ソニーの70年間を凝縮体験
「It's a Sony展」銀座ソニービルで開幕。40年代から現在まで全フロア徹底ガイド!
銀座ソニービルで2017年3月31日(金)まで開催されている「It's a Sony展」(関連ニュース)。11月12日午前、一般公開を前にプレス関係者向けに主催者挨拶とオープングセレモニーが行われた。
セレモニーには、主催者としてソニー(株)代表執行役社長兼CEOの平井一夫氏が登壇した。
「ソニービルは50年前にオープンした時に、数々の商品発表、ソニーの情報を発信する場としてきた場所です。我々ソニーが新たな挑戦をこれからしていく事で、このソニービルは来年3月に一旦クローズしまして、2018年から2020年の秋までオープンスペースとして皆様に提供して様々なイベントに使っていただき、2022年に新しいソニービルがオープンします。7年越しとなる様々なフェーズを銀座の皆様に楽しんでいただきたい」と、ソニービルの今後について語った。
「It's a Sony展」については、ソニーの前進である東京電信通信工業の前に井深大氏が作っていた電気炊飯器、電気座布団など貴重な展示をはじめ、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」や「TPS-N2」、AIBO、プレイステーションと、ソニーの歴史のなかでエポックメイキングな製品が730点展示され、懐かしい商品が揃っているとソニー展の見どころを語った。
オープングセレモニーにはゲストとして、全銀座会街づくり委員会委員長の岡本圭佑氏も登場。ソニービルについて「ビルが開業した時には銀座の人流れが変わったというほど多くのお客様を呼び寄せ、現在も国内外の多くのお客様がお越しになっておられる。ビル開業50年、創業70年の記念すべき年に、かつての足跡を振り返りながら将来を考える素晴らしい展覧会が開催される事は真に有意義」と賛辞を送った。
「My Favorite Sony」と題するトークコーナーでは、平井社長が中学校の時代に小遣いを貯めた買ったという私物のソニーのラジオ「ICF-5800」を披露した。
「当時流行っていた短波放送を聴くブームに乗って、全世界の放送がリアルタイムで聴ける商品は、中学生の私には“WOW”な商品でした」と思い入れたっぷりに語った。
すると岡本圭佑氏も「カセットテープ式の大型ラジカセ、大学生の時に買ったものを、ついこのあいだ引っ越すまで30年間くらい使った。カセットテープとしては今は使っていなかったけど、ラジオとして音が良くって……」と、長年愛用するソニー製品への愛着を語り合っていた。
2018年夏から地上部分を「銀座ソニーパーク」という、開かれた施設として展開していくことについて岡本氏は、「オンリーアット銀座が溢れるものに期待しています。銀座の街は今、なるべく長い時間滞在して銀ブラしていただく事を考えているので、ちょっと休める場所として、本当にありがたい」と語った。
ソニービルについて平井氏は「とても著名な建築家の芦原義史先生が花びら構造も含めて設計していただいたソニービルに対するリスペクト、ソニービルのファンの方に対して何かできないかということで話をしまして、ソニービルの外にあるルーバー(外壁)を裁断したものを数量限定でお客様に販売します」と発表した。
「ソニービルの一部をご自宅やオフィスで一生持っていただけるものとして企画したもので、外壁なので一つひとつ傷が付いている傷ものなのですけど、それがいい味を出しているものなので、是非購入を考えていただければと思います」。ソニーファン、ソニービルのファンなら垂涎ものの記念アイテムとなりそうだ。価格等は未定とのことだが、収益はセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとソニーが共同で立ち上げたファンドに寄付される。
■雑誌『ポパイ』の著名人が語るソニー製品
さて、実際のソニービルの展示内容から見どころをピックアップしてガイドしていこう。
展示フロアの最初を飾るのが雑誌『ポパイ』とコラボした『POPEYE presents My Favorite Sony」のコーナー。雑誌『ポパイ』でおなじみの執筆陣らが、ソニー製品の節目となる製品を同時期の雑誌『ポパイ』と共に出展している。
ピエール瀧氏の”グラストロン”「PLM-50」(1996年)、みうらじゅん氏によるコンパクトカセットテープ「C-30」(1969年)による思い出、ANI(スチャダラパー)氏による8ミリビデオカメラから始まるビデオ3台のエピソード、藤原ヒロシ氏によるウォークマンとカセットプレーヤー、マイクロレコーダーなど、雑誌やメディアで活躍する著名人愛用の品が当時のエピソードと共に飾られている。思い出に浸れる事間違いナシだ。
ソニー歴代製品の出展は1940年代からスタート。トップを飾るのはソニーの前身である東京通信研究所が発売した「電気炊飯器」(1945年)で、記念すべき失敗作第1号として並べられている。他にも「真空管電圧計 NP-」(1945年)、「鍵盤型模写電信機」(1945年)、「電気ざぶとん」(1946年)、そして宮内庁からの依頼を受けて制作した「天皇陛下のインターホン」(1949年)と、最初期の製品は異色のモノ揃いだ。
ソニーファンならずとも有名な「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」で知られる「東京通信工業設立趣旨書」の実物も展示されている。
■トランジスタラジオのヒットとテープレコーダーを手掛けた1940-50年代
1940-50年代の出展は、ラジオとテープを中心とした音響機器で幕を開ける。この時代のヒット商品といえば、日本初のトランジスターラジオとして大ヒット商品となった「TR55」(1955年)で、実物が展示されている。
ちなみにその隣には1モデル前にあたる「TR-52」(1955年)も展示されているが、”国連ビル”の愛称が付けられたそのキャビネットが変形してしまい、売り物にならなかったというエピソードが添えられている。
他にもソニーの音響機器として大型のテープレコーダー(当時で言うポータブル)も出展。なかでも”さっぱり売れなかった”と解説されている、国産初の「G型テープレコーダー」は、実際にテープが回り、音が出る状態で展示が行われていた。テープレコーダーは当時は官公庁や教育関連施設に納入していた。
またこの時代のソニーとしては唯一(?)のビジュアル機器として、テープレコーダーと写真を同期させてスライドを上映する発声自動幻燈装置「オートスライド」(1952年)も展示が行われている。
他にも当時と今のソニーロゴのデザイン、そして当時の販促物と、ソニーブランド黎明期からの歩みを伝える展示内容も興味深い。
■1960年代にはトリニトロンブラウン管も登場
1960年代に入ると、現在にも通じるソニーらしさが現れ始める。音響製品は引き続きラジオとテープを聴くためのものだが、特にポータブルサイズのものが増えて、「小型で高性能」という、現在に至るまでのソニー製品の特徴が色濃く現れ始める。
今見ても衝撃的なのが、世界初のICラジオとして発売されたポータブルラジオ「ICR-100」(1967年)だ。テープレコーダーもスタイリッシュなデザインで、今でも通用する洗練されたモデルが数多い。
あのトリニトロンが登場するのもこの時代。しかし、ブラウン管テレビの初代製品からして、携帯型テレビの「TV8-301」(1960年)というのもチャレンジングだ。トリニトロンカラーテレビ「KV-1310」(1968年)はもちろんのこと、ソニーがトリニトロンの前に手掛けたソニー初の”クロマトロンカラーテレビ”「19C-70」(1965年)も出展中だ。
■ベータマックス規格が登場した1970年代
1970年代に入ると、音響機器、今でも記憶に残る製品としてビデオ製品が登場を始める。そう、あのベータマックスだ。初代ベータ方式ビデオテープレコーダーの「SL-6300」(1975年)と、テレビを見ながら裏番組視聴もできるテレビチューナー内蔵型ビデオレコーダー第一号「SL-7300」(1975年)も登場し、製品のバリエーションを広げている。
テープレコーダーにも、オーディオとしての音質を重視した製品群が豊富に登場。ソニー社内のアイデアコンテストで生まれたスピーカー内蔵ミニカーによるレコードプレーヤー「CHOROCCO」(1976年)のアイデアは今でも斬新。テレビはトリニトロンの高画質路線だけでなく、様々な視聴スタイルへ挑戦していたのがユニークだ。
他にないカテゴリとして、ソニー製のトランシーバーICB-650が登場したのもこの頃から。ソニーの通信機器は1964年に第一号機が発売しているが、「ICB-650」(1972年発売)がエベレスト登頂に用いられ、一躍有名になった。
■歴代ウォークマンが一堂に会する1980年代フロア
1980年代のフロアに足を踏み入れると、テレビにはあの猿のCM。そう、音楽の聴き方を変えたウォークマンの登場だ。会場に展示されているウォークマンは初代「TPS-L2」(1979年)を始めとして、壁一面にウォークマンブランドを冠したモデルがズラリ。
ディスクマンやMDウォークマン、そして現在のハイレゾプレーヤーとしてのウォークマンまで、実機が一堂に会する機会はそうそうない。ソニー好きならずとも、壁のウォークマンの展示を見れば、所有していた製品が1つは見つかるのではないか。
映像ファンには、”プロフィールPro”ブランドのトリニトロンカラーモニター「KX-21HV1」(1986年)が登場したのもこの時代。またソニーはベータマックスをベースにしたメディアをムービーにも展開している。熱狂の80年代の雰囲気と共にあったソニー製品を思い起こさせてくれる。
■物理メディア時代の1980年代とデジタル化の進んだ1990年代
1980年代と言えば、世界初の音楽CDプレーヤー「CDP-101」がソニーから登場した、物理メディア全盛の時代。音楽CDに加えて、引き続き人気のコンパクトカセット、オープンリール、さらにはDATテープまで、あらゆる物理メディアが時代を席捲していた。
ソニーは各種メディアの再生機を送り出していたが、なかでも当時人気を博したのがカセットとラジオを聴ける”ステレオカセットレコーダー”や”ラジカセ”、”ミニコンポ”といったセット型の商品群。家族でソニービルを訪れたら、見覚えのある懐かしい機種に巡り会えるに違いない。
一方、1990年代の後半にに入るとデジタル化の波が訪れ、ソニーからも「VAIO」ブランドのPCが登場。各種記録メディアもPCと親和性の高いメディアへと置き換えられていった。
ソニーを象徴する製品としてロボット犬の「AIBO」、ゲーム機のPlayStationが登場したのも1990年代。いずれも専用コーナーが用意されるほど、ソニーを代表する商品だ。
■レアモノに巡り会える2000年代フロア
最後に、つい最近の事のようにも思える2000年代は、ソニーが2003年から展開していた最高級ブランド”QUALIA”で展開していた商品が見られるという点でも貴重な展示。
特に映像ファンにとっては、現在のLEDバックライトの先駆けとなった「QUALIA 005」(2004年)、スタイリングの美しさで話題を集めたSACDシステムの「QUALIA 007」(2003年)というレアな製品が見られる。
もう一つ2000年代を象徴する製品と呼べるのが、HDD搭載でテレビ番組を録画するデジタルレコーダー。ソニーが業界に先駆けて発売した”Clip-on”こと「SVR-15」(2000年)や初代ブルーレイレコーダー「BDZ-S77」(2003年)も展示中だ。
全6フロアに渡る展示を観た先に待っているのは、ショップとソニーパークの模型展示。ソニーの歩んできた70年間を一気に振り返る「It's a Sony展」は、まさにAVファンにとっても思い出の品々に再開できる貴重な機会だ。銀座ソニービルの最後の勇姿を見るためにも、ぜひ足を運んでみてほしい。
セレモニーには、主催者としてソニー(株)代表執行役社長兼CEOの平井一夫氏が登壇した。
「ソニービルは50年前にオープンした時に、数々の商品発表、ソニーの情報を発信する場としてきた場所です。我々ソニーが新たな挑戦をこれからしていく事で、このソニービルは来年3月に一旦クローズしまして、2018年から2020年の秋までオープンスペースとして皆様に提供して様々なイベントに使っていただき、2022年に新しいソニービルがオープンします。7年越しとなる様々なフェーズを銀座の皆様に楽しんでいただきたい」と、ソニービルの今後について語った。
「It's a Sony展」については、ソニーの前進である東京電信通信工業の前に井深大氏が作っていた電気炊飯器、電気座布団など貴重な展示をはじめ、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」や「TPS-N2」、AIBO、プレイステーションと、ソニーの歴史のなかでエポックメイキングな製品が730点展示され、懐かしい商品が揃っているとソニー展の見どころを語った。
オープングセレモニーにはゲストとして、全銀座会街づくり委員会委員長の岡本圭佑氏も登場。ソニービルについて「ビルが開業した時には銀座の人流れが変わったというほど多くのお客様を呼び寄せ、現在も国内外の多くのお客様がお越しになっておられる。ビル開業50年、創業70年の記念すべき年に、かつての足跡を振り返りながら将来を考える素晴らしい展覧会が開催される事は真に有意義」と賛辞を送った。
「My Favorite Sony」と題するトークコーナーでは、平井社長が中学校の時代に小遣いを貯めた買ったという私物のソニーのラジオ「ICF-5800」を披露した。
「当時流行っていた短波放送を聴くブームに乗って、全世界の放送がリアルタイムで聴ける商品は、中学生の私には“WOW”な商品でした」と思い入れたっぷりに語った。
すると岡本圭佑氏も「カセットテープ式の大型ラジカセ、大学生の時に買ったものを、ついこのあいだ引っ越すまで30年間くらい使った。カセットテープとしては今は使っていなかったけど、ラジオとして音が良くって……」と、長年愛用するソニー製品への愛着を語り合っていた。
2018年夏から地上部分を「銀座ソニーパーク」という、開かれた施設として展開していくことについて岡本氏は、「オンリーアット銀座が溢れるものに期待しています。銀座の街は今、なるべく長い時間滞在して銀ブラしていただく事を考えているので、ちょっと休める場所として、本当にありがたい」と語った。
ソニービルについて平井氏は「とても著名な建築家の芦原義史先生が花びら構造も含めて設計していただいたソニービルに対するリスペクト、ソニービルのファンの方に対して何かできないかということで話をしまして、ソニービルの外にあるルーバー(外壁)を裁断したものを数量限定でお客様に販売します」と発表した。
「ソニービルの一部をご自宅やオフィスで一生持っていただけるものとして企画したもので、外壁なので一つひとつ傷が付いている傷ものなのですけど、それがいい味を出しているものなので、是非購入を考えていただければと思います」。ソニーファン、ソニービルのファンなら垂涎ものの記念アイテムとなりそうだ。価格等は未定とのことだが、収益はセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとソニーが共同で立ち上げたファンドに寄付される。
■雑誌『ポパイ』の著名人が語るソニー製品
さて、実際のソニービルの展示内容から見どころをピックアップしてガイドしていこう。
展示フロアの最初を飾るのが雑誌『ポパイ』とコラボした『POPEYE presents My Favorite Sony」のコーナー。雑誌『ポパイ』でおなじみの執筆陣らが、ソニー製品の節目となる製品を同時期の雑誌『ポパイ』と共に出展している。
ピエール瀧氏の”グラストロン”「PLM-50」(1996年)、みうらじゅん氏によるコンパクトカセットテープ「C-30」(1969年)による思い出、ANI(スチャダラパー)氏による8ミリビデオカメラから始まるビデオ3台のエピソード、藤原ヒロシ氏によるウォークマンとカセットプレーヤー、マイクロレコーダーなど、雑誌やメディアで活躍する著名人愛用の品が当時のエピソードと共に飾られている。思い出に浸れる事間違いナシだ。
ソニー歴代製品の出展は1940年代からスタート。トップを飾るのはソニーの前身である東京通信研究所が発売した「電気炊飯器」(1945年)で、記念すべき失敗作第1号として並べられている。他にも「真空管電圧計 NP-」(1945年)、「鍵盤型模写電信機」(1945年)、「電気ざぶとん」(1946年)、そして宮内庁からの依頼を受けて制作した「天皇陛下のインターホン」(1949年)と、最初期の製品は異色のモノ揃いだ。
ソニーファンならずとも有名な「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」で知られる「東京通信工業設立趣旨書」の実物も展示されている。
■トランジスタラジオのヒットとテープレコーダーを手掛けた1940-50年代
1940-50年代の出展は、ラジオとテープを中心とした音響機器で幕を開ける。この時代のヒット商品といえば、日本初のトランジスターラジオとして大ヒット商品となった「TR55」(1955年)で、実物が展示されている。
ちなみにその隣には1モデル前にあたる「TR-52」(1955年)も展示されているが、”国連ビル”の愛称が付けられたそのキャビネットが変形してしまい、売り物にならなかったというエピソードが添えられている。
他にもソニーの音響機器として大型のテープレコーダー(当時で言うポータブル)も出展。なかでも”さっぱり売れなかった”と解説されている、国産初の「G型テープレコーダー」は、実際にテープが回り、音が出る状態で展示が行われていた。テープレコーダーは当時は官公庁や教育関連施設に納入していた。
またこの時代のソニーとしては唯一(?)のビジュアル機器として、テープレコーダーと写真を同期させてスライドを上映する発声自動幻燈装置「オートスライド」(1952年)も展示が行われている。
他にも当時と今のソニーロゴのデザイン、そして当時の販促物と、ソニーブランド黎明期からの歩みを伝える展示内容も興味深い。
■1960年代にはトリニトロンブラウン管も登場
1960年代に入ると、現在にも通じるソニーらしさが現れ始める。音響製品は引き続きラジオとテープを聴くためのものだが、特にポータブルサイズのものが増えて、「小型で高性能」という、現在に至るまでのソニー製品の特徴が色濃く現れ始める。
今見ても衝撃的なのが、世界初のICラジオとして発売されたポータブルラジオ「ICR-100」(1967年)だ。テープレコーダーもスタイリッシュなデザインで、今でも通用する洗練されたモデルが数多い。
あのトリニトロンが登場するのもこの時代。しかし、ブラウン管テレビの初代製品からして、携帯型テレビの「TV8-301」(1960年)というのもチャレンジングだ。トリニトロンカラーテレビ「KV-1310」(1968年)はもちろんのこと、ソニーがトリニトロンの前に手掛けたソニー初の”クロマトロンカラーテレビ”「19C-70」(1965年)も出展中だ。
■ベータマックス規格が登場した1970年代
1970年代に入ると、音響機器、今でも記憶に残る製品としてビデオ製品が登場を始める。そう、あのベータマックスだ。初代ベータ方式ビデオテープレコーダーの「SL-6300」(1975年)と、テレビを見ながら裏番組視聴もできるテレビチューナー内蔵型ビデオレコーダー第一号「SL-7300」(1975年)も登場し、製品のバリエーションを広げている。
テープレコーダーにも、オーディオとしての音質を重視した製品群が豊富に登場。ソニー社内のアイデアコンテストで生まれたスピーカー内蔵ミニカーによるレコードプレーヤー「CHOROCCO」(1976年)のアイデアは今でも斬新。テレビはトリニトロンの高画質路線だけでなく、様々な視聴スタイルへ挑戦していたのがユニークだ。
他にないカテゴリとして、ソニー製のトランシーバーICB-650が登場したのもこの頃から。ソニーの通信機器は1964年に第一号機が発売しているが、「ICB-650」(1972年発売)がエベレスト登頂に用いられ、一躍有名になった。
■歴代ウォークマンが一堂に会する1980年代フロア
1980年代のフロアに足を踏み入れると、テレビにはあの猿のCM。そう、音楽の聴き方を変えたウォークマンの登場だ。会場に展示されているウォークマンは初代「TPS-L2」(1979年)を始めとして、壁一面にウォークマンブランドを冠したモデルがズラリ。
ディスクマンやMDウォークマン、そして現在のハイレゾプレーヤーとしてのウォークマンまで、実機が一堂に会する機会はそうそうない。ソニー好きならずとも、壁のウォークマンの展示を見れば、所有していた製品が1つは見つかるのではないか。
映像ファンには、”プロフィールPro”ブランドのトリニトロンカラーモニター「KX-21HV1」(1986年)が登場したのもこの時代。またソニーはベータマックスをベースにしたメディアをムービーにも展開している。熱狂の80年代の雰囲気と共にあったソニー製品を思い起こさせてくれる。
■物理メディア時代の1980年代とデジタル化の進んだ1990年代
1980年代と言えば、世界初の音楽CDプレーヤー「CDP-101」がソニーから登場した、物理メディア全盛の時代。音楽CDに加えて、引き続き人気のコンパクトカセット、オープンリール、さらにはDATテープまで、あらゆる物理メディアが時代を席捲していた。
ソニーは各種メディアの再生機を送り出していたが、なかでも当時人気を博したのがカセットとラジオを聴ける”ステレオカセットレコーダー”や”ラジカセ”、”ミニコンポ”といったセット型の商品群。家族でソニービルを訪れたら、見覚えのある懐かしい機種に巡り会えるに違いない。
一方、1990年代の後半にに入るとデジタル化の波が訪れ、ソニーからも「VAIO」ブランドのPCが登場。各種記録メディアもPCと親和性の高いメディアへと置き換えられていった。
ソニーを象徴する製品としてロボット犬の「AIBO」、ゲーム機のPlayStationが登場したのも1990年代。いずれも専用コーナーが用意されるほど、ソニーを代表する商品だ。
■レアモノに巡り会える2000年代フロア
最後に、つい最近の事のようにも思える2000年代は、ソニーが2003年から展開していた最高級ブランド”QUALIA”で展開していた商品が見られるという点でも貴重な展示。
特に映像ファンにとっては、現在のLEDバックライトの先駆けとなった「QUALIA 005」(2004年)、スタイリングの美しさで話題を集めたSACDシステムの「QUALIA 007」(2003年)というレアな製品が見られる。
もう一つ2000年代を象徴する製品と呼べるのが、HDD搭載でテレビ番組を録画するデジタルレコーダー。ソニーが業界に先駆けて発売した”Clip-on”こと「SVR-15」(2000年)や初代ブルーレイレコーダー「BDZ-S77」(2003年)も展示中だ。
全6フロアに渡る展示を観た先に待っているのは、ショップとソニーパークの模型展示。ソニーの歩んできた70年間を一気に振り返る「It's a Sony展」は、まさにAVファンにとっても思い出の品々に再開できる貴重な機会だ。銀座ソニービルの最後の勇姿を見るためにも、ぜひ足を運んでみてほしい。