巻頭言 政治の王道 和田光征 このところ考えさせられることばかり多い。その代表例は、参議院選挙で自民党が大敗し、民主党が第一党となり、二大政党論が言われて久しい中、二院を与党と野党が掌握し合う結果となったことだ。一院における二大政党ではないが、それはそれで意味があるのではないかと思う。 私は小泉前首相が行った改革については良しとしながらも、異を唱えている。それは「民のカマドはうるおっているか」が政治の大道であり、それに尽きるのではないかと思っているからである。民が幸せにならなければ、結果としていい国、美しい国とはいえない。 小泉政権で竹中大臣は、「日本には国際競争にさらされている海の国と、競争と無縁で非効率を温存する山の国が併存している」と断じ、とりわけ山の国に競争原理と自己責任を注入し続け、公共事業、補助金、地方交付税交付金を削除し、山の国は窮していった。勿論、山の国とは単に山村や地方ではなく、農業、建設、土木産業等にも通じる訳だから、窮していくのは当然である。 しかし、小泉政権、安倍政権が民の苦しみを本物の苦しみにしたことが問題なのである。強者と弱者、地方と中央等で極端な格差を生み出し、結局、弱者は苦しみの極みへと追い詰められている。その結果、年間三万人もの真面目な人達が自殺している。その要因の殆どが生活苦なのだ。 小泉前首相は「人生いろいろ」と言っていたが、人生をいろいろにさせるのが政治であり、それ故に民の幸せがベースでなければならない。深く本道をつらぬいた政治ならば、改革を断行しながらも真の弱者を守れる筈である。だからこそ「人生いろいろ」などという言葉を、国会答弁で笑いながら使うということ自体不謹慎で、トップとしての厳しい哲学があるのかと疑ってしまった。そして論外なのは、かの刺客である。政治の地盤を、企業同様に支店や営業所にしてしまい、中央から落下傘候補を押しつけ、メディアをフルに稼働させて小泉人気であおり、候補者を次々と当選させて数を稼いだ。 さらに安倍政権は、数を使っての強行採決の連続で、その都度厚生年金や税金が上がりサラリーマン世帯を直撃したことで、流石に国民の憤りが爆発した。年金も含めて、このことが今回の選挙結果に直結したのだ。小泉前首相が地方を完全に壊したが故に、集票マシーンも完全に機能しなくなってしまった事も皮肉である。 そんな折、幸せな家族が一家心中したニュースが飛び込んできた。確か二歳と五歳の子どもさんがあって、奥様は三人めのお子さんを身ごもっていたそうだ。ご主人は転職先が決まらず、生活は困窮を極め、ついには夫婦で話し合い心中を決意したのだという。何と悲しいことだろうか。私は涙がとまらなかった。政府は少子化対策を論議しているが、三人ものかけがえのない子どもさんをなぜ守れないのか。心中事件は民をどれだけ悲しくさせただろうか。このことの原因が政治によるものだという認識を選挙民に想起させたことも、与野党逆転につながったのではないか。 かといって民主党が万全とは言えない。真の二大政党制にいつなるのか、どれほどの時間を要するのか、夢と終わるのか。いずれにしても政治家が王道につかない限り、この国の不幸はどうにもならない。
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