巻頭言
自然にかえる 人にかえる
和田光征
WADA KOHSEI
あけましておめでとうございます。
小泉劇場選挙での自民党大勝利で世の中の流れが一変しました。小選挙区制という制度が小泉首相の選挙手法をマーケティング手法へと変質させました。それはテレビを中心としたマスコミをフルに使っての広報活動、宣伝活動という商業主義的手法の多投で、見事に一億総白痴化を招来し、大勝利を得たのでした。とりわけ政治に疎い主婦と若者達をターゲットにワイドショーやホリエモンで投票所へ行かせ、無党派層を取り込んだことは見事の一言に尽きるでしょう。
当然ながら市場は歓迎し活況を呈し、今度はインターネットを駆使した一億総投資家現象を引き起こし、物づくりを忘却してしまったバブルの入口のようなムードが漂いはじめています。これも小泉首相の米国追随型市場原理主義への極端なシフトが根底に流れているからです。
従って、ファンドマネーが横行し、日本型資本主義を根こそぎ崩壊させ、あげくの果てに日本人の魂までもどこかへ行ってしまいました。
私は景気は回復してくるが高負担時代も選挙後到来すると言っていましたが、案の定、高負担政策の多投で個人も企業も悲鳴をあげています。取れるものはすべて財源化しようということでしょうが、その使い道は何も改革されていないのが実情ではないでしょうか。そうこうしている内に高齢者は病気もできないところまで追い込まれています。
小泉流は容赦のない弱肉強食的思考の具現であり、選挙時におけるファシズムそのもののスタンスといい恐ろしいものを感じてなりません。
私は大分県の山奥の生まれで、子供の頃は自然のふところで美味しい空気にたっぷりと抱かれながら育まれてきました。自然そのものの営み、そこに存在する人々、その事を単純に効率主義で片付けると、モノ思考になって、人心と関わりない形でのジャッジが成されてしまいます。それは都会的価値観で「苦労したでしょう」とか「大変だったでしょう」とか言うことでしかなく、意外と大変でも苦労でもない場合が多いのです。その分、自然の有難さを身も心にも染み込ませている、それが地方の一面でもあります。
今回の小泉劇場選挙での地方への対応は、まさに地方の有様を都会的効率主義で押し切るもので、結局は深く根をおろした地方的活性力を奮うものでもあると思います。都会主義的価値の押し付けは先進国が発展途上国に対応する傲慢さと似ているのではないでしょうか。
むしろ積極的な地方独立主義こそが重要であって、小泉都会主義の独裁的対応に憤りを覚えるのは私だけでしょうか。
ところで大分県だけが自民3、民主2、社民1でした。唯一の与野党拮抗県、それが村山首相をも生み出した、大分県の面白いところです。
小泉首相は9月に退任、次期首相が誰であろうと
恟と徳揩ニいう人間の根幹への揺り戻しが激しく起こると私は思います。
自然にかえる 人にかえる
そんな2006年の到来です。
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