IPS-3内部処理で22.4MHz DSDに変換して再生
Playback Designsの創始者コッチ氏に訊く、同社設立の経緯と「IPS-3」の革新性
2014年春、ナスペックは米Playback DesignsesのDAC内蔵プリメインアンプ「IPS-3」を発売した。本機のプロモーションのために、同社の創始者であるアンドレアス・コッチ氏が来日した際、新製品の概要や自身の歩んだ開発者の道について、お話を伺うことができた。今回はそのときの模様をレポートしていきたい。
■STUDERのプロオーディオ部門からエンジニアのキャリアをスタート
アンドレアス・コッチ氏はエンジニアとしてのキャリアを、1982年にスイスのオーディオメーカーであるSTUDERのプロフェッショナルオーディオ部門に入社したところからスタートさせた。コッチ氏はここで、アシンクロナス方式のサンプルレートコンバーターや、デジタルのノイズリダクションシステムの開発に携わった。
1984年にはドルビーに入社。同社はこれまでアナログのノイズリダクションを手がけており、デジタル関連のエンジニアとして同社に加わったのは、コッチ氏が初めてだったのだという。文化のちがいもありコミュニケーションがなかなかうまくいかなかった中で、コッチ氏は初の映画用デジタルコンプレッションシステム「AC-1」を開発。さらにはドルビーデジタル(AC-3)のプロトタイプにおけるオリジナル・アルゴリズムを作り上げた。
また、同じく1986年にリアルタイムプロセッサー「HT-3」のプロトタイプを手がけることになった。6つのDSPを備える本機は巨大なシステムで、当時としては最先端のプロセッサーであった。この当時は高性能なコンピューターがまだなく、音声の圧縮に膨大な時間がかかった。このため、性能の低いコンピューターでも実用できる圧縮のアルゴリズムを研究していたのだという。
1987年は、ドルビーを離れてステューダーへ戻ることとなった。このときは、デジタル方式のマルチトラック・レコーダーを手がけた。記録媒体がテープからHDDへ行こうする時期で、HDDレコーダーを開発する必要があった。そこでSTUDERはすでにHDDレコーダーを手がけていたカリフォルニアのEDITEKを買収して、HDDレコーダーの開発に着手。コッチ氏はこのタイミングでカリフォルニアに戻ることになる。1990年のことだ。ここでコッチ氏は新プロジェクトを任され、32chまでの録音に対応したHDDレコーダー「Dyaxis」の開発を担当することになった。
1992年にSTUDERがハーマンに売却されたのを機に、STUDER EDITEKは閉鎖されることになる。コッチ氏はこれを機に、フロリダのソニーに入社した。この部門はプロオーディオ・メーカーであるMCIをソニーが買収することとでできたオフィスで、ここでコッチ氏はアナログのマルチトラックレコーダーやマルチトラックコンソールを手がける部門に勤務することになった。
■ソニーに在籍しSACDの立ち上げに携わる
しかし、このフロリダのオフィスもクローズしてしまったのだが、コッチ氏がカリフォルニアに戻ったタイミングで、ソニーはSACDを立ち上げようとしていた。このとき、ソニーの安藤国威氏にスカウトされたコッチ氏は、SACDの開発プロジェクトに携わることになったのである。
このプロジェクトには、ソニーの誇る優秀なエンジニアが集まっていたという。コッチ氏はここで、DSDを録音・編集できるマルチチャンネルレコーダー「SONOMA」の開発にも携わった。SONOMA開発にあたっては、ソニーは大量の資金を投入し、優秀なエンジニアをそろえた。その中にはA/D、D/Aの専門家も多数いて、最終的にには8チャンネル対応の編集システムを完成させた。
SACDの開発にはハードルを感じたか、という問いを投げるとコッチ氏は「当時はDVDオーディオというライバルがあったので、特にロビー活動には力を入れて、SACDの良さをアピールしていた」と当時を振り返ってくれた。
また、フィリップスには何度も出向き、SACDの立ち上げについてミーティングを行ったのだという。容量が限られるSACDにDSDを収録するためには、DSDをロスレス圧縮する必要があり、この点は特に重点的にフィリップスと話し合われた。そして、2ch、マルチchどちらにも対応できる可逆圧縮方式を策定していった。
■STUDERのプロオーディオ部門からエンジニアのキャリアをスタート
アンドレアス・コッチ氏はエンジニアとしてのキャリアを、1982年にスイスのオーディオメーカーであるSTUDERのプロフェッショナルオーディオ部門に入社したところからスタートさせた。コッチ氏はここで、アシンクロナス方式のサンプルレートコンバーターや、デジタルのノイズリダクションシステムの開発に携わった。
1984年にはドルビーに入社。同社はこれまでアナログのノイズリダクションを手がけており、デジタル関連のエンジニアとして同社に加わったのは、コッチ氏が初めてだったのだという。文化のちがいもありコミュニケーションがなかなかうまくいかなかった中で、コッチ氏は初の映画用デジタルコンプレッションシステム「AC-1」を開発。さらにはドルビーデジタル(AC-3)のプロトタイプにおけるオリジナル・アルゴリズムを作り上げた。
また、同じく1986年にリアルタイムプロセッサー「HT-3」のプロトタイプを手がけることになった。6つのDSPを備える本機は巨大なシステムで、当時としては最先端のプロセッサーであった。この当時は高性能なコンピューターがまだなく、音声の圧縮に膨大な時間がかかった。このため、性能の低いコンピューターでも実用できる圧縮のアルゴリズムを研究していたのだという。
1987年は、ドルビーを離れてステューダーへ戻ることとなった。このときは、デジタル方式のマルチトラック・レコーダーを手がけた。記録媒体がテープからHDDへ行こうする時期で、HDDレコーダーを開発する必要があった。そこでSTUDERはすでにHDDレコーダーを手がけていたカリフォルニアのEDITEKを買収して、HDDレコーダーの開発に着手。コッチ氏はこのタイミングでカリフォルニアに戻ることになる。1990年のことだ。ここでコッチ氏は新プロジェクトを任され、32chまでの録音に対応したHDDレコーダー「Dyaxis」の開発を担当することになった。
1992年にSTUDERがハーマンに売却されたのを機に、STUDER EDITEKは閉鎖されることになる。コッチ氏はこれを機に、フロリダのソニーに入社した。この部門はプロオーディオ・メーカーであるMCIをソニーが買収することとでできたオフィスで、ここでコッチ氏はアナログのマルチトラックレコーダーやマルチトラックコンソールを手がける部門に勤務することになった。
■ソニーに在籍しSACDの立ち上げに携わる
しかし、このフロリダのオフィスもクローズしてしまったのだが、コッチ氏がカリフォルニアに戻ったタイミングで、ソニーはSACDを立ち上げようとしていた。このとき、ソニーの安藤国威氏にスカウトされたコッチ氏は、SACDの開発プロジェクトに携わることになったのである。
このプロジェクトには、ソニーの誇る優秀なエンジニアが集まっていたという。コッチ氏はここで、DSDを録音・編集できるマルチチャンネルレコーダー「SONOMA」の開発にも携わった。SONOMA開発にあたっては、ソニーは大量の資金を投入し、優秀なエンジニアをそろえた。その中にはA/D、D/Aの専門家も多数いて、最終的にには8チャンネル対応の編集システムを完成させた。
SACDの開発にはハードルを感じたか、という問いを投げるとコッチ氏は「当時はDVDオーディオというライバルがあったので、特にロビー活動には力を入れて、SACDの良さをアピールしていた」と当時を振り返ってくれた。
また、フィリップスには何度も出向き、SACDの立ち上げについてミーティングを行ったのだという。容量が限られるSACDにDSDを収録するためには、DSDをロスレス圧縮する必要があり、この点は特に重点的にフィリップスと話し合われた。そして、2ch、マルチchどちらにも対応できる可逆圧縮方式を策定していった。
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