「ベータの40年」を振り返る
さようなら、ベータマックス。AVレビュー元編集長が見た誕生、敗北、そして終焉
■ベータが遺した「技術的に優れたものが必ずしも勝利しない」という教訓
実は筆者の自宅には、2台のアナログVCRが現存している。32年前に母(故人)がNHK教育テレビの歌舞伎中継や邦楽番組を録画したいというので私が買ってきた、日本ビクター製のノーマルVHSだ。8万円位だったと思う。当時3チャンネルはモノラルだったので、ハイファイVCRは必要なかった。以来母が亡くなるまで30年にわたって働き続けた。私個人用のS-VHSはとっくに廃棄したが、この1台だけが残った。前面のシーリングドアは外れて行方不明、外装はボロボロ。録画は怪しいが再生はノープロブレム、故障歴なし。
もう1台が上写真のベータマックス方式(EDベータ)のEDV-7000。20万円位だったはずだ(※2)。一度故障し秋葉原のソニーサービスで修理、もともと大切に使ったから傷汚れのないきれいな状態だ。アナログからデジタルへ、ひもが板に変わり、録画はもちろん今では再生もしない。一種のオブジェである。
(※2)EDV-9000を買う予定だったが、故・斎藤宏嗣氏と貝山知弘氏が「大橋さん、9000はメダカ(ノイズ)が出るから7000にしなよ」というので買ったのである。やはり9000にしておけばよかった
ボロボロになっても現役だった安物のVHSと、美しいまま早過ぎる引退をした高価なベータマックス。一家庭での生き様の対照が、そのまま家電産業史のなかでの両方式の姿を映し出しているように思える。
◇
技術的に洗練された高性能なものが必ずしも勝利しないという現代エレクトロニクス産業の新「常識」は、ベータの教訓に始まった。
VHS方式と日本ビクター開発陣の奮闘を描いた物語が映画になり多くの共感を呼んだことは記憶に新しい。しかし、勝利には時の運(偶然と言い換えてもいい)というものが付き物で、後から都合のいい解釈も出来るものだ。
冷徹で具体的な教訓に満ちていて本当に「面白い」のは、むしろ勝てなかった方の物語なのだ。誰かベータを映画化しませんか?
(大橋伸太郎)
実は筆者の自宅には、2台のアナログVCRが現存している。32年前に母(故人)がNHK教育テレビの歌舞伎中継や邦楽番組を録画したいというので私が買ってきた、日本ビクター製のノーマルVHSだ。8万円位だったと思う。当時3チャンネルはモノラルだったので、ハイファイVCRは必要なかった。以来母が亡くなるまで30年にわたって働き続けた。私個人用のS-VHSはとっくに廃棄したが、この1台だけが残った。前面のシーリングドアは外れて行方不明、外装はボロボロ。録画は怪しいが再生はノープロブレム、故障歴なし。
もう1台が上写真のベータマックス方式(EDベータ)のEDV-7000。20万円位だったはずだ(※2)。一度故障し秋葉原のソニーサービスで修理、もともと大切に使ったから傷汚れのないきれいな状態だ。アナログからデジタルへ、ひもが板に変わり、録画はもちろん今では再生もしない。一種のオブジェである。
(※2)EDV-9000を買う予定だったが、故・斎藤宏嗣氏と貝山知弘氏が「大橋さん、9000はメダカ(ノイズ)が出るから7000にしなよ」というので買ったのである。やはり9000にしておけばよかった
ボロボロになっても現役だった安物のVHSと、美しいまま早過ぎる引退をした高価なベータマックス。一家庭での生き様の対照が、そのまま家電産業史のなかでの両方式の姿を映し出しているように思える。
技術的に洗練された高性能なものが必ずしも勝利しないという現代エレクトロニクス産業の新「常識」は、ベータの教訓に始まった。
VHS方式と日本ビクター開発陣の奮闘を描いた物語が映画になり多くの共感を呼んだことは記憶に新しい。しかし、勝利には時の運(偶然と言い換えてもいい)というものが付き物で、後から都合のいい解釈も出来るものだ。
冷徹で具体的な教訓に満ちていて本当に「面白い」のは、むしろ勝てなかった方の物語なのだ。誰かベータを映画化しませんか?
(大橋伸太郎)