コンプもリミッターも使わない、徹底した“原音至上主義”。「アルティメイト・サウンド・シリーズ」のマスタリング現場を訪ねる
■炸裂するエネルギー、和太鼓の低音に仰天
林英哲の和太鼓の低音が唸り、エネルギーが刺さってくるような気迫に仰天した。直径1m以上もある大太鼓が7連並び、炸裂する演奏は凄まじい。
ここは静かな気品が漂う町、南葉山にある秋谷スタジオである。葉山御用邸から海岸線の道路を回り、急な坂道を登った高台にある。音楽レーベル「アールアンフィニ」がまもなくデビューさせる「アルティメイト・サウンド・シリーズ」のマスタリング現場だ。“音”志向なオーディオファンにフォーカスしたシリーズを制作中なのである。
「アルティメイト・サウンド」シリーズは「原音至上主義」をポリシーとして、演奏家の音をそのままリアルに収録することにこだわっている。コンプレッサー、リミッターなどは一切使わず、マイクセッティングにより最適な音作りを行っている。「電気的なエフェクターを通過させると音の純度が低下したり、失われる情報がある」と考えているからだ。限りなく原音を伝えることが目的だ。
こんなアルバムの制作に挑戦しているのが、アールアンフィニを主宰する武藤敏樹氏である。武藤氏とはどんな人物なのか。もともとソニー・ミュージックエンタテインメントで洋楽クラシックのプロデューサーをしていた良い音を作る名人。2017年に退社し、その後独立して葉山に移住しアールアンフィニの代表に就任した。プロデューサーであり、レコーディングからミキシング、マスタリングまでこなすエンジニアである。これまでクオリティの高いクラシック音楽のSACD/CDを多数制作してきた。レーベル名は「永遠の芸術」という意味のフランス語である。
「アルティメイト・サウンド・シリーズ」はソニーミュージック時代に武藤氏が手がけた「スーパー・サウンド・アドベンチャー」シリーズのスピリットを受け継ぎ、最新鋭のデジタル技術を使い、挑戦する企画である。武藤氏の温めてきた夢はここにあった。
オーディオには音楽を心地よく楽しむ音楽ファンと、一方でオーディオの音のリアリティを徹底追求をするマニアが存在する。どのようにしたら最高の音が実現できるのか。そんなマニアの要望に答えるべき作品を作りたい。
武藤氏のリアルなサウンドを追求する姿勢に共感したのが、葉山で秋谷スタジオを運営する伊藤 篤さんである。この方も純粋な音マニアで、スタジオは音重視の部屋にリフォームされたものである。
スタジオに入ると、そこにはフォステクスの20cm口径フルレンジに、ホーン型のスーパートゥイーターを乗せて構成したシンプルなスピーカーが見える。一見ふつうの2ウェイ構成と思うが、これが驚くべき伊藤さんの建物一体化バックロード・ ホーンスピーカーであった。木のキャビネットからホーンは床下へ繋がっており、厚いコンクリートで作ったそれは、4.3mの長さ。折れ曲がって床下を這っている。出口は床面にある。
壁にももう一組、バックロード・コンクリートホーンスピーカーがあった。壁に埋め込むように設置されたスピーカーキャビネットに5mのコンクリートホーンが壁の裏で繋っており、弧を描いている。出口は壁上方に設けられている。つまり、家自体がコンクリートホーンになっているのである。
林英哲の和太鼓を再生すると、20cmフルレンジの不安は吹き飛んだ。それが冒頭の印象に記したものだ。和太鼓の怒濤のような重低音が凄まじい。強靱な響きとなっている。気迫はとてつもない。
モニタースピーカーの威力は半端ではなかった。秋谷スタジオには演奏した演奏家ご本人も訪れ、納得のサウンドに感激したという。武藤さんは最終段階のマスタリングでチェックに使って、低域の表現の動きを確認していた。
■ソプラノとギターのデュオ作品も同時リリース
アルティメイト・サウンド・シリーズ第1弾は、林英哲作品のほか、ソプラノ歌手の奥脇 泉とクラシックギターの河野智美のユニット「さくやひめ」によるデュオ作品『アルマ』もリリースされる。「スカボロー・ フェア」など世界の名曲15曲を収録。自然に歌うソプラノと洗練されたギターの旋律が沁みる名盤だ。
このアルバムは、全曲同じ曲、同じ内容の2枚組という異例の作品だ。同じ条件で収録されている音だが、ミックスダウンで音作りのアプローチを変えたAとBを作ったところ、ヴォーカルの奥脇と、ギターの河野の意見が別れた。双方のこだわりの強さから、2枚組で出すことになったというわけだ。片方はクラシック音楽で採用されることの多いミキシングの手法を採り、もう片方はポピュラー音楽で使われる手法を採っているという。ミキシングの手法は全く違うが、なるべく同じ音になるように腐心したという。
音質的にはどちらも優れているが、「スカボロー・フェア」を聴くと、片方はヴォーカルのニュアンスが大変自然でギターの余韻がきめ細かい。もう片方は最近の高音質CDにあるパターンで、透明でコントラストの高い、輪郭のはっきりしたシャープなサウンドである。
これだけ超ワイドなダイナミックレンジの音だとコンプレッサーやリミッターを使わないと当然レベル的に入らないのだが、武藤氏によるとピコ秒レベルで何十時間もかけて手入力で波形を書いているとのこと。コンプレッサーやリミッターを通せばいとも簡単だが、どんなに優秀なエフェクターを使ってもどうしても音質的に失われるものが多いので、そのようにしているとのことだった。
オーディオは十人いたら十通りの理想があると考えている。筆者は製品評価で独自の視点で絶対評価をしなければならないが、さて、CDを購入した読者はどちらに軍配を上げるのか。このシリーズでは、こんな実験的、研究的な趣味の世界も提案していくようだ。
なお、同シリーズの録音は全てDSD11.2MHz、編集は352.8kHz/32bit Floatで行っており、パッケージとしてはSACDハイブリッド盤にてリリースする。さらに、ハイレゾを含む7フォーマットにて配信も行う。
1980年から2000年代には、CDオーディオに期待した「音マニア」にアナログでは出せない可能性を提案したアルバムが登場していた。バスマリンバ、パーカッション、チェロ、コントラバス。オーディオのチェックにも重宝した。
アールアンフィニの「アルティメイト・サウンド・シリーズ」に大いに期待したいのは、武藤氏のポリシーであるノン・コンプレッサーによる音である。ぜひその可能性を聴かせて欲しい。
取材Photo by 君嶋寛慶
【アルティメイト・サウンド・シリーズ第1弾 4月23日発売】
林英哲『英哲THE 大盈(たいえい)』
MECO-1084 3,850円(税込)
SACD ハイブリッド盤
DSD11.2MHz、PCM384KHz/24bit 以下全7フォーマットにて配信
アールアンフィニ
林英哲(太鼓、歌)、英哲風雲の会:上田秀一郎・はせみきた・田代誠・辻祐・小泉謙一・木村優一(太鼓、歌、箏、マリンバ)、藤舎貴生(能管)、藤原道山(尺八)
和太鼓をドドン、カンカンと叩く音から、大勢で同時に鳴らす地響きのような音まで多彩な表情を収録。和太鼓=打つ音のほか、尺八などの吹く音も収録され、オーディオシステムや、そのセッティングをあらわにする怖い音源でもある。佐渡・鬼太鼓座、鼓童の創設に関わり世界で活躍してきた和太鼓の第一人者・林英哲が、英哲風雲の会を率いて演奏した渾身の集大成
さくやひめ『アルマ』
MECO-1085 3,850円(税込)
SACDハイブリッド盤(2枚組)
DSD11.2MHz、PCM384KHz/24bit 以下全7フォーマットにて配信
アールアンフィニ
奥脇 泉(ソプラノ)、河野智美(クラシックギター)
「スカボロー・フェア(英国民謡)」、「デスペラード(G.フライ、D.ヘンリー)」、「私は愛で死にかけている(J.B. リュリ)」など永く受け継がれてきた世界の名曲、古楽までを収録。抜けるようなソプラノと繊細なギターが広い空間に広がる美しい音楽。同一レコーディングのマスターから異なるミキシング(=各マイクのバランスや音質を調整すること)を行った2枚組。CDブックレットには異なるミキシングに対してQR形式のアンケートも封入される。1枚組通常価格と同じ特別価格でのリリース。
※全てDSD11.2MHz録音、352.8kHz/32bit floatにて編集
本記事は『季刊・Audio Accessory vol.196』からの転載です