巻頭言
人こそ大事
和田光征
WADA KOHSEI
私は昭和48年のオイルショック時、業界が未曽有の危機に陥ると思い、「業界の建設的発展に寄与する」という小社の社是をふまえ、何よりも私自身がそのことを防御するために使命を果たさなければならないという強い思いから、メーカー、販売店、識者の色々な方にお会いし、その打開策を探し求めた。
私は20代の時に松下幸之助翁の著作も読破し、自身の座右の銘としていて、健全な業界の発展が何よりも大切であることを学んでいた。そしてまた、業界という呼称の中に「お客様」も織り込んだ発想をした。当時の本誌編集長だった私は、基本的な考えとして、そのことを訴えてきた。
オイルショックの時は、私たちは出版業として世間よりも1年早くその影響を受けていた。印刷用のインキが暴騰し、紙が入手困難に陥り、この先、雑誌を発行できるか分からない、非常に暗澹たる状況がすでにあり、何とか乗り切って1年が経過していたわけである。
いろいろな方とお会いした結論は「仕方がない」ということだったが、私は無力に心が傷み悔しくてならなかった。多くの企業が倒産するだろうし、雇用も失われる、まさに地獄図の世界を想像して暗澹たる思いであった。
そこで私は小誌の使命として、微力ながらも幸之助翁の教えを実践しようと心に決めたのである。他業界が羨望するような業界を創造していくということである。
現在、この時とは違う意味で大変な状況にあるが、「わが業界よ、自信を持て」というのが私の思いである。それほどに、どういう状況であろうとわが業界は世界、人類、お客様の生活とは切り離せない存在であり、それが我々の誇りでもある。
私はリーマンショック、また、小泉改革が吹き荒れた非正規雇用に対し、どうしても納得がいかなかった。若者達まで改革のターゲットにして、日本の将来はどうなるのかと思った。結婚しないのではなく結婚できない若者達が増大することは、いずれわが日本国を急激に弱体化させ、少子高齢化は恐ろしい状況で加速する筈である。僅か30年40年の時間の中で、である。オイルショックの時、歩き回って打開策をと考えた高度成長の一里塚とは全く真逆の危機が広がっているといえよう。「仕方がない」どころではない。
私は己の姿勢として、「雇用こそ企業の本質」と考えて今日まで経営をしてきた。昨今はオイルショック以来の厳しい状況に見舞われたが、そんな中でも企業の使命と思って己の姿勢を守ってきた。われわれはクリエイティブな仕事に携わっているからこそ、40数年に亘って男女平等をも守ってきた。何が平等かと言えば昇進、昇給、賞与である。そして従業員は正社員ばかりである。中には幸いなことに、結婚し家庭を持つ若者も多い。このことは私のよろこびである。
故にリーマンショック、大震災、円高があって苦しんでも、当社は人を切ることは一切していないし、むしろ、小さな企業ではあるがこの間にも新たな正社員を採用してきた。このことは私の哲学である。そして優秀な社員達が業界発展のため、大いに働いてくれる時がきた。それが2013年からスタートした「黄金の3年間」なのである。