日本放送協会
理事

西山博一
Hirokazu Nishiyama

ハイビジョンを中心に
デジタル放送の魅力を
あまねくお届けしていく

地上デジタル放送のエリアが拡大し、BSデジタル放送受信機数も1200万台を突破する中、日本ではハイビジョンを日常的に視聴できる環境が整いつつある。その映像の美しさと音響の迫力が、大画面テレビはもちろん、レコーダーやサラウンドシステムなど、AV業界にとって大きなビジネスチャンスを生み出している。さらには、次世代の夢のテレビ「スーパーハイビジョン」の動きも活発になってきた。日本放送協会の西山博一理事に、デジタル時代の公共放送の取り組みを聞いた。

インタビュアー ● 音元出版社長 和田光征

放送を取り巻く動向を見極め、
新技術を先取りして、新たな放送文化の創造をリードすることが公共放送の役割

人間の目の特性から始まった
ハイビジョンの研究

―― 地上・BSデジタル放送が急速に普及する中、NHKが開発してこられた“ハイビジョン”がスタンダードになりつつあります。

西山 ハイビジョンの研究に着手したのは東京五輪が開催された1964年です。実用化に向け、さまざまな試行錯誤を繰り返してきた約40年間を振り返ると、現在のようにハイビジョンが当たり前のように見られる時代になったというのは感慨深いものがあります。 ハイビジョンは、リアルな臨場感を得るために人間にとって最適なテレビとはどのようなものか、ということをテーマに研究をスタートしました。画面の大きさやアスペクト比をどのくらいにするか、どのくらいの距離から見ると走査線が気にならないかなど、人間の視覚心理的な実験を繰り返しました。その結果、走査線1125本、アスペクト比16対9という、現在のハイビジョンが生まれたのです。
フルスペック化など、ディスプレイもさらに進化しているので、ますますハイビジョンの味わいも出てくるでしょう。

―― 地上デジタル放送も順調に放送エリアを広げています。

西山 03年12月から地上デジタル放送を開始して、現在まで計画通り進めてこられたのは、デジタル放送用の周波数を確保するためのアナアナ変更作業が順調に進んだことが大きいと思います。
地上デジタル放送は今年、全都道府県で始まります。年末までに全国の84%にあたる約3950万世帯でご覧いただけるようになります。エリアの拡大にあわせて、地上デジタル放送を広く視聴者の方々にご覧いただくため、デジタルの特長を生かしたさまざまなサービスを展開しなければなりません。その中核がハイビジョンなのです。

――  まさに映像の美しさが放送の普及のキーポイントということですね。

西山 NHKでは総合テレビの90%以上の番組をハイビジョンで制作・放送しています。今後とも、ハイビジョンの迫力や美しさを実感していただけるような番組を、視聴者の方々にお届けしていきます。


決して先の話ではない
アナログ放送停波まで5年半

―― 地上デジタル放送が順調に普及する一方で、近づいてくるアナログの放送停波についてはどのようにお考えになっていますか。

西山 2011年7月24日というのは決して先の話ではありません。私は、もう5年半しかないという思いです。それまでに地上デジタル放送の電波を全国あまねくお届けしなければなりません。先ほど述べました通り、今年末までに約84%まではカバーしますが、残りの16%をあまねくカバーするには、非常に多くの中継放送所を急ピッチで整備する必要があります。
それを達成するために、私は、常日頃から職員に対して“I(自分自身)”で何ができるかを考え、“We(皆)”で知恵を出しながら取り組んでいこう」と話しています。今後は、民放や国、自治体ともより一層協力して取り組んでいかなければなりません。 効率的な整備とともに、整備にかかるコストの削減も大きな課題です。アンテナや放送機など送信設備の建設にかかる費用は当初、約2000億円と試算していましたが、これを民放との共同建設や新技術の導入などにより、約1850億円まで圧縮できる目途が立ちました。今後も、コスト削減に向けた取り組みを続けていきます。

―― 山間部や島嶼部など受信困難地域の方々にも地上デジタル放送のメリットを享受していただかなければなりません。

西山 国の情報通信審議会第2次中間答申の中で、「あまねく」を達成するための補完策としてIPマルチキャストと衛星などによる再送信が提言されています。残り5年半という限られた期間を考えると、あらゆる補完的な施策について検討する必要があります。
先日、茨城県や岩手県で行われたIPマルチキャストを用いた地上デジタル放送の公共アプリケーション実証実験に、NHKも参加しました。今後、電波の届きにくいエリアに小電力の中継装置で再送信するギャップフィラーやワンセグと組み合わせた実験なども提案していく予定です。
補完的な手段で受けられるサービスは、通常の電波で受けられるサービスと異なるものであってはなりません。サービスの同一性・同報性は確保されるべきだと考えています。


5・1chサラウンドも
当たり前の時代になった

―― 地上デジタル放送は、ハイビジョンの高画質ということは多くの方がご存じですが、見落とされがちなのが、音質のクオリティの高さです。

西山 2月に開催されたトリノ五輪では、開閉会式とスケート競技とが5・1サラウンドで放送されました。実際に放送を見て聞いて感じたのは、サラウンドにするとリビングにいるのに、まるで会場にいるような臨場感が体感できるということです。この春の選抜高校野球でも初めて5・1サラウンドで中継します。ハイビジョンが当たり前になったことと同様に、5・1サラウンドも特別なものではない時代になってきました。
音の世界は、モノラルからステレオに、そして3―1サラウンド、5・1サラウンドへと進化してきました。後ほどお話しするスーパーハイビジョンは22・2ch立体サラウンドの世界です。
技術は、これまでのアナログ時代とは桁違いのスピードで、ドッグイヤーならぬマウスイヤーの速さで進化しています。放送を取り巻く技術動向や環境のめまぐるしい変化を見極め、先を読み、新技術を先取りして、新たな放送文化の創造をリードすることが、私たちの役割です。

―― トリノ五輪のスピードスケート中継では、選手に併走するレールカメラのハイビジョン映像が印象的でした。

西山 これまでのハイビジョン無線伝送では、信号圧縮による遅延(ディレイ)が避けられないため、無線伝送によるレールカメラと有線で接続されている固定カメラとの切り替えは、どうしてもタイムラグが生じ、併用は困難でした。今回、非圧縮で、直線だけでなくコーナー部分でも安定して送受信できる60GHz帯無線伝送システムを新たに開発し、スケートのスピード感と迫力ある映像をお届けできました。
オリンピックは、アスリートにとって大きな目標ですが、放送技術者にとっても技術開発の目標であり、刺激を受ける大きなイベントです。それに向けてどういう新技術を研究・開発していくのか、どういう斬新な映像や音響で視聴者の方々に感動を伝えられるのか、常に私たち放送技術者は考えています。
私は放送技術者の役割の基本には、大きく2つあると考えています。ひとつは、毎日の放送をあまねくお届けする「安定」です。安定した放送の運行、安定した電波確保があってこそ、視聴者からの確かな信頼が生まれます。2つめは新しい技術をどうサービスにつなげるかという「先見」です。2年後の北京オリンピックはもちろん、2010年のバンクーバー冬季五輪、2012年ロンドン夏季五輪で何ができるか、常に先を読んでプロジェクト体制を立ち上げていきます。

―― 6月に開かれるサッカーのワールドカップ・ドイツ大会が、ハイビジョンの普及に拍車をかけると期待されています。

西山 サッカーの醍醐味は11人の選手が流れるようにボールを動かし、ゴールを目指していくことです。ハイビジョンであれば、スタンドで観戦しているようにグラウンド全体を見渡すこともできますし、アップの映像では選手の表情、汗の流れ、味方に指示を出している様子まで分かります。今回のワールドカップでは、是非、その魅力を多くの人に体感していただきたいと思います。

―― 新しい技術のお披露目は予定されていますか。

西山 試合中継の国際信号を国際サッカー連盟(FIFA)のホスト放送機関(HBS)が制作します。NHKは、日本の視聴者の方々に、試合の様子をより楽しく、分かりやすくお伝えできるように、データ放送など、さまざまな工夫を凝らしていきたいと考えています。
今回のワールドカップでは、初めて全試合がハイビジョン制作になる予定です。先のトリノ五輪でも大部分の競技の国際信号が16対9というハイビジョンのアスペクト比で制作されました。今や、世界の放送でハイビジョンがスタンダードになった証だと思います。

―― 4月には、新しいデジタルならではのサービスとして「ワンセグ」が始まります。

西山 私は、ワンセグは爆発的に普及すると期待しています。今は携帯電話だけで電車に乗れたり、銀行でお金を下ろしたりできますが、ワンセグによってさらに「いつでも、どこでも」テレビが見られるようになります。
いつでも持ち歩けるワンセグは緊急災害時の情報入手に非常に有効です。現在、NHK技研で研究を進めているのが緊急災害時に携帯電話のワンセグテレビを自動的に立ち上げるウェイクアップ機能です。国民の生命・財産を守るという公共放送の使命を果たすのに、この機能は重要になっていきます。


「地理的」と「質的」のあまねくを
両立、デジタルデバイドを解消

―― ワンセグで放送するコンテンツはどのようなものをお考えですか。

西山 ワンセグの番組は地上デジタル放送のテレビと同じ番組(サイマル)ですが、データ放送では独自コンテンツを提供します。現在、予定しているのは、ニュース、気象情報や、台風・大雨情報のほか、通信機能を利用した番組関連情報などです。番組は当面サイマルですが、普及が進み、ニーズが高まれば、独自番組を検討していかなければならないと考えています。

―― 通信インフラの発達により、映像コンテンツをダウンロードして見たいときに見るという視聴スタイルも生まれてきています。

西山 デジタル技術の進化とともに、映像コンテンツを取り巻く環境も大きく変化しています。
これまでテレビはリビングなど、家族団欒で見るものという習慣がありました。今は、それがパーソナル視聴に変化してきています。さらにリアルタイム視聴がタイムシフト視聴に、固定視聴がモバイル視聴に、受動的な視聴がインタラクティブ機能を活用した能動的な視聴にと、視聴形態が多様化してきています。
このように、視聴形態が多様化し、さまざまな情報が氾濫するデジタル時代の中で、ツールを使いこなせるかどうか、また、有償の場合、コンテンツの対価を支払えるかどうかなど、入手できる情報に格差が生じる可能性が高まります。いわゆる情報弱者の方々に対するデジタルデバイドを解消して、すべての視聴者がデジタルのメリットや豊かな放送文化を享受できる環境を作っていくことが、これからの時代の私たち、公共放送NHKの役割だと考えています。
今後は、公共放送が果たす「あまねく」には、「地理的なあまねく」に加えて、いつでもだれでも、見たい時に見られる「質的なあまねく」を実現していくことが必要です。NHK技研で研究・開発している「人にやさしい放送」サービスもそのような発想から生まれています。

―― 具体的にはどのようなサービスを研究されているのですか。

西山 高齢者の方々を中心に、時間を延ばさずに、ゆっくり聞き取りやすい音声を提供する「話速変換サービス」やスポーツ中継など生番組も字幕放送を可能にする「生字幕サービス」などです。今後も、公共放送の役割として「質的なあまねく」に向けたサービスの充実を図っていきます。


愛・地球博で反響を呼んだ
スーパーハイビジョン

―― 現在、NHK技研が研究されている技術の中でとりわけ注目されているのが「スーパーハイビジョン」です。

西山 昨年、愛知県で開催された「愛・地球博」では約156万人の方々がスーパーハイビジョンを体感し、各方面から大変な反響をいただきました。今年4月には、ラスベガスで開催されるNAB(全米放送事業者協会)から出展要請を受け、世界の放送技術者にスーパーハイビジョンをご覧いただく予定です。
九州国立博物館には常設展示されておりますので、ぜひ直接、体感していただきたいと思います。
スーパーハイビジョンは走査線数が4320本で、ハイビジョンの16倍の情報量があり、その臨場感は「きれい」から「すごい」と見る方が驚かれます。現在はまだ情報量が多いため、放送としてのサービスを実現するには、まだまだクリアしなければならない技術的な開発要素があります。これを、一つ一つクリアして10年から20年後にはお茶の間にお届けできるよう、着実に研究を進めていきます。ハイビジョンの時もそうでしたが、放送サービスとしての実用化の前に、医療・印刷などの産業利用や、スーパーハイビジョンシアターなど、さまざまな応用が考えられます。
ハイビジョンをはじめ、世界で初めて実用化した衛星放送、薄型テレビとして普及しているPDPは、NHKの技術者、研究者の夢と発想力から研究・開発がスタートしたものです。今後も、豊かな放送文化の創造のために、新しい放送サービスの礎をさまざまな角度から探求し、切り拓いていきたいと考えています。

◆PROFILE◆

Hirokazu Nishiyama

1949年生まれ。1973年NHK入局。報道番組・音楽番組の制作や、ニュースの新送出システムの構築など、新時代を見据えた放送現場の技術制作や開発に従事。1989年NHKエンタープライズ(NEP)アメリカ副社長。1995年からNHK技術局、広報局、編成局にて、ハイビジョンやBS・地上デジタル放送などを推進。2004年技術局長を経て,2005年4月NHK理事に就任。技術関係総括、技師長代行。趣味は、スポーツ(ゴルフ、テニス、野球など)とガーデニング。最近は水中ウォークに凝っている。