巻頭言

雪国

和田光征
WADA KOHSEI


春立ちぬ。暦の上では立春の週末、越後湯沢へ行ってきました。3メートルを超える雪とは…。不謹慎と思いながらも記憶にとどめておきたい衝動にかられての旅でした。
昭和44年の3月、慰安旅行で水上温泉に行ったのですが、急行列車で降り立った温泉街は2メートルを超える雪の壁に埋まっていて、その凄さに驚愕して、突然の風邪に襲われ宴会の時には隣室で唸りながら寝ていました。高窓を見ると雪があって、こちらを見下ろしている。何とも不思議な思いにかられたのでした。
以来、大雪の場所に近づいていないことを見ると、この時の体験は余程、強烈だったのでしょう。出身地の大分では雪が舞ってくると、風に舞う桜の花を追うようにして、追いかけたものです。
 太郎を眠らせ雪ふりつむ
 次郎を眠らせ雪ふりつむ
夜半、雨が雪に変わると三好達治のこの詩のような思いで、朝日に映える雪景色を想像し胸躍らせていました。雪は白く田畑や木々を彩っていましたが、午前中には消えていました。
赤城、榛名、妙義の連峰を両サイドにして、限りない晴天と白い雲を見ていると新幹線は第1の随道へ突入し、一瞬にして雪のない景色が現れ、また随道へと突入し、もう一度雪のない風景が現れ、第3の随道を抜けると雪景色です。そして上毛高原駅を瞬時に後にするといよいよ全長22・2キロの大清水トンネルへ突入。随分と長い時を数え、車内アナウンスがあって曇天と白い風景がパッとひろがり、越後湯沢の街が迫ってきました。
 トンネルを抜けると雪国であった
 夜の底が白くなった
蒸気機関車の音と匂いをいっぱいに浴びて夜汽車が随道から現れるさまが胸に染み入りますが、上野から新幹線で1時間で現れる雪国、それも太陽はなく雪が降りしきっている風情もまた旅情をそそります。
とはいうものの家々が雪に沈んでいるのです。まずタクシーで川端康成が「雪国」を執筆するために逗留した高半に向かいました。さすがにメインストリートは水で雪を溶かす設備があって雪はありませんが、両側は3メートル余りの雪の壁でした。ホテルやマンションの屋上の段差にも雪が高く積もって、崩落するあたりの雪下ろしをしています。凄い雪です。
高半あたりから、苗場方面へ向かいます。「街道の湯」で暖まるためですが、その道路は吹雪と完全な雪の壁です。雪は相変わらずでやむ気配がありません。「こんな雪、はじめてですよ。一晩に50センチは積もりますからね。この辺りの人たちは紅葉が嫌いなんです。春が好きなんです。春を待っているんですよ」と、運転手さん。車外を見ると4メートル余りの雪の壁、その頂は風に吹かれて吠える獅子の姿をしている。
 メートルの 雪の頂 獅子となり
運転手さんの話では雪が完全に溶けるには例年より1ヵ月余りも遅い6月になるとのこと。立春という暦の上の春も雪国の人々の慰めになるのかもしれません。
 こどもらと 手まりつきつつ この里に
 遊ぶ春日は くれずともよし
越後人、良寛さんの歌を思い起こしながら車中の人となりました。

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