巻頭言

天を相手にせよ

和田光征
WADA KOHSEI

いついつと まちしさくらの さきいでて
いまはさかりか かぜふけぞちらず

若山牧水の歌である。四季がはっきりしていた頃の堅調感と安心感、歓喜を感じる歌として、少年の頃から私の心奥で輝き続けている名歌である。昨今は四季がまさに不順であり、とりわけ今年はその異常さが恐ろしい程であった。昨年は6mの雪を見に越後湯沢に二度も行って、その凄さに驚嘆し、雪国の人達の「春よ来い」という思いの何たるかをしっかりと胸にしまって冬を越したのだった。  

ところが今年は一変して雪が無いのである。過去に例を見ない暖冬で雪国に雪がない風景が見られ、異常気象に、例によって恐い思いが連続する日々であった。  

従って、桜の花も「いついつとまちしさくら」なのに、そんな思い、そんな堅調感とは別に季節はずれに咲いて、風吹けぞ散らずという満開の一瞬の輝きとは裏腹に、あっという間に散りはじめてしまった。  

ところで私は小学校2年生の頃の担任の先生と文通をし、電話でお話しをさせて頂いている。もう卆寿のご高齢だが、声はしっかりされ、とても元気で、先生から送られてくる便りには必ず季節の押し花が貼付してあって、私をこのうえなく豊かにしてくれる。文面では季節の移ろいを春夏秋冬、書き添えてあり、その表現に少年の頃の四季と重ね併せて思いにふけるのである。  

やはり、先生の便りにも異常気象故の言葉が散りばめられることが多くなった。とりわけ、急に寒くなった時の表現で「…今日は救急車のサイレンが多かった…」が印象的であった。山奥の村で高齢化が極端に進んでいるところだから、寒暖の極端な変化は救急車の出動になるのである。  

先生の名は高山富美子先生。2年生の一年間だけだったが、ひとつひとつの言葉、対応が私のこころを創りあげるコアになっていた。人間にとって、そのひとの生き続けていくコアになる心性は、赤ちゃんの頃から創りあげられるのである。成長する過程において、それは心深く積みあげられ、哲学となって自ずと行くべき道を決め、そのことが己の歩みを導いてくれるのである。  

私自身にとって、高山先生との出会いはコアを熟成していく課程で、岩陰に産みつけた卵に、親魚がしきりに空気を送り込んでいく、そんな有り難いものだったのである。  

そして、いま、言葉を文と声とで交わしていること、変わらぬやさしさ、事象を観る確かさに、今もって鍛えていただいていると心から感謝しているのである。  

そうして創りあげてきた哲学から観ると、何はともあれ平和と博愛、そして業界の建設的な発展への思いと、その為の寄与である。4月3日より、4500万人が集まるヤフーのAV家電ページにファイル・ウェブがニュースを毎日送り続けることになり、幸いにアクセスランキングは絶えずベスト10の上位を占めている。また、小社発行の「アナログ」と「ホームシアターファイル」の中国語版が、6月より成長著しい中国語圏で発行されることとなった。「ビジュアルグランプリ」「オーディオ銘機賞」も中文で発表するので、中国でも話題を呼ぶことは間違いない。  

天を相手に 己を尽くす。  

これこそ、高山先生から教わった真理である。

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