HOME > レビュー > 運命的な出会いを感じた逸品・アキュフェーズ「DP-900」「DC-901」

【連載第1回】極 kiwami〜魅惑の響きを求めて

運命的な出会いを感じた逸品・アキュフェーズ「DP-900」「DC-901」

公開日 2012/03/30 13:49 貝山知弘
  • Twitter
  • FaceBook
  • LINE

希有な逸品と出会った。アキュフェーズのSACDプレーヤーDP-900/DC-901である。いわゆる〈セパレート方式〉のプレーヤーで、ディスクを回転させ信号をピックアップするトランスポートと、デジタル・プロセッサー(DAC)をそれぞれ独立した筐体に収めている。

アキュフェーズ SACDトランスポート
DP-900
アキュフェーズ MDSDデジタルプロセッサー
DC-901


この製品、昨年秋に自宅で試聴したが、その透徹したサウンドを聴きながら、わたしはこの製品との運命的な出会いを感じていた。この時は機器のウォームアップを含め数時間の試聴だったから,本機の能力のすべてが判るわけではない。しかし、私が基準としているディスクを聴き判ったのは、本機が類まれに幅広い音の表現に対応できる図抜けた能力を持っているということだった。CDでもSACDでも、それぞれのディスクの限界までの音域とダイナミックレンジをクリアーしていることは勿論、低域端、高域端でもエネルギーが充満した、歪みの少ないサウンドがとり出せるのだ。オーディオ機器の臨界音域での性能については、いままであまり重視されていなかったが、本当の意味での広帯域再生を具現するためには、必要不可欠の性能だと考えている。(音域の臨界での性能差はパワーアンブで最も顕著に現れるが、音の入り口であるプレーヤーでも重要な課題であることは言うまでもない)。


《ボワ・ノワール》に導入されたアキュフェーズ「DP-900」「DC-901」
こうした基本性能の優位性は、音楽表現に端的に現れる。部分的な歪みが耳につくディスクで、その歪みが激減するケースだ。

私が愛聴するSACD、ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコがクラウディオ・アバド指揮のオーケストラ伴奏で歌うオペラ・アリア集《sempre libera》(ドイツ・グラモフォン盤00289 474 8812)に収録されている『ランメルモールのルチア』からのアリア「香炉はくゆり」(chap12)には、グラスハーモニカの伴奏で歌われるソプラノの長いカデンツァがある。ネトレプコはそのラストを最高音のフォルテでしめくくるが、従来のプレーヤーで再生すると、最後の一音だけがどうしても歪んで聴こえていた。画竜点晴を欠く例だと諦めていたがそれは間違いだった。


アンナ・ネトレプコ『sempre libera』
DP-900+DC-901のコンビを導入したシステムでは、歪み感が大幅に減少し違和感を感じないレベルに収まったのだ。歪みは皆無ではない。しかしその量はごく微小で音楽の流れを阻むものではなくなっている。「この製品なら末永く付き合えるだろう」とわたしは思った。本機を自宅の試視聴室《ボワ・ノワール》に導入してから既に一ケ月以上になるが、聴き込むにつれ本機に対する信頼感はさらに増してきた。

導入後に最初に聴く曲は事前に決めていた。エサ=ペッカ・サロネン指揮のロサンジェルス・フィルハーモニーが演奏したストラヴィンスキーの《春の祭典》。グラモフォンから発売されたシングル・レイヤーのSACD(SHM仕様)だ。その時点で最も音質が優れたディスクだったからだが、実はもう一つ理由があった。遡ること67年、1945年の終戦の日に聴いたのがこの曲だったからだ。そのSPは僧侶だった父のコレクションの中にあったもので、戦前まだ子供だった私はあの「ズンズン」と鳴るリズムが好きで父にねだってはその部分だけを聴いて身体を揺すっていた。終戦の日になぜこの曲を聴いたのか? その理由は判らなかったが、今にして思えば、戦いか終わったという空虚感が荒々しいリズムを求めたのかもしれない。


エサ=ペッカ・サロネン指揮/ロサンジェルス・フィル『ストラヴィンスキー:春の祭典』
DP-900+DC-901を加えたシステムで聴く《春の祭典》は、期待以上のサウンドで私を興奮させた。この曲では春の空気感と生贄を捧げる異教徒の儀式の荒々しさが同居している。聴き手は冒頭を飾るファゴットのミステリアスな響きに導かれて原始の空間で展開する異教徒の祭典に立ち会うこととなるが、多種類の管楽器の響きと弦楽器の響きが複雑に交錯し、ティンバニーやグランカッサ(大太鼓)などパーカッションが打ち出すグロテスクな響きとリズムを体感することとなる。私はこの曲を聴く時には、いつにも増して音量を上げ聴いている。この曲では考えることを止め楽音だけを体感したいからだ。

ティンバニーやグランカッサの響きが直に身体を揺すり、ピッコロやフルートの響きが耳に突き刺さり、トランペットの響きは輝きに満ち、ファゴットやコントラファゴットの艶のある低音が豊かに聴こえなければならない... 。このプレーヤーはそうした要素の数々を克明に表出してくれた。

《春の祭典》の演奏では通常の管楽器の他にアルトフルート、小クラリネット、バスクラリネット、コントラファゴット、バストランペット、ピッコロトランペットなど多種の管楽器が使割れている。これだけ多彩な管楽器の音が聴ける曲も稀だが、DP-900とDC-901のコンビは、その音色差を的確に表出すると同時に教えてくれた。

例えば導入部のファゴットには、すぐさまクラリネットの響きが重ねられ不気味な音の効果を産み出すし、同じく導入部の中でオーボエのリズムにバスクラリネットのアルペッジョが重なりと不気味な陰影が生まれるなど微妙な効果が描き出されてくる。こうした効果は一度聴いただけでは判らず、結局解説書片手に2度も3度も聴くことになるのだが、それが聴覚を通し蓄積されていく過程は新たに知った楽しみである。

第1部第2曲〈春のきざしと乙女たちの踊り〉では、弦のトゥッティによる「ズン・ズン」というスタッカートでは中低音域での量感と力感の絶妙なバランスが聴けた。適度の音の締まりも効いている。最後、ティンパニーの打音に続くグランカッサの強打はぐんとローエンドまで力感を維持したまま延びている。

こうした低音臨界での効果は、第2部第4曲〈祖先の霊の呼び覚まし〉でも体感できる。ここでは祖先の霊を呼び覚ます原始的な祈りが力強い全奏で表現されるが、ローエンドへの伸びは更に著しく、低音臨界での響きもさらに強く持続する。

《春の祭典》と同じグラモフォンのSACD〜SHM仕様の中では、ヒラリー・ハーンのJ.S.バッハ/ヴァイオリン協奏曲集(UCGG-9005)も推薦できる一枚だ。ハーンらしい颯爽としたテンションの高い演奏が細部まで克明に記録されたソースだが、緻密で豊かな倍音が美しく延びきった高音域の響きを形成している。

ヒラリー・ハーン(Vn)J.S.バッハ/ヴァイオリン協奏曲集

かってCDで聴いた時には、高音域の張りが強く、それが(微弱ではあるが)歪みと繋がっていたが、SHM仕様盤を本機で再生した場合には、歪みは全くなく、緻密で美しい響きに変っている。

デンオンのSHM仕様SACDでは、ピアニスト田部京子とカルミナ四重奏団が演奏したシューベルト/ピアノ五重奏曲《ます》(COGQ-1004)が素晴らしかった。既発売のハイブリッドSACDでは、高弦の響きが刺激的に響き、ピアノと弦のバラつきとコントラバスの響きが曖昧だったが、SHM仕様盤を本機で再生した場合には音場の透明感が増し粒立ちのいいピアノの響きと滑らかに歌う弦の対比や融和が鮮明に表出できた。本機で聴く闊達な演奏は、わたしに何ものにも代え難い喜びを与えてくれる。

田部京子(Pf)カルミナ四重奏団:シューベルト/ピアノ五重奏曲《ます》

本機を使用するメリットはCD再生でも現れる。今回聞き直した数々のCDのサウンドを総括すると、音の芯に揺るぎがなく力感が豊かで、演奏の細部まで表出するる歪みやノイズの少ないサウンドが得られるのだ。これは、トランスポートDP-900の剛体構造の成果とDC-901の進化した緻密なデジタル信号処理の恩恵だと受け取っていい。

当然なことだが、本機と組み合わせるケーブルやアクセサリーは、できるだけ厳選した方がいい。私の場合、DP-900(トランスポート)、DC-901(DAC)の電源ケーブルには、アクロテックとAETの高級ケーブルを使用し、両者を結ぶHSリンクケーブルにはオーグラインのLANケーブルを起用し、配線時には床を伝ってくる震動を軽減するため、ケーブル用のインシュレーターを使用している。付属のHSリンクケーブルも上質のものだが、トータルでの音を聴きながら僅か華やかなニュアンスが加わる上記のケーブルを選んだ。DC-901とプリアンプ間はAETのRCAケーブルEVIDENCEでつないでいる。

最後に本機を導入したステレオシステムでの使用機材を挙げておこう。プリアンプ/アキュフェーズC-3800、パワーアンプ/テクニカルブレーンTBP-Zero(2基)、スピーカー/フォステクスG-2000(2基)。

貝山知弘 KAIYAMA,Tomohiro
早稲田大学卒業後、東宝に入社し13本の劇映画をプロデュース。代表作は『狙撃』(1968)、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1970)、『化石の森』(1973)、『雨のアムステルダム』(1975)、『はつ恋』(1975)。独立後、フジテレビ/学研製作の『南極物語』(1983)のチーフプロデューサーや、カナダとの合作映画『Hiroshima』でのアソシエート・プロデューサーを務める。94年にはシドニーで開催されたアジア映画祭の審査委員に。アンプの自作から始まったオーディオ歴は50年以上。映画製作の経験を活かしたビデオの論評は、家庭における映画鑑賞の独自の視点を確立した。

この記事をシェアする

  • Twitter
  • FaceBook
  • LINE