巻頭言
セイジ・オザワ松本フェスティバル
和田光征
WADA KOHSEI
8月31日、長野県松本市で毎年開催される「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」に行った。当日は午後4時から小澤征爾指揮・ベルリオーズの「幻想交響曲・ある芸術家の人生のエピソード」を聴くためであった。
2009年、小澤さんはサイトウ・キネン・フェスティバルでラヴェルの「シェエラザード」とブラームスの「交響曲第2番」を熱演した。演奏を目の当たりにした私は、興奮の中でロイヤルオーディオの丸山社長と蔵造りの鮨屋で食事をして、2人で大いに語り合った。階下に降りるとそこに出井さんや伊藤さんご夫婦はじめ10名程の皆さんで会食だった。お二人とも私は大変お世話になった恩人で久々にお会いすることとなった。
そこに小澤征爾さんもおられ、興奮さめやらぬ感情でいた私にとっては夢のような世界であった。出井さんが写真を撮りましょうとリードされて私、丸山さん、伊藤さんが小澤さんを中心にして写真におさまった。
小澤さんと握手をして頂いたが、あのあたたかい感触と写真は私の終生の宝物となった。出井さん、伊藤さんや皆さんに心からの感謝でいっぱいだった。
2010年、NHKの朝のニュースを見ていると、小澤さんが癌の告白をしているではないか。半年間、休んで療養に専念するとのこと。早く完癒されて、また素晴らしい音楽を全世界のファンに聴かせて欲しい、私は強く思ったのである。同時に、サイトウ・キネン・フェスティバルはまさに小澤さんあってのフェスティバルだったので、一日も早い快癒を祈念してやまなかったのである。
2010年、2011年、2012年、2013年とサイトウ・キネン・フェスティバルに行ったが、小澤さんのいないことの大きな空洞は私の心を埋めることがなかった。しかし、素晴らしいフェスティバルは素晴らしい演出のもと大いに盛り上がり、小澤さんの完全復活を待ち続けたのだった。
そして、2014年夏の終わり。愈々、小澤さんが完全復活をされて、1時間近い「幻想交響曲」を指揮したのである。そこに私はいた。その興奮と感激は私の人生に色濃く沈澱し、自分自身を前向きに大きく、強くしてくれる、まさにサンライズであると認識したのである。
ベルリオーズ「幻想交響曲」は、恋に深く絶望し豊かな想像力を備えたある芸術家の物語を表現した曲で、第1楽章「夢、情熱」、第2楽章「舞踏会」、第3楽章「野の風景」、第4楽章「断頭台への行進」、第5楽章「魔女の夜宴の夢」で構成されており、小澤さんの指揮は各章を繊細に甘美に力強く描き出していく。まさに荘厳である。小澤さんの全身の動き、そして指先にまで神が宿っている、そんな思いで全身全霊で聴いたのだった。
そして小澤さんは大病から復活したのである。2014年、サイトウ・キネン・フェスティバルは偉大な教育者である故・齋藤秀雄氏没後40年、サイトウ・キネン・オーケストラ30周年の記念すべき年となり、2015年から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」になる。小澤さんは「…最高の音楽を皆様に聴いてもらえる音楽祭として、より内容を充実させていきたい」と語っている。楽しみでならない。