巻頭言

四季の光
「日本辺境論」を読む

和田光征
WADA KOHSEI

日本人について考える時、いくつかの書物の言葉が蘇る。「…日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、国民全体の真理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところは、なんとなくおとっているという意識である。おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」「日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、『日本文化とは何か』というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。」梅棹忠夫『文明の生態史観』。

もう30年以上前になると思うが、中根千枝著の『タテ社会の人間関係』を読んで日本人の特性を理解し、それは私自身を変えたというより、深い思考へと誘導させられるきっかけとなった。当時外国人のビジネスマンは企業の担当レベルとビジネスを成功させたと思ったら、上司が来てこわしてしまうケースが多く、日本人の特性を中根先生の本で理解したという。

“タテ社会の人間関係”とは、例えばある会合で意見がまとまらないとき、皆に意見を求めながらも「組合長さんのご意見はこういうことなので、皆さん、ここはいかがでしょう」とまるく収めてしまうようなこと。組合長の意見に反対だった人も、最後は素直に従ってしまうのである。

反対者は丸め込まれて賛成している訳だから、この案件が失敗すれば私は反対だったと言ってしまうし、成功すれば成功者になれる。迎合することは和を乱さないことであり、なりゆきであり、空気なのである。結局、誰も責任をとらない。とらせない。現在の日本の為政者等々の特性に表出している。

そして内田樹『日本辺境論』を読み終え、日本と日本人が何たるかをいつも考えていた私としては理解ができたように思い、また、理解ができたなどと安易に表現する己の浅はかさを思い、しかし、やはり理解してしまった思いである。

日本辺境論では、「日本列島の住民が世界史に登場する最初の事件は、辺境の自治区の支配者として魏帝に認知されたこと」「列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発」したということであり、政治意識の深化と熟成がなされ、聖徳太子の煬帝への「日出る処の天子…」からはじまる親書で中華との「対等外交」をめざした。「実だけ取る」というその後も取り続ける日本外交の伝統となっており、原点となっている。世界の中心に中華皇帝が存在し、そこから王化の光があまねく四方にひろがる。近くは王土、遠くは辺境、辺境は朝貢する蕃国であり、朝貢の代償に官位が授けられた。

1800年前に「親魏倭国」称号を授けられ、格付する中華の対概念に同意署名したのである。

「つい場の空気に流され、自前の宇宙論を持たず、辺境の狡知だけを達者に駆使する日本人」、そして「外来の権威を前にすると思考停止に陥る、このことは真理として構造化されている」。

そうした要因をなさしめるものとして、豊かな四季の光こそ日本人の宇宙論そのものではないかと思うのである。

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