K‐01が金賞にふさわしい製品として評価された最大の理由は、再生音の完成度の高さにある。セパレート型、一体型を問わず、これまでエソテリックのデジタルプレーヤーの音として私たちが支持してきた精密さや圧倒的情報量を基盤に据えつつ、さらにその先の表現力を獲得した点が、特に高く評価されたのだ。
具体例を挙げてみよう。表現の幅が従来よりも確実に広がっている例として、エルガーのチェロ協奏曲冒頭を聴く(独奏:ソル・ガベッタ)。
チェロの独奏に弦楽器、木管楽器が次第に音を重ねていく最初の数十小節を聴くだけで、際立った音色の多様さに息を呑んだ。
音域による厚みや色合いの違いはもちろんのこと、弓の速さや圧力の変化による音色の違いが実に精妙で階調に富み、ひとりの卓越した歌手が歌っているような深い表現力が伝わってくるのだ。その表現力の広がりと、独奏チェロや弦楽器のしなやかで柔らかいタッチは、K‐01が新たに獲得した重要な資質のひとつだと思う。
その後、主題の提示に続いてオーケストラの音量が上がっていくと、今度は地に足の着いた安定感の高さに圧倒される。揺らぎのない安定した低弦のピッチと伸びのある音色は格別で、オーケストラ全体の響きをしっかりと支えている。その安定した響きが土台にあるからこそ、独奏チェロの艶やかな音色や繊細なピアニシモがくっきりと浮かび上がってくるのだ。
ベースやギターのシンプルな伴奏で歌うペトラ・マゴーニのボーカルは、ライブ会場の漂うような空気感と共に、これ以上はないと思わせるほどリアルな存在感がある。
声はどの音域にも潤いがあり、ドライなタッチに傾くことがないし、ギターの木質の余韻も絶妙な柔らかさをたたえている。ベースはアンカーで固定したような安定した音像が立ち上がり、まったくふらつかない。声も楽器もどれひとつとして輪郭がにじんだりぼやけたりしないので、ステージを目の前にしてミュージシャンと直接対峙しているような錯覚に陥るし、スピーカーの存在は最初から意識の外にある。
ここで紹介した表現力の深みはほんの一例に過ぎない。ディスクから新しい表情を引き出すことに関心があるなら、本機の音をぜひ試聴してみることをお薦めする。 |