カートリッジ「Asak」(MC型)、「Basik」(MM型)、ダイレクトカップルドトーンアーム「Ittok LVII」はじめプレーヤー周辺機器の開発に費やされ、1981年にLP12のアップグレードキット「Nirvana」、翌年には水晶発振制御による高精度電源「Valhalla」を発売。オープンアーキテクチャー・コンセプトが早くもこの時期に実現していたのである。
リンは1985年に満を持してエレクトロニクスに進出する。プリアンプ「LK1」、パワーアンプ「LK2」。注目すべきことに、すでにLK1は半導体素子とラダー抵抗を使ったボリュームシステムを採用している。音量調整や入力切り替え等をすべてリモコンに任せることに躊躇していない。パリのポンピドゥー・センターやロンドンのミレニアム・ドームで知られる、リチャード・ロジャース設計による新本社工場の竣工もこの時期のこと。
1990年代に入ると、オーディオビジュアルの隆盛、ホームシアターの台頭を背景に1994年、現代のマルチルーム機能を先取りしたシステム「Knekt」を他に先駆けて提案、翌年にサラウンドシステム “AV 51 シリーズ” 、翌々年にサラウンドプロセッサー「AV5103」を発売。レキシコン以来久々の海外製高音質サラウンドプロセッサーは、一味違う映画サウンドを志向するホームシアターファイルを魅了する。
欧州ことにイギリス圏のオーディオメーカーの特徴に、スピーカーならスピーカー、アンプならアンプの開発に徹した専業が多く、オーディオ全般を手がけるメーカーは少ないが、LINNはLP12の翌年にスピーカーさらにはアンプの開発に乗り出した。
その背景には、他社製品と組み合わせることでLINN製品の所期の特性、性能が得られにくいことがあるが、冒頭のアイヴァー・ティーフェンブルンの言葉から伺われるように、LINNでなければできないオーディオの実験と実践を、各ジャンルに拡張していったと考えるべきだろう。
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