- お客様に喜ばれる
強い会社であり続けたい
- (株)ノジマ
- 代表執行役社長
- 野島広司氏
Hiroshi Nojima
神奈川県下を皮切りとして、着実な歩みで出店エリアを拡大するノジマ。昨今では大型ショッピングセンター内の出店や、オーディオ専門店「オーディオスクエア」の展開にも注力している。経済不況下でも輝き続けるノジマの強みを、野島社長に伺った。
お客様の立場になれば
売り上げもついてくる
── 御社の沿革と野島社長のご経歴について、あらためてお伺いしたいと思います。
野島当社は今年で創業50周年になります。1959年に、当時東京電力に勤めていた父が副業で電器屋を始めて、3年後に「野島電気商会」という会社組織にしたのが成り立ちです。
1969年に店舗拡大でビルを建て、その後73年に私が入社することとなりました。入社後すぐ、私自身オーディオが好きだったということもあり、店の2階でほとんど手つかずの状態だった照明とオーディオの売り場を担当することになったのです。最初は15坪くらいのスペースに単品コンポコーナーをつくりましたが、おかげさまで多くのお客様に来ていただけて、半年に一度くらいずつ拡張をして、結局フロア一杯44坪ほどに拡げました。
この頃には、オーディオの売り上げが店全体の売上高の大半を占めるようになっておりましたから、白物家電をやめて店舗の1階をテレビ、2階をビデオなどのAV機器とオーディオという構成としたのです。
それから82年に、当初からオーディオとビジュアル、そしてPCという展開を主体とした相武台店を出しました。翌年にはPOSシステムを導入しましたが、当時としてはまだPOSという名称もなかった頃です。さらに町田店を出店し、神奈川や多摩八王子地区に集中的に出店していき、6年後には狭山店で埼玉県にも出店しました。そして1991年に「ノジマ」に商号を変更したのです。
このように、当社の出発はオーディオの単品コンポーネントだと言えます。単品コンポの販売は、お客様をコンサルティングしてさしあげることであり、つまり試聴をおすすめし、納得された上でいいものを買っていただくというスタンスです。当社の販売員の教育については、今に至るまでそれを引き継いでいるわけです。
また一方で当社は、常に新しい商材を手掛けてきました。89年頃から携帯電話を手掛け、94〜95年頃にはインターネットの自社サイトを始めたという流れがあります。
私自身販売している方が好きですから、現場では高倉店というところで40歳頃に店長をやったのが最後ですが、そこまではとにかく突っ走ってきたという感じです。すべて自分で立ち上げた相武台店を始め、町田店も店長をつとめ、事業計画を練りました。私自身多く売る方だったと自負していますが、会社も15年間毎年130%ずつ伸長してきました。
また25歳頃からは、私自身で仕入れや経理も手掛け始めました。これが今の経営に至る出発点だったように思います。
オーディオから始まり
常に新しい商材を展開
── 御社は昨今、大型ショッピングセンター内に積極的に出店をされていますが、今後もこのようなかたちでの出店をされるのでしょうか。
野島ショッピングセンターは藤沢が最初になりますが、この時はたまたま、新たにできるショッピングセンターに入らないかという声をかけていただき、急遽決定したということなのです。最初は大変でしたが、手応えもあり、こういうやり方もひとつの手かという思いを新たにしました。同業他社の皆さんは、郊外で大きな店をつくっているという時期でもありましたから。
しかし当社の店舗は、多いときでも75店舗で、現在ノジマの店舗だけですと59店ほどです。店はどんどん出しているというより、むしろ整理している状況にあると言えます。その後トレッサ横浜店や越谷のレイクタウン店など、大型ショッピングセンターに出店させていただく機会はありましたが、いずれもそういったお話しがあってのことで、そういうやり方を意図していたわけではないのです。
店舗を出すにあたっては、たとえば広い土地をお借りして大きな建物を建てたとして、もしもうまくいかなかったときは会社の損失も大きくなりますし、地主さんにもご迷惑をおかけすることになります。ですから当社では、大きな投資はせず、家賃が多少高くとも何とか成り立つようなやり方ですすめています。
昨今の状況をみると、一時期バブルで上がっていた土地の価格が落ち着いてきています。ですからこれから買ったり借りたりといった形で、また出店していく予定でおります。しかしいずれにしても、借り入れを増やしてまで郊外に大きな店を出そうというつもりはありません。投資が少なくてすむところを選んで出店しているという状況です。
大きな会社であるより
強い会社であれ
── 店づくり、人づくりということについてお伺いしたいと思います。
野島かつて企業は、大きいところが生き残ると言われていました。しかし私は従業員に対して、大きな会社をつくるよりも強い会社をつくれ、と言っています。強い会社というのは、結局、お客様にどうやって喜ばれるかを実践しているということです。そして従業員が強く、会社の財務体質や信用が強ければ、まわりからも信用していただけます。
当社はそういう会社であり、昨今は特にそれが求められる時代になってきましたから、不況になっても大丈夫と言えます。最近の経済環境についてはマスコミがいろいろ言いますが、当社の従業員は会社を信じてやってくれているので、ありがたいと思います。
当社の場合、全員経営精神をもって社会に貢献するということを第一としております。また行動指針としては、スピード、ユニーク、クオリティ、コストを標榜しております。そういう意味で、売り上げや収益といった数字について考えるのは最後ということです。
このような考え方にのっとって従業員が動けば、お客様に喜ばれて、その結果売り上げも上がるだろうと言う考え方なのです。予算はつくりますが、ノルマで社員を縛ることもありません。社員の自由にやらせ、失敗もさせながら、そこから学んで、いずれ会社に恩返しをしようという意気込みのあるものだけが残って、強い集団になっていけばよいと考えています。また従業員の自己育成を援助するために、通信講座を受講する際の教育費などを負担するといった活動も行っています。
── オーディオ販売において、コンサルティングが基本ということですが、それはどんな家電品でも同様であり、御社はそれを実践されています。
野島要するに、お客様への説明が難しいような商品の販売を、当社は得意としているということです。携帯電話もそうですが、新しいカテゴリーの商品群を扱うということですね。お客様にしっかりとご説明できるということで喜んでいただいており、それで不況時でも伸びていけるのではと思います。
── 昨年来の不況については、影響をどのように感じておられますか。
野島お客様の財布のひもは、これから先どんどん固くなっていくでしょう。将来が見えないですから、皆さんお金を丁寧に使うようになっていきますね。お店にはお客様はひんぱんにいらっしゃいますが、それでも買ってはくださらないという状況になります。ご来店いただくお客様に、どうやってご購入いただけるかが課題となります。
そして購入にあたって最終的にお客様が選ぶのは、お客様の身になって説明してくれる店だと思います。そういう意味で、価格だけを訴求する店は大変になっていくでしょう。また大きく資本を投下して大きく展開しているお店は、その資本を回収しなくてはならず、不便なことも起こるのではないでしょうか。
我々は売り場づくりでも何でも、できる限りお客様の立場になれと言い続けてきました。自分がお客様だったら、たとえば本部が仕入れたからと言って悪い商品を売られたら嫌だろう、と。だから本部にも、あまり仕入れるなと言ったりもしているのです。
店づくりも、年配のお客様が多いか、若年層のお客様が多いかということによっても変わってきます。それぞれの状況に応じ、各店のスタッフが頭をつかいます。私としては、彼らが手腕を振るえるよう見守っていくということですね。
── 出店地域は首都圏が中心となっていますが、これからのご計画はいかがでしょうか。
野島たしかに出店しているところは首都圏中心ですが、地域ごとで店舗が必ずしも充実しているとは言えない状況です。出店できる条件が合えば、今後も首都圏に展開していきたいですし、また出店についてご依頼があれば、お客様に喜んでいただけるよういろいろな地域も検討していきたいという考えです。
オーディオを啓蒙していく
チャレンジを続けたい
── 御社はメーカーさんからの評判もいいと常々感じます。メーカーがつくったいい商品を店が仕入れ、丁寧に販売することによってお客様が喜ぶ。「三方良し」という言葉がありますが、まさにそういう状況ではないでしょうか。
野島そうおっしゃっていただけるのはありがたいことです。私どもは数字よりも、むしろ恩や義といったものを重視していますから、その結果ではないでしょうか。
日本は資源が何もない国で、明治の時代から人々はこつこつ働いていいものをつくり、海外に出すということを続けてきました。私はそれを正しいことであり、これからも続けていくべきことと思っております。
しかし今や、日本人は勤勉でもなくなってしまいました。日本がこれからどうあるべきかを考えると、日本のお金がどちらへ行くのかということではなく、やはりものづくりが重要です。アメリカを見ましても、もうものづくりがなくなってしまって、特許や利権がモノを言う状況になっています。しかし日本がそのようになれるかというとまだそうではありません。日本のメーカーさんのつくられたものを、何としても世界に売り出す。それが、日本という小さな国の生きる道だと思います。
電機業界はこれまでもそうやってきました。それがなくなったところが、業界として具合の悪いところだと思います。我々は単にお客様に普及させるためだけの店ですから、メーカーさんの開発意図を理解してお客様にお薦めし、その結果お客様の感想を得てメーカーさんにフィードバックするということです。お客様が便利だというものをメーカーさんが国内でつくり、それが特許をおさえられたら海外へ出て行く。こういう形が理想だと私は思います。
── 市場環境がよくなくとも、家電業界については、技術革新や2011年のアナログ放送停波など、追い風となる材料があり、恵まれた状況にあるとも言えます。
野島おっしゃる通りで、テレビや録画機の動向は悪くないのです。オイルショックの時期を思い出すと、当時企業が週休3日や4日という状況になって、お客様は外へ遊びに行くことを控え、家庭内で楽しもうという傾向になりました。当時はまたオーディオやビデオが出始めた時期でもありました。今もそれと同じ状況ではないでしょうか。家電品についても、エコという切り口で付加価値が提案できます。それも衣食住に近い必需品のところにありますから、車や家ほどの大きな落ち込みはないと言えるのではないでしょうか。
── 昨今のピュアオーディオ市場は先細りになっており、新たなお客様を呼び込まない限り先がないという状況です。野島社長はオーディオファンを自認しておられますが、これをどうご覧になりますか。
野島今は、オーディオのよさをアピールできるような場所もなくなっていると思います。当社としてはそれに対し、首都圏にオーディオスクエアを4店舗つくってチャレンジしています。オーディオのおかげで当社の今があるわけですし、オーディオのメーカー様にもお世話になってきました。オーディオをただ売るだけではなく、啓蒙できる場所、お客様が試聴して楽しんでいただけるような場所を提供しようという気持ちです。皆様の応援をいただいて、これからも精力的に展開していきたいという思いでおります。
昨今のお客様はiPodや携帯電話などで音楽に親しんでいますから、さらにアナログ感覚を加えるなど、夢のある楽しみ方をしていただきたいですね。たとえば親子で店に来られて、お父さんの影響で子どもさんがオーディオ好きになられるというようなケースも見受けられます。そういう方々を始め、新しいお客様にどんどんアピールして、オーディオファンを増やしたいという思いです。