座談会「ホームシアターという『家庭環境』をめぐって」全長版(6)
音楽過剰時代の「我が家の音楽鑑賞」について語る
大橋 ホームシアターと言っても年がら年じゅう見ているわけじゃなくて、音楽を聴いたりもする場所だと思うんです。今どこのご家庭に行っても、CDの50枚や100枚ぐらいはあると思うんです。だけど、一般のお宅だとラジカセとかで実にぞんざいに聴いている気がするんです。自慢するわけではありませんが、ここにも書きましたけれども、僕が持っている装置は大したオーディオ装置ではないんですけれども、たまにうちに来た家族にクラシックの曲を聴かせると、びっくりするんです。「こんな音が入っていたのか、ちょっと娘を呼んでこい」と。今は音楽を雑に聴くというか、そういうふうになっちゃって、日常生活の中で聴くということが、あまりよくない方向に行っている気がするんです。それは別にオーディオではないんだと言うかもしれませんけれども、音楽を聴くというのは、音を聴いているわけじゃないですか。だから私は、音の再生がぞんざいでいいかと言えば、そんなことはないと思うし、いい音で聴けば感激がまた別だと思うの。下条さんのお宅では、映像の無い所で音楽を一緒に聴いたりできますか?
下条 うちは、子供は各自の部屋でCDの小さいミニコンポみたいなもので聴いているみたいですけれども、僕は、ながら族と今言われたように、音楽は環境として流れているものみたいにずっと。ゆっくりしたい時間というのは欲しいんですけれども、貧乏性なのか、どうしても何かやっていなければならないというか、自分のうちにいれば、原稿を書いたり調べものをしたりとか、目が開いていれば何か仕事をしているんです。横になると5秒ぐらいで寝てしまうので、何もない所でこうやっていると、すぐ居眠りしちゃうような状態なんです。子供たちは、下ではCDも一応聴けるようになっているので、両方ですね。今の子供って、いいのか悪いのかわからないですけれども、同じ音楽を聴くのでも、画面に絵が出ている状態で聴かないと、という気がしますね。
大橋 映像を見ているときと音楽を聴いているときと、脳の中で使っている場所が違うような気が僕はするんです。だから、映像を拒否する時間みたいなものをホームシアターの中でも必要なんじゃないかと思うんですけれども、飯塚さんはどうですか。お嬢さんとかか……
飯塚 うちはサラウンドがある部屋があって、寝室にミニコンポも置いてあるんですけれども、子供としては、きちんとしたシステムで聴く方を選ぶんです。こっちは洗濯物をたたみながらやっているから、「こっちで聴いてよ」みたいなことを言うと、「1人でいいからこっちで聴く」みたいなことを言って。それは、再生されることによって、音の表現能力が微妙にミニコンポだと消えてしまう音がたくさんあるんだと思うんです。その辺がちゃんと聞こえてきて密度が感じられるところを、子供は本能的に感じているんじゃないかと。聴いている音楽が何かといえば「アイーン体操」だったりして、ベートーベンとかそんなレベルではないんですけれども、ミニモニの歌にしても、そういう特別な感じは持っているみたいですね。保育園では、ラジカセとかでみんなでダンスを踊るみたいなレベルでしか再生されていないみたいですけれども。だから僕は、できればですけれども、自宅で余分なシステムが出てきたら、保育園でそういう出張上映会みたいなことをやって、もっといろいろな子供に、音とか絵の魅力を感じられるような環境をやってみたいと思っています。ステレオで初めて音楽を聴いたときの感動というのを、自分としては持っているわけです。僕も最初は、小さいテープレコーダーみたいなものでモノラルの音しか聴いていなかったので。それが初めて2つのスピーカーになって、立体音響になっていく。今のアンプでは、それなりにいろいろなモードがあって音を楽しめるようになっているので、そういうところで、「しまじろう」みたいなCDでも、それなりに全然違った環境になると思います。実際、子供たちはそれがわかっていると思うので、鑑賞というレベルにはまだまだほど遠いんですけれども、やはり違いがわかるようにはなってもらいたいと思っていますし、既にもうわかっているのかもしれませんけど、そう思っています。
大橋 音楽は、より世代による嗜好の差もあるし個人のあれもあるけど、栗山先生のお宅では、お嬢さんの聴いている最近の音楽を一緒に聴いたりすることがあるだろうし、あるいは栗山先生のお好きな音楽で、こんなふうに感じたりするのか、みたいな発見はありますか?
栗山 「ケミストリー」という男の人2人のデュオをご存じですか? 今娘がはまっていて、私は初め「何、この人たち」と思っていたんですけれども、毎日娘が居間で寝転がって50インチのケミストリーを見ちゃっているの(笑)。私もなじんできたら、嫌な音では全然ないんです。きれいな曲だし、デュオもすてきだし。だから「いいわね」と言ったら、娘が、「そうでしょ。ママも好きよね」というふうに乗ってくれて。私は別に、嫌じゃないなと思ったからちょっと褒めたのに、こんなに娘が喜ぶのかと思ったら何とも言えない感じで、「ライブがあるから、明日はケミちゃんの行くの」とか言うので、「そのお金はママが出してあげる」とか言うと娘がすごく舞い上がって、「何着ていこう」とか言って、あなたの姿なんかだれも見ないじゃないの、と思うんだけれども。でも私もビートルズが好きで、来日したときに、徹夜で何枚も新聞のあれに出して、ビートルズファンクラブの人たちと映画館の前でキャーとかスクリーンに触っていたんですよね。それで友達がたくさんできたんですけれど、あれも私が中学ころですから、血って争えないなと(笑)。好きになった人は違っても、似たようなもので、何十年かして自分の生んだ娘がまたこういうふうにはまるのかと思うと応援してあげようかなと思って、「いつ行くの?」とか「お金はママが出してあげる」とつい言っちゃうの。きっと、私が親に言って欲しかったのに、うちの親はとても厳しくて、行っちゃ駄目だとか言ってじゃまをしていたものだから。
大橋 特に、今のケミストリーと昔のビートルズじゃ、社会的な状況が全然違いますものね。
栗山 そうですね。でもあの時も、新聞社に100枚ぐらい出して、武道館の券が10枚ぐらい当たったのかな。それで毎日にように行っていたんですけれども、そうしたらこの間、娘に20枚ぐらいの往復はがきの戻りが来て、1枚だけケミストリーの当たりがあったので、「当たっていたよ」と言ったら、ニマッとして「うれしい」とか言っていましたけれども、よもや娘がそんな往復はがきを出しているとは知らなかったので、こういうふうにして同じようなことが何十年か経つと繰り返していくのかなと思ったら、何とも言えない気持ちですね。
大橋 お嬢さんは、お母さんの好きだったビートルズを今聴くことがあるんでしょ。どういうふうに感じられていますか?
栗山 「ふーん」だけですよ。
飯塚 この前ですけど、うちも似たようなエピソードがありましたね。うちのカミさんは80年代の音楽が大好きで、この前アース・ウインド&ファイヤーのベストCDが出て、あれをかけていたら娘が踊り出して、最初「オッ、踊っているね」とか言ったら照れくさそうにしてやめたんですけど、妻が、「ヒナコ、この曲は踊っていいんだ。踊りなさい。私も一緒に踊るから」と言って、親子で音楽聴きながら家をディスコみたいにして踊っていたりしていた。ああいう音楽の効果は、体が反射的に動きたくなるリズムというのを感じたんじゃないかと思いましたね。低音が効かなくて、シャカシャカしたゲームセンターで流れているような音楽だと何も感じなくても、低音がドンドンドンと体にズシンと来るリズムみたいなのが感じられるから体もすぐに反応して、いてもたってもいられないみたいな部分があったんじゃないかなというのが、この前珍しいと思ったことですね。
下条 今、コマーシャルの音楽って、70年後半から80年のロックとかよく使っているじゃないですか。私もそのころは友達がバンドをやっていて、結構好きだったんです。CDも懐かしくて結構買ってあるんですけれども、一番下のテツヤというのが今エレキギターに凝り始めて、ディープ・パープルとか、「クリムゾンキングの宮殿」とか、レッド・ツェッペリンとか、ああいう70年代ロックみたいなのが、バンド仲間の中ではやっているんですって。携帯の着メロもそんなのをたくさん集めてきて、「お父さん、これわかる?」と言うのが、ちょうど私たちがはまった時代の音楽ばかりなんです。だからそういうのを今度聴かせてみようと思うんですけれども。ちょうど、自分が子供のころのはやりとサイクルが戻ってぴったり一致したのかな、という気がしますね。ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を一生懸命習っていたので、私のバンドをやっていた友達の所に、この間連れて行ったんです。そうしたら昔取った何とかで、ギターのソロのところの「ハイウェイ・スター」とかのあれをやって見せたら大感激して、「お父さんの友達はすごいね」と言うから、「お父さんもすごかったんだよ、ほかは大したことないけど」と。
栗山 お父さんは、何をやっていたんですか?
下条 写真係とか、裏方ばっかりだったんです。
栗山 楽器はやらなかったんだ。
下条 そのころから気が弱いので、設営とか、要するに段取り係みたいなことばっかりやっていて、その関係で今でも仲良くしているんです。そのころのディープ・パープルとかのコピーバンドをもう一回再結成するからと今練習をし始めたらしいので、そこに連れて行ったんですが、また行っていいか、という話になりました。おそらく、はやりが戻るんでしょうね。コマーシャルを聴いていても、この音楽は何とかだとか、松浦亜弥が「チャチャチャ」とやるじゃないですか。そうするとCDを持ってきて、「これに入っているから聴けよ」とかやっています。
親子で一緒に仕事をする機会を家庭劇場は作り出す
大橋 この親にしてこの子ありというか、この子にしてこの親ありというか。でも、何となくわかりますよね。今、D・I・Yの話を伺いましたけれども、下条さんはホームシアター建造に家族の力を結集したわけですけれども、映画を見るときはバラバラで見ることも多いと思うんですが、作るときはまさに一緒に作って、非常に夢のあるお話だと思うんです。力を合わせてホームシアターを作ったと。そこで見る映画の味は格別だと思いますね。
下条 ホームページにも載せてあるんですけれども、だましてお菓子をえさにしたりして、ほとんど見透かされていますけれども。でも結構子供たちも、「ここに映画館を作ってみんなで映画を見るんだ」とか、「モーニング娘のライブをここに映して見る」とか、「浜崎あゆみをここの大きい画面で見られるから」というだしで。近所のカラオケ屋さんで、ウエイティングの所に大きいスクリーンがあって、MTBか何かをずっと流しっぱなしにしているカラオケ屋さんがあるんです。「こんな大きなスクリーンをうちのここに作ってやるといいよな」という話を前にして、「ああいうやつを作るから手伝え」ということで。それぞれ得意分野があるし、作業しながらだと、「そういえばお前、高校どこに行くんだ」とかいう話がしやすいんです。例えば、「ちょっと座れ」とお茶飲みながら、「実は高校のことだが……」というような話というのは、うちら男は気恥ずかしくてとてもできないんですけれども、「棒のそっちを押さえていろ」と言ってトントンやりながら、「そういえば、だれだれはどうしたんだ」とか、ちょっと聞きにくいことも作業の中で話したり、「好きな人はいるのか」とかいう話も、結構照れなくできた。仕事が空いた時間にやっていたので、3カ月ぐらいかかったんですよ。部活とかいろいろあるので、「今度の土日、お前ら予定空いているか」ということで、2人ぐらい空いている日には、天井を直すかとか、床をやろうとかいう話で、逆に子供の方が、「お父さん、もう放り投げちゃったみたいだけど、そろそろ天井やらないと進まないよ」とか、そういう感じでしたね。あまりうちにいないので、共同作業というのは、自分としては数少ないふれあいの時間に使えたので、良かったと思います。その時に、ここは私の好きなこういうふうにしてとか、俺のおもちゃを飾るんだからここに棚を作ってくれとか、結構言われるわけです。「わかった、わかった」と言って大体忘れちゃうんで、「何を言っても忘れてる」と怒られるんですけど。たぶん、目指すものは随分ずれがあったと思うんですけれども、できたものもそのずれを吸収するぐらいいい加減なものが出来上がったので、これしか使えないという部屋ではなくて、何にでも使えるけれども、一流のイスントラが作ったような、そのためにはベストみたいな部屋ではないので、うちはそこでテレビゲームをやってもいいし、片づけて中で踊ってもいいし、それなりに使ってくれているのかな、とは思っています。
大橋 さっき、飯塚さんの奥さんも眼鏡をかけているから、たぶん眼鏡をかけるようになるんじゃないかとおっしゃっていましたけれども、真っ暗にして映像を1時間2時間見るというのは、子供の目のことを考えると、決していいことではないように思うんです。自分は1本映画を見ると、その後もう1本見たいと言ってもやめさせるんですけれども、何か気を遣っていらっしゃることはありますか?
飯塚 うちは直視型モニターなので、暗くするということは今のところないんですけれども、でも自分が子供のころを考えると、暗くしてテレビを付けて映画館ごっこみたいなこともやったし、8ミリフィルムでソノシートで回して上演会とかを結構頻繁にやったりもしていたので、確かに暗いところで見るのはあれなんですけれども、その辺はバランス取りながら。やっぱりそれは、親がきちんと管理すべきことなんじゃないかと思います。一定の年齢になったら、もう管理のしようがなくなっちゃいますけれども。
下条 時々、子供に聞かれるんです。「この番組は部屋を明るくして見てください」と出ますよね。それで最初のうちは、「お父さん、明るくしてと書いてあるんだけど、明るくしたら見えないんだけど、どうしたらいいの?」とか聞きに来たんです。「これは明るくないから、ピカピカしても大丈夫だよ」と説明したんですけれども、その辺、実際はどうなのかなと思って。でも、テレビの画面とスクリーンの明るさというのは、見ればだんだん慣れてきてあれですけれども、違いますよね。
飯塚 あとは直視型モニターでも、出荷状態のスタンダード基準にしないで、うちでは色味とかコントラストを少し落として、落ち着いた感じの絵が僕の好みでもあるので、基本的にそれにした上で見るように、モニターは自分できちんと設定するようには気を遣っています。
大橋 ゲームとかもやります?
飯塚 いや、まだ本人が言ってこないというのもありまして、今のところうちは買わないという方針で。
下条 学校に行くと、友達のうちでやってきて、「うちにも欲しい」とか。
飯塚 ゲームセンターにたまたま休日に出掛けたりすることはあるので、「太鼓の達人」とかやるときに、「家でやりたいな」みたいなことはちょっと。テレビのコマーシャルでやっているから、ああいうのを覚えてきて、「これを買ってきて」とか「家にはないの?」とか言うけれども、「そのうちね」といつもかわしています。いつまでかわせるか、というのもあるんですけれども。
下条 うちはよくやっているみたいです。大画面でドライビングものをやると、迫力が本当にすごいんです。誰かがやっているのを脇で見ていると、車酔いしちゃうんです。
大橋 視感映像系のゲームはそうですよね。
下条 なるべく見ないようにしているんですが、時々やっています。大画面だとリアルさが全然違うし、動きが早いじゃないですか。あまり良くないなと思うんですけれども。あとは、「ダンスダンスレボリューション」という、下にマットを敷いて踊りをやるゲームがあって、それは片づけて広いところを作って、何人もでやっています。画面が大きいから、注視しなくてもパッと見ればわかるし、音楽も結構いい音楽が入っているので、程々にやっているみたいです。最近は大きくなったので、そんなにやらなくなりましたね。
大橋 ゲームを大画面でやると、目の負担が大きいんじゃないですか?
下条 じーっと見ないから、かえって疲れないと言っていましたね。テレビだと、どうしても細かい字とかをじーっと追うので。
飯塚 かなり全体を注視しないといけないですよね。
下条 大きいから、ザッと見れば読めるという感じです。でも、あまり最近はやらなくなったから、疲れはないんじゃないかな。
飯塚 それに関しても、たぶん時間と分量の問題ですよね。普通のテレビでやっているやつと同じで、「30分ね」とか、時間を区切ってやるべきことではないかと思います。確かに、長時間やれば酔うと思いますよ。飛行機の映像とか、ああいうのをずっと視感で見ていると。
下条 うちも、画面を見下ろすぐらいかなり低くしたんです。子供でも水平かちょっと下向くぐらいで、床からスクリーンまで30?ぐらいの高さまで下げたので、見ていてもこうならないんで、目は疲れないみたいですね。
〜座談会「ホームシアターという『家庭環境』をめぐって」全長版(7)へ続く〜
(ホームシアターファイル編集部)