巻頭言

次なる時代へ

和田光征
WADA KOHSEI

出版不況が続いている。大手出版社でもここ数年で30?50%ダウンと目を覆う状況だが、この傾向が相変わらず続いていくことは間違いなく、各社とも対応に追われているのが現状である。サブプライム以降の急激な不況がそこに追い打ちをかけ、とりわけ広告収入は激減、まさに息止の効果となって倒産、廃業へと雪崩を打っている。このことはまた取次や書店経営をも襲い、惨状は電機業界の比ではない。

私は1999年にファイル・ウェブをスタートさせた。とりわけウィンドウズ95によるPCの激変を目の当たりにして、世の中が一変してしまう予感と戦慄を覚えたのだった。何よりも感じたことは、雑誌業界また新聞業界への強烈な影響であり、いずれは駆逐されてしまう、そんな思いを強くした。

1986年2月に日本にハレー彗星が接近し、90年代に国立天文台がその写真をインターネットで公開した。私は少年の頃から天体や自然科学が好きだったので、国立天文台のWEBページからハレー彗星の写真をダウンロードし、B5にプリントして社内に配ったが、このときインターネットの凄さを感じとっていた。これこそ、ウィンドウズ95によって実現したことなのである。

1999年秋、パレスホテルでインターネット業界のパーティがあって、当時の先駆者達と語り合った。「掲示板がなければホームページではない」との意見を聞くに及んで、私には納得できなかった。掲示板は、己を明示していればともかく、無名の書き込みである。しかしそれこそがWEBだというのである。

私はファイル・ウェブに掲示板を採用しなかった。同時に個人情報が今後大きな問題になる事を考え、弁護士事務所とあらためて契約した。そしてホームページという発想も除外し、「業界の発展に寄与する」という社是を100%生かす業界のポータルサイトとして、2000年6月からファイル・ウェブを本格スタートさせた。

オーディオビジュアルの業界、およびコンシューマーを対象としたSenka21、AVレビュー、季刊オーディオアクセサリーの各誌が当時中心を成し、編集員全員が業界に関連する製品やトピックスについてのニュースを毎日書くこととなった。また内容によって毎日更新、週間、月間更新の体制をとり、次々とコンテンツを加えていった。

「WEBの強い出版社しか生き残れない」、当時の私の口癖である。幸いコンセプトが明快だったゆえにファイル・ウェブは順調に推移し、現在は月間ページビュー1200万超、ファイル・ヒット数は3億を超え、100万人以上のAVファンが常駐する巨大サイトへと発展している。

私は2007年正月、小社発行の雑誌をすべてオールカラー化し、WEB世代の志向と同期させ今日に至っている。WEBがすべてカラーなのに雑誌がモノクロなどというのはあり得ないことで、40年に亘り信頼関係にある凸版印刷さんと強い協力体制をとってそれを実現した。まさにWEBも強く雑誌も強くの戦略であり、そのことは次世代への電子雑誌化など、多くの副次的効果を生み出している。

私は3・5・7・10年の周期で、明日からすべてを見るという発想である。冒頭述べた出版業界の状況は、10年後の時代が読めていなかったことから陥ったことであり、今慌てて手を打つと言っても無理な話である。生き残るところは生き残り、淘汰されるところは自然に淘汰されていくしかないのである。

しかし、コンテンツは永遠である。

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