巻頭言 学びとったこと / 和田光征 WADA KOHSEI
オーディオの低迷という背景もあったが、その主要因は旧態依然としたオーディオ協会の体質があったからに他ならない。古い体質から発想される様々なことは余りにも時代と遊離しており、魅力のないものになっていた。また、メーカーサイドも嫌気がさしていて、やる気がトップにいく程、失せていた。これは当然の帰結である。このことは、企業経営を推行するにあたって他山の石としなければならない。 さて、鹿井会長の登場によって様相は変わってきた。オーディオ協会の改革も進み、協会そのものを極めてスリムにし、低コスト化させている。オーディオ&AVファンのために協会はいかにあるべきか、業界発展に寄与するにはいかにあるべきかという本質を根っこにおいて改革し着実に成果を上げていった。 そんな中で「オーディオエキスポ」のようなイベントは不可欠との結論に達し、新体制の協会は「A&Vフェスタ2003」として開催することを決定した。2002年春のことである。 横浜という新しい地、或いは古いエキスポのイメージなどからメーカーは乗り気ではなく、冷ややかなものだった。それでも成功させよう、成功させなければならないという熱い思いが協会にはあった。 特筆すべきは平林実行委員会委員長はじめトップが連日、メーカートップを尋ね、参加を呼びかけたことである。それに呼応する者、様子を見る者、ノーという者、様々だったようだが、この行動は成功の原点となり、開催への大きなうねりへと変わっていく。 鹿井会長は「参加メーカー数がエキスポの時を超えて、賑々しいものになりました」と喜びの笑みをいっぱいにされ、「あとはどれくらいお客様においで頂くかです」と言われた。手ごたえを充分感じ取っての言葉だったように思う。 そして、予想以上の来場者で大成功を収め、祭典は終ったのである。 NHKのプロジェクトXではないが、私は「A&Vフェスタ2003」が成功する過程を劇的な思いで振り返っていた。そしてプロジェクトX的結論を導くと「…この成功は新たなる戦いの始まりとなった」というところであろうか。 この戦いを進めていくにあたって、業界は素晴しい財産を手に入れたことをエピローグとして付加しなければならないだろう。参加した人々が、我欲を棄て「A&Vフェスタ2003」の成功のために純粋にスクラムを組んだことである。 そして、そのことによって、成功という成果をお互いに享受できたことであり、業界が結束すればこんな素晴しいことを実現できるのだということを、学んだことである。 今度は「A&Vフェスタ2004」を大成功させるためのスタートを切って、力強く歩んでいきたい。
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