【連載】極 kiwami〜魅惑の響きを求めて
ピエガの魅惑に浸った5&1/2 Days(前編)− 「音楽」の本質を捉えるための「音質」の重要さ
ピエガ新シリーズのフロアスタンディング・スピーカー「Coax 90.2」「Coax 70.2」と出会ったのは、今年3月のことである。これらニューモデルはCL90X、TC70Xの後継機だが、両者とも積極的なグレードアップが施されたゴージャスな製品であった。特にCoax 90.2ではリボントゥイーターを〈C2同軸リボン〉から、フラグシップモデルで採用している〈C1同軸リボン〉に変えている。これらのユニットではトゥイーターの振動板をミッドレンジの振動板がとり囲んでいる。中・高域の振動板が同一平面上にあるので中・高音で同一のインパルス応答が得られる優れた構造だ。このユニットはネットワークを必要としないので素直な位相特性が得られることが大きな特長だ。
C1とC2の違いは再生音域。C2が500Hz以上の帯域を再生するのに対し、C1は400Hzから上の帯域を再生できる。C1の方が低域限界が低い分、多くのソースで自然な音の繋がりが得られる。Coax 70.2ではCoax 90.2と同様エンクロージャーに上級モデルと同じアルミ押し出し成形技術と内部構造を採用している。後部まで美しい曲線を描くキャビネットはアルミ塊に7,000トンの圧力を加え押し出し成形したもので、内部の定在波を極限まで低下させ、優れた放射特性を実現している。
この2モデルとの初の出会いで試聴できた時間は4時間強。特別な準備はせず、自宅の試聴室《ボワ・ノワール》の2ch再生システムに接続して聴いた。その時のトータルでの評価は、2機種とも緻密な細部の表現に長け、多彩な音色に対応し、力強く引き締まった低音域の表情が魅力的だということだった。
2機種のうちパーフェクトと言えるエネルギー・バランスで鳴ったのはCoax 70.2の方だった。Coax 90.2はfレンジ(周波数帯域)の広さと、ダイナミック・レンジの広さで圧倒したが、唯一気になったのは中・高音域のエネルギーが僅かだが強めに表出されていたことであった。これはスピーカーの責任ではなく、現用のリファレンス・スピーカーに合わせた私のシステムでは、このモデルをフルに鳴らし切ることができなかったというだけだ。
私が推測した原因は次のことだ。90.2ではミッドレンジ振動板の面積が大きく、再生帯域が低域方向に伸びている〈C1〉ユニットを採用している。70.2とはウーファーとのクロス周波数が違うので、システム全体のバランスが変わったのだ。このケースでは試聴室の音響特性と使用した再生システムとの関係で70.2の方がウェルバランスが得られたというわけだ。
90.2を部屋の音響特性に合わせことはできる。具体的にはスピーカーのセッティング位置を動かしたり、再生システムの使用ケーブルやアクセサリーを見直したりするのだが、それは短時間で行なえるほど簡単な作業ではない。その日は残念ながらここまでで試聴を終えた。
だが、このように仕残したことがあると気になって仕方がない。気になったのは一点だけだったが「優れた製品はフルに鳴らしきる」というのが私のモットー。僅かでも違和感を覚えることがあれば、それを解決したくなる。今までにも数々の優秀モデルでそれを実践してきた。私は輸入元のフューレン・コーディネートに本格的な試聴機会を作ってくれないかとお願しその時を待った。ハイエンドの機器を長時間借りるのは難しいことだが、7月中旬やっとその日が訪れた。Coax 90.2を6日間借りることができたのだ。システムの設置や調整、返却時の解体スケジュールを考えると、実質5&1/2Daysの試聴である。参考までにCoax 70.2も持参してもらったが、こちらは前回理想的な再生を確認しているので初日だけの試聴で返却し、後はCoax 90.2とのに取り組みに総力を注ぎこむこととした。
今回の試聴ではプリアンプにOCTAVEのハイエンドモデル「Jubilee Preamp」を借用することにした。理由は2つある。まずピエガ社が行なう試聴でOCTAVEのアンプを使用する頻度が高いこと。もうひとつは、このプリはローエンドまで十分なエネルギー量を持っていることだ。他の使用機器はSACD/CDプレーヤーにアキュフェーズDP-900+DC-901、パワーアンプはテクニカルブレーンTBP-Zero(2基)だ。
「音楽」と「音質」の交わる接点を探求する
試聴時、私が最終的に心に問うのは「音楽がどう聴けたか」という一点である。しかし、その過程では音のクオリティをとことんまで追求している。この時私が立っているのは、音楽と音が交わるポイントだ。そこは曖昧さを許さない空間で、音楽だけに溺れても、音だけに溺れても正しい判断はできなくなる。音楽だけに溺れれば、音質の判断が曖昧になりがちだし、音だけに溺れては、何のための高音質かが問われることとなる。ここでは、音楽再生と音質との微妙な接点を語るに相応しい具体例をあげておこう。
マーラーの交響曲第4番の中にその好例がある。これはLPアナログディスクでもデジタルディスクでも聴きまくった曲で、その数は数十タイトルにも及ぶ。
この曲には私にとって逢魔が辻のような箇所がある。第4楽章の冒頭、クラリネット、オーボエ、フルートなどがのどかなメロディを奏で、ソプラノがバイエルン地方の民謡『天国はヴァイオリンでいっぱい』の詩を歌いだす。その詞は「わたしたちは天国の喜びを味わっている。だから地上の俗事は避けてもいられる。人の世のやかましい騒ぎなど、天国では聞こえはしない....」(岩下眞好訳/EXTONディスクの解説より)だ。
この歌は4つに区切られており、第一部が終わると、突然、鈴の響きを伴った賑々しい間奏が闖入してくる。これが私のいう「逢魔が辻」だ。
その後この間奏は3回出てくるが印象は極めて強い。ここで演奏している楽器は鈴とトライアングル、フルート、ピッコロ、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、ホルン、第1・第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、ハープなどで、最も高い音を出しているのがピッコロとヴァイオリンだ。いままで聴いたディスクでは、このように多様な楽器が一斉に強奏する音が騒々しく刺激的に聞こえ違和感を覚えてしまうことが圧倒的に多かった。第4番はマーラーの交響曲中最も小編成の曲で、通常のオーケストラからトロンボンとテューバを外している。作曲者はこの交響曲では意図的な大音量を避けているのだ。ここで表現しているのは天国の饗宴だから、地上の饗宴を想起させるような音では駄目なはずだが、悲しいことにほとんど全部のディスクで「地上的な騒々しさ」が表出されてしまうのだ。「天上的な賑々しさ」の表現が、神経を逆撫でするような刺激的な響きや混濁した響きでいいはずはない。この箇所は生の演奏でも混濁することは多いのだが、それは違和感に通じるほどの刺激音ではない。違和感がディスクのみで起こるのは録音技術が複雑な響きの強奏に耐えないのだと割り切って諦めていた。
しかし最近、奇跡的にこの因習から抜け出たディスクに出会った。マンフレッド・ホーネック指揮/ピッツバーグ交響楽団の『マーラー 交響曲第4番』だ(EXTON OVGL-00022)。このSACDシングル・レイヤー盤では地上的な騒々しさではなく、洗練された賑々しさが表出されているのだ。張りつめた音ではあるが混濁を感じることはなく、輝きと歓喜に満ちた賑々しい音の世界が現出したのだ。これは演奏の勝利というより録音の勝利と言った方がいいだろう。これを機にこのディスクは私が最も厳密に再生システムの音質を評価する時に使うようになった。つまりリファレンス・ディスクの仲間に入ったのだ。
−−以下、第2回に続く(第2回は11/27掲載予定です)
貝山知弘 KAIYAMA,Tomohiro 早稲田大学卒業後、東宝に入社し13本の劇映画をプロデュース。代表作は『狙撃』(1968)、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1970)、『化石の森』(1973)、『雨のアムステルダム』(1975)、『はつ恋』(1975)。独立後、フジテレビ/学研製作の『南極物語』(1983)のチーフプロデューサーや、カナダとの合作映画『Hiroshima』でのアソシエート・プロデューサーを務める。94年にはシドニーで開催されたアジア映画祭の審査委員に。アンプの自作から始まったオーディオ歴は50年以上。映画製作の経験を活かしたビデオの論評は、家庭における映画鑑賞の独自の視点を確立した。 |