巻頭言

カルメン故郷に帰る

和田光征
WADA KOHSEI

正月休みの静かな時間の夜、NHK・BSで高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」の映画が放映され、懐かしく最後まで観た。ところが物語が進行する中、カルメンの終戦後の故郷「軽井沢」が天然色で映し出され、私は浅間山の噴煙ばかりが気になった。あの煙は噴火する前の量であり、スピードだと思ったのである。いつしか映画のストーリーそっちのけで、画面に映る浅間山の姿を動画でiPadに収めていた。

「カルメン故郷に帰る」は木下惠介監督の1951年の作品で、日本初のカラー映画である。私は1951年あたりの浅間山の噴火を調べたが、やはり1930年以降噴火記録があり、1951年に被害記録のある噴火が起こっている。従って浅間山の噴煙がしっかりと映し出されているが、撮影中の画面は1951年の噴火の前の姿ということになり、被害が発生する規模の噴火は映画公開後に起こったのだろう。

私は2004年8月の後半の日曜日、2週連続で浅間山南麓の太平洋クラブ軽井沢コースに行った。その前に行った際には、浅間山の煙がいつもより量が多く、噴火口から噴き上がる煙のスピードが早いなァと思い、プレイをしながら注意して見ていたのだ。そして翌週の8月後半、煙は秋のうろこ雲のような形をして、空を被いながら東南方向へ流れており、噴煙の量とスピードがかなり増していた。

プレイを終えて軽井沢駅に向かう際、タクシーの運転手さんに「近く、浅間山は噴火するよ」と言った。運転手さんは「ええっ、本当ですか」と驚いていた。勿論私は専門家ではないので感じたままを言ったが、妙に確信を抱いていたのである。

9月1日20時2分、浅間山の山頂火口で火山活動度レベル2から3の中規模噴火が発生した。まさに私の予言は当たったのである。おそらく運転手さんもびっくりしたのではないだろうか。あの時の噴煙と「カルメン故郷に帰る」の噴煙が似ていたのである。

浅間山の噴火といえば1783年の4月9日、天明浅間山噴火がその被害の大きさで語り継がれている。「降下した火砕物は家屋の倒壊焼失、交通遮断を起こすとともに、鎌原火砕流/岩屑なだれと天明泥流により浅間山北麓から利根川流域を中心とする関東平野に甚大な被害をもたらした。」(中央防災会議資料)。そのことは天明の大飢饉をもたらし、大塩平八郎の乱へと続いた大天災となったのである。

昭和40年代中頃、日立製作所の亀有工場を見学した。驚いたのは工場敷地が3m余の塀で囲まれていたことだった。そして利根川の洪水を想定した塀であることを知ったが、その原点は天明の大洪水だったのではないだろうか。先達の安全意識の巨大さは、素晴らしいの一語に尽きる。

故に福島原発の防波堤等々の甘さが悔やまれてならない。原発事故の時、しっかりした防災意識の高い民間が運営していたらと思うのである。そして、いつも亀有工場の塀が象徴として脳裏をよぎるのである。

正月気分も終わった今年の1月14日、関東は大雪に見舞われた。5p程の雪でも麻痺してしまう首都圏の脆弱さを目の当たりにして、遠く天明の頃に思いを馳せた。

 

ENGLISH