巻頭言

井上陽水の奇跡

和田光征
WADA KOHSEI

井上陽水。古稀を迎えた私にとって、若かりし日へ急ぎ足で返らせる、いうなれば自分の芯の中で忘れ得ない、かけがえのない存在である。そして、マスコミへ登場して自ら自分を語るということはない人である。

小社発行、9月15日発売の「analog」誌53号で、2時間近くにわたって応じてくださったインタビューの内容が記事となって掲載され、大反響を頂いている。まさに、奇跡が起こったのである。

当社副社長の樫出浩雅は、私の後継者として、とりわけオーディオディヴィジョンで大活躍しているが、この取材を実現させたのが彼自身である。「小人は縁に出合って縁に気づかず、中人は縁に出合って縁を活かせず、大人は袖ふれ合うた縁をも活かす」と柳生家の家訓にあるが、彼と井上陽水さんとの縁は、まさに大人のそれそのものである。

この記事の冒頭に、樫出自身が記しているとおりだ。「2016年2月24日。待望のダイアナ・クラールの来日公演を昭和女子大学人見記念講堂に観に行った帰りに、寒かったのでふらりと入った飲み屋さん。次いでカウンターの隣に座った男性も、ライヴを楽しんだようで、偶然話をするようになった。まったく気づかず話をしていたら、実はその方が、井上陽水さんだったのだ。『音楽関係の方ですか?』と失礼なことを言い、ご自身が名乗られた時はあまりの驚きで言葉が出なかった……。それが縁で、今回本誌に登場いただくことになったのである。」

彼からこうした陽水さんとのいきさつを聞いた時、すぐにも取材を申し込むよう指示したが、必ずや実現するだろうと確信して待った。すると翌日を待つこともなく、インタビューに応じる旨の答えを頂いたのである。やはり縁を活かす彼の才は大きい。面白いことになったと私は思い、この奇跡に興奮したのだった。

樫出は編集者として一流であり、インタビューも素晴らしい内容になることを私は確信していた。取材が2時間近くに及んだとの報告を受け、ならば次は誌面でいかに演出するか。そこからは私が腕を振るった。

取材中に撮影した陽水さんの写真を、A4変形判のanalog誌の1頁全面に配して、それを連続して何枚も掲載することとする。読者が憧れの井上陽水と、写真を通し対峙して語り合う演出である。記事には12頁を超える大きなスペースをつぎ込み、巻頭を飾る。樫出にその内容を伝えると、彼は素晴らしい原稿を仕上げ、凄腕のカメラマン、デザイナーとともに、この素晴らしい奇跡の記事を実現させたのである。

昔、樫出の結婚式の折に竹中直人さんが二次会に出席し、長い時間を使って祝福してくださった時も驚いた。竹中さんは祝辞で「樫出さんは本当にいい人です」と述べておられたが、そんな彼の人となりが今回の井上陽水さんとの出会いも引き寄せた。彼の人徳をあらためて感じいった次第である。

私はいつしか、小社のはるか未来を想起し、目を細めていた。

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