巻頭言

坐来(ざらい)

和田光征
WADA KOHSEI

私の故郷は大分です。そんな大分に全国に誇れる特産品があります。関さば、関あじ、城下かれい、そしてかぼす、大分椎茸等々。実家では椎茸栽培をやっていました。大分の椎茸はなぜ美味しいのか。その最大の理由は櫟の木しか使わないからです。それはしいたけ組合を通じて栽培農家に徹底され、厳しく守られているのです。

櫟の木の皮肉は厚く、椎茸の菌にとって最も適しています。それは肉厚で美味しい椎茸の質を上げ、収穫量も上げ、大分独自の椎茸を作り上げていったのです。

今、自然保護が常識ですが、大分椎茸の産地では櫟の山に13〜15年周期で栽培のローテーションを組んでいます。櫟を伐採した株から芽が出て、13〜15年位育つのを待ってから伐採する。そうして循環させ、自然をも保護しているのです。

また13年前後の木は、山で伐採し、駒打ちをしてその場で1年余り寝かせ、南向きで木洩れ日があたりやや湿気のあるザコ場(栽培場所)まで移動するのに大きさや重さがちょうどよく、さらに椎茸を栽培するための質としても最適です。櫟の芽が出て15年まで待つということを、当たり前としてやりながら「大分産椎茸」というブランドを完成させたのです。

桜の花が咲く頃からは、この時期に収穫する「春子」という名の椎茸が盛りです。年間通して最も収穫の多い時期で、連日、朝からザコ場は賑やかです。この春子の収穫期が終わると、「秋子」の季節までザコ場は眠りの時でもあります。春雨の頃、秋雨の頃、それは生物にとって成長の時でもあるのです。

ところが大分椎茸を最も有名にしたのは、この季節よりやや外れた秋から初冬にかけて収穫される「どんこ」です。肉厚は2〜5センチにもなり頭部に白いひび割れがあって、ずんぐりと重いものが美味で、大分椎茸の最高級品としてその名声を不動のものとしました。とりわけ中華料理に欠かせない食材で、海外にも輸出され、人気を博しています。

現在、乾燥は化石燃料ですが、昔は炭を使っていました。燃料を確保するために山々に炭火焼きの煙がたなびいて、今想起しても趣のあるものでした。炭火で乾燥させることは手間のかかることでしたが、味はその方が良かったと思います。

いずれにしても、椎茸栽培に少年の頃からたずさわった者として、「純大分産」として東京で売られている様を見て嬉しく誇りに思っていたのです。たまたまテレビで栽培農家の主が「櫟しか使わんから」と話しているのを見て、そういえば櫟ばかりだったし、櫟山のローテーションも当たり前にやっていた、それもエコロジーという視点から素晴らしいことだったのだと、改めて誇りに思ったものでした。

私は大分県の「豊の国特命かぼす大使」を拝命し、かれこれ十年余になろうとしています。もちろん、かぼすだけの大使ではありません。I ♥ OITAの観光、物産振興の特命を頂いていると申せましょう。そこで仕事。

銀座に坐来(ざらい)という大分の食材のみをベースにした県直営のレストランがあります。私が誇りとする隠れ家です。ぜひ、おでかけ下さい。(坐来/TEL:03-3563-0322)

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