ガジェット【連載】西田宗千佳のネクストゲート 第23回
「運転しない時代のEV」。ソニー&ホンダの「AFEELA」乗車で感じた未来
「自動車を運転しなくていい時代にどうするかを考えなければいけない」。ソニーとホンダの合弁事業であるソニー・ホンダモビリティの川西泉社長兼COOは、米ラスベガスで開催された「CES 2023」の会場で、同社のEV(電気自動車)「AFEELA(アフィーラ)」の方向性について、そう答えた。
「運転しない」時代に向けたEVとは、どのようなものになるのだろうか? 今回はCESのソニーブースに展示されたAFEELAのプロトタイプを体験できたので、そうした点を色々考えてみたい。
■AFEELAは「スマホデザイン」だ
まずAFEELAの外観を見てみよう。フロントとリアのディスプレイが目立つが、それ以外は意外なほどシンプルだ。
ちょうど3年前、2020年のCESでソニーが独自に公開した試作EV「VISION-S」に比べると、AFEELAは線が非常に少ない。
AFEELAのデザイン自体には賛否あるようだ。ただソニー・ホンダとしては、ここにかなりの思想性を込めたという。それは「内燃機関車からEVになることは、フィーチャーフォンからスマートフォンへの変化に近い」ということだ。
フィーチャーフォン(ガラケー)の頃、携帯電話のデザインは複雑だった。一方、スマホになるとデザインは一気にシンプル化し、 “板” に収斂していく。
もちろんそこに良し悪しはあるだろう。だが重要なのは、「差別化する点がメカからソフトに変わった」ということ。画面自体ではなく、その中で動くソフト部分に付加価値が移っている。ソフトはハード的なスライドする機構やボタンがあることよりも、進化の余地が大きい状態へと変化していった。
これは自動車でも同様であり、EVになることで、ソフトによって変化する領域は明確に増えていく。だとするならば、デザインもシンプルになっていくのでは……という主張を込めたデザインなのだ。
■センサー活用で「自律的なEV」に
「なるほど、だから画面がたくさんあるのか」。AFEELAを見て、そんな風に思うかもしれない。
フロントとリアの外観にはアニメーションが表示されるディスプレイがあり、車内のコントロールパネルも巨大なディスプレイになっている。メカでなくソフト、画面で主張する車なのか……という印象も受けそうだ。
確かにそれは間違いではないが、本質から外れてもいる。ここで彼らが重視しているのは「画面がある」ことではない。画面に表示されているものが「センサーとの連動」や「自由なカスタマイズ」の結果になっている、ということなのだ。
フロントとリアにあるディスプレイ「メディアバー」は、AFEELAの「自律的な動作を示すために作られたもの」と、ソニー・ホンダの担当者は説明する。
AFEELAがただ停止している状態では、メディアバーに何も表示されない。しかし人が近付くと、それを認識してアニメーションの表示を開始する。もし行き先に雨が降っていれば雨の警告を出すし、有料駐車場に停止中なら、「ここをあと何分使えるか」などを出す。場合によっては、近くで使えるクーポンを表示することもあるだろう。
EVには安全性確保と自動運転のために、多数のセンサーが搭載されている。それを純粋に自動運転のためだけに使うのはもったいない。人とのインタラクションに使うことで、EVを「自律性を持ったロボット」のように扱える可能性が出てくる。
実際、AFEELAのドアには「ノブ」がない。だが、センサーでドライバーの顔を認識するとドアが開く仕組みになっている。
そんな風に、縦横にセンサーを使うEVになることをAFEELAは目指していて、その「表現」の1つとしてディスプレイが活用されている、ということなのだろう。
実際、スマホにも似たようなところがある。スマホのモーションセンサーは、もともと「画面を回転させても見やすくできるように」搭載したものだ。だがそのうち、スマホを動かして遊ぶゲームが出てきたり、振動の傾向から歩数を計測して健康に役立てたりする例が生まれた。
こういう変化をEVで目指したい、とソニー・ホンダは考えているのだろう。
■スマホアプリで起きたことをEVでも
車内にしても同様だ。巨大な画面の上では、簡単に言えば「アプリ」が動いている。タブレットの上で動画のウインドウ位置を動かすように、車内のディスプレイの中で、動画を流す位置を自由に変えられる。
ウインドウの色やテイストは、まるでスマホの「スキン」を変える感覚。スタンダードな色合いから、一気に全部を「スパイダーマン」テイストへ変化させることだってできる。
さらには、自宅のPlayStation 5を通信経由で遊ぶ「リモートプレイ」を、自動車の中から楽しむことも可能だ。これらは全て、「アプリが自動車の画面で動いている」と思えば理解しやすいだろう。
実際、AFEELAの車内エクスペリエンス向け機能は、自動車向けAndroidである「Android Automotive OS」をベースに開発されている。そのため既存のAndroidアプリをカスタマイズしてやれば、車内で動作させることは難しくない。
ただ、これは別に「スマホと同じアプリが動きます」と言いたいわけではない。重要なのは「非常に普及したAndroidアプリという開発メソッドを活用し、自動車向けに機能を提供できるようになっている」ということだ。
EVはソフトで変わる。だとするなら、ソフトを作りやすい環境を用意し、自動車メーカー以外も「自動車の中に付加価値を提供する」ことができるよう、準備を進める必要がある。
これもまた、フィーチャーフォンの時代に「アプリ追加」は稀なことだったものが、スマホ時代になって「アプリ入れ替えやカスタマイズは当たり前」になっていったことに近い。
■「運転しない車」時代へのパートナーを求めて
結果としてEVの中は、かなりリッチなAV環境になっていく。映画を楽しむことも音楽を楽しむこともできるし、ゲームだってできる。ビデオ会議も大丈夫だ。
現状のEVでも「車内で過ごす時間が増えた」人が少なくないという。自宅の外のEV充電ステーションを使う場合、充電には数十分以上の時間がかかる。その間、車内でゆったり過ごす人も結構いるのだそうだ。
だとすれば、「EVをパーソナルAVルームにする」発想が出てきてもおかしくはない。極論、自宅の「はなれ」代わりに、一人になりたい時などに使う……なんていう考えは出てきそうなものだ。
そして、自動運転の比率がさらに高まると、走っている最中でも「誰も運転作業はしていない」時間が増えていくことになる。だとすれば、アプリを活用し、ソフトを活用し、AV機能を強化するのも必然だ。
問題は、そうした時間を過ごし、魅力的なものにするのがどんな要素か「まだわからない」ことかもしれない。もし、自動車の中だからこそ生きるエンタメやアプリが出てきたら、それは大きな産業になる。
だが、その発想は自動車メーカーだけでも、ソニーのようなエンタメ系企業だけでも生まれない。スマホから生まれた多数のアプリは、その大半が、スマホメーカー自身でも通信会社でもないところから生まれている。今回ソニーがAFEELAを展示したのは、そうした「パートナーになりうる人々」へのアピールが目的なのだ。
そもそも、AFEELAの発売は2025年だ。まだ2年もあるのに、実際に動くEVを展示して「手の内を晒す」意味は薄い。手札をオープンにするにはもちろん理由が必要で、その理由こそ、「他の企業の知見」ということなのだろう、と筆者は予測している。
「運転しない」時代に向けたEVとは、どのようなものになるのだろうか? 今回はCESのソニーブースに展示されたAFEELAのプロトタイプを体験できたので、そうした点を色々考えてみたい。
■AFEELAは「スマホデザイン」だ
まずAFEELAの外観を見てみよう。フロントとリアのディスプレイが目立つが、それ以外は意外なほどシンプルだ。
ちょうど3年前、2020年のCESでソニーが独自に公開した試作EV「VISION-S」に比べると、AFEELAは線が非常に少ない。
AFEELAのデザイン自体には賛否あるようだ。ただソニー・ホンダとしては、ここにかなりの思想性を込めたという。それは「内燃機関車からEVになることは、フィーチャーフォンからスマートフォンへの変化に近い」ということだ。
フィーチャーフォン(ガラケー)の頃、携帯電話のデザインは複雑だった。一方、スマホになるとデザインは一気にシンプル化し、 “板” に収斂していく。
もちろんそこに良し悪しはあるだろう。だが重要なのは、「差別化する点がメカからソフトに変わった」ということ。画面自体ではなく、その中で動くソフト部分に付加価値が移っている。ソフトはハード的なスライドする機構やボタンがあることよりも、進化の余地が大きい状態へと変化していった。
これは自動車でも同様であり、EVになることで、ソフトによって変化する領域は明確に増えていく。だとするならば、デザインもシンプルになっていくのでは……という主張を込めたデザインなのだ。
■センサー活用で「自律的なEV」に
「なるほど、だから画面がたくさんあるのか」。AFEELAを見て、そんな風に思うかもしれない。
フロントとリアの外観にはアニメーションが表示されるディスプレイがあり、車内のコントロールパネルも巨大なディスプレイになっている。メカでなくソフト、画面で主張する車なのか……という印象も受けそうだ。
確かにそれは間違いではないが、本質から外れてもいる。ここで彼らが重視しているのは「画面がある」ことではない。画面に表示されているものが「センサーとの連動」や「自由なカスタマイズ」の結果になっている、ということなのだ。
フロントとリアにあるディスプレイ「メディアバー」は、AFEELAの「自律的な動作を示すために作られたもの」と、ソニー・ホンダの担当者は説明する。
AFEELAがただ停止している状態では、メディアバーに何も表示されない。しかし人が近付くと、それを認識してアニメーションの表示を開始する。もし行き先に雨が降っていれば雨の警告を出すし、有料駐車場に停止中なら、「ここをあと何分使えるか」などを出す。場合によっては、近くで使えるクーポンを表示することもあるだろう。
EVには安全性確保と自動運転のために、多数のセンサーが搭載されている。それを純粋に自動運転のためだけに使うのはもったいない。人とのインタラクションに使うことで、EVを「自律性を持ったロボット」のように扱える可能性が出てくる。
実際、AFEELAのドアには「ノブ」がない。だが、センサーでドライバーの顔を認識するとドアが開く仕組みになっている。
そんな風に、縦横にセンサーを使うEVになることをAFEELAは目指していて、その「表現」の1つとしてディスプレイが活用されている、ということなのだろう。
実際、スマホにも似たようなところがある。スマホのモーションセンサーは、もともと「画面を回転させても見やすくできるように」搭載したものだ。だがそのうち、スマホを動かして遊ぶゲームが出てきたり、振動の傾向から歩数を計測して健康に役立てたりする例が生まれた。
こういう変化をEVで目指したい、とソニー・ホンダは考えているのだろう。
■スマホアプリで起きたことをEVでも
車内にしても同様だ。巨大な画面の上では、簡単に言えば「アプリ」が動いている。タブレットの上で動画のウインドウ位置を動かすように、車内のディスプレイの中で、動画を流す位置を自由に変えられる。
ウインドウの色やテイストは、まるでスマホの「スキン」を変える感覚。スタンダードな色合いから、一気に全部を「スパイダーマン」テイストへ変化させることだってできる。
さらには、自宅のPlayStation 5を通信経由で遊ぶ「リモートプレイ」を、自動車の中から楽しむことも可能だ。これらは全て、「アプリが自動車の画面で動いている」と思えば理解しやすいだろう。
実際、AFEELAの車内エクスペリエンス向け機能は、自動車向けAndroidである「Android Automotive OS」をベースに開発されている。そのため既存のAndroidアプリをカスタマイズしてやれば、車内で動作させることは難しくない。
ただ、これは別に「スマホと同じアプリが動きます」と言いたいわけではない。重要なのは「非常に普及したAndroidアプリという開発メソッドを活用し、自動車向けに機能を提供できるようになっている」ということだ。
EVはソフトで変わる。だとするなら、ソフトを作りやすい環境を用意し、自動車メーカー以外も「自動車の中に付加価値を提供する」ことができるよう、準備を進める必要がある。
これもまた、フィーチャーフォンの時代に「アプリ追加」は稀なことだったものが、スマホ時代になって「アプリ入れ替えやカスタマイズは当たり前」になっていったことに近い。
■「運転しない車」時代へのパートナーを求めて
結果としてEVの中は、かなりリッチなAV環境になっていく。映画を楽しむことも音楽を楽しむこともできるし、ゲームだってできる。ビデオ会議も大丈夫だ。
現状のEVでも「車内で過ごす時間が増えた」人が少なくないという。自宅の外のEV充電ステーションを使う場合、充電には数十分以上の時間がかかる。その間、車内でゆったり過ごす人も結構いるのだそうだ。
だとすれば、「EVをパーソナルAVルームにする」発想が出てきてもおかしくはない。極論、自宅の「はなれ」代わりに、一人になりたい時などに使う……なんていう考えは出てきそうなものだ。
そして、自動運転の比率がさらに高まると、走っている最中でも「誰も運転作業はしていない」時間が増えていくことになる。だとすれば、アプリを活用し、ソフトを活用し、AV機能を強化するのも必然だ。
問題は、そうした時間を過ごし、魅力的なものにするのがどんな要素か「まだわからない」ことかもしれない。もし、自動車の中だからこそ生きるエンタメやアプリが出てきたら、それは大きな産業になる。
だが、その発想は自動車メーカーだけでも、ソニーのようなエンタメ系企業だけでも生まれない。スマホから生まれた多数のアプリは、その大半が、スマホメーカー自身でも通信会社でもないところから生まれている。今回ソニーがAFEELAを展示したのは、そうした「パートナーになりうる人々」へのアピールが目的なのだ。
そもそも、AFEELAの発売は2025年だ。まだ2年もあるのに、実際に動くEVを展示して「手の内を晒す」意味は薄い。手札をオープンにするにはもちろん理由が必要で、その理由こそ、「他の企業の知見」ということなのだろう、と筆者は予測している。