巻頭言
受けた恩を石に刻む
和田光征
WADA KOHSEI
「かけた情は水に流し、受けた恩は石に刻め」という言葉があり、素晴らしい人生訓だと思っていました。しかしこれは、もともと長野県上田市の真言宗叡山派の古刹前山寺の参道脇にある石柱に刻まれた言葉であり、作家の佐藤優氏が自著の中で記したことから私の目に留まったのでした。
ウェブを開くと、前山寺の参道には
「人は生まれによって尊からずその行いによって尊し」
「右は地獄 左は極楽 心ひとつが道しるべ」
の石柱もあり、是非とも訪ねてみたいと思っております。
とりわけ、「かけた情は水に流し、受けた恩は石に刻め」は私をとらえて離しません。昨年、古稀を迎えた私にとって、私自身がかけた情は意識の底には全く見当たりませんが、受けた恩は本当に山ほどあって、まさに感謝の毎日であります。
九州の田舎からやってきた少年の頃に受けたご恩は、未だに忘れられません。私は19歳の頃、品川の化学工場でアルバイトをし乍ら大学の夜学に通っていました。そこに日大建築学部の学生が夏休みを利用して、約1ヵ月アルバイトにきました。二人はすっかり仲良しになり、よく前向きな議論をしました。
アルバイトが終わる1週間ほど前だったでしょうか、彼が「和田君、ここは危険だから他に移った方が良い。親父に話してみるから」と私を促してくれ、お願いすることにしました。すぐに「親父が引き受けてくれたよ」と言われ、その翌日には大日本印刷系の教科書会社教育出版供給部の長期アルバイトに採用されました。
初めて彼のご家族との夕食会にも呼ばれ、励ましていただきました。お父さんは文部省の高官だったのです。その会社に最初に行った時挨拶していただいたのが副社長さんでしたから、お父さんはこの方にお願いして下さったのかと感謝し、副社長さんに心から御礼申し上げました。
「ここからはじまる」が私の言葉として底流をなしていますが、まさに私の人生はここから一変していったのでした。教育出版へ移るに当たって、ここまで応援していただいた化学工場の専務取締役工場長さんにご挨拶に伺い、そこでも「頑張るんだぞ」と励まされ感激し、「はいッ」と心からの謝意をもってお応えしました。
日大の友人とのその後はそれぞれの道へと進み、と申し上げたいところですが、二人の境遇はあまりに違い過ぎて、恩に着ながら自然に距離が拡がり45年余の時が流れてしまいました。しかし、私は彼からの恩はひとときも忘れたことがなく、今でも只々感謝でいっぱいです。そして2009年8月の衆議院議員総選挙報道を見て驚きました。あの彼が2期目の当選を果たしていたのです。私は機会を図って事務所へ挨拶に行こうと思っていましたが、その直後から政治混乱へと世の中は移っていきました。彼もその渦中にいたために機会を逸してしまい、時が流れています。
私の人生は彼を始め、さまざまな愛する人達との縁、そしてご恩に支えられ、感謝してもしきれないものでした。まさに「受けた恩は石に刻め」そのもの。謝々人生。