『Misty』が新たに蘇る
「ジャズは編集で直したら駄目」。30年ぶりダイレクトカッティングに挑戦、ピアニスト・山本 剛 特別インタビュー
オーディオ・ファンの永遠のバイブルと言われるTBMレーベルの名盤『ミスティ』。それを生んだピアニスト・山本 剛による、セルフカバーのダイレクトカッティングアルバム『Misty for Direct Cutting』が5月19日に発売される。本アルバムの発売に際して、オーディオ評論家の鈴木 裕氏が山本 剛本人にインタビュー取材を敢行。山本 剛の天才的なパフォーマンスを生々しく刻んだ、ダイレクトカット・レコーディングの醍醐味に迫る熱い内容をお届けしよう。
■日本のジャズ史上屈指の名演奏。ダイレクトカッティングで新たに蘇る
山本 剛トリオのアルバム『Misty』はその演奏の素晴らしさと録音の良さで知られる、日本のジャズ史上屈指の名盤だ。録音は1974年8月に東京のアオイスタジオ、レーベルは伝説のスリーブラインドマイス(TBM)。ピアニスト、山本 剛にとってその年の1月に録音された『Midnight Sugar』に続く、2枚目のリーダー作だった。
その名盤『Misty』が、ダイレクトカッティングによる『Misty for Direct Cutting』として蘇ることとなった。45回転でA面B面各2曲ずつの計4曲。市販されるアルバムとしては、21世紀になってからスタートしたキング関口台スタジオにおけるダイレクトカッティングプロジェクトの3枚目のアルバムとなる。
CD用のデジタルデータを聴かせてもらったが、まずA面の「Misty」。さらっと始めて、メロディの歌い方に艶が乗り、何か引き込まれるような感情の込め方があるように感じた。そしてデビュー作のタイトルチューン「Midnight Sugar」。ウッドベースのイントロにざっくりと乗せてくる左手のブルージーなフレーズ。無駄な音を一切弾かない美しさ。
そしてB面の「The In Crowd」のグルーヴィなプレイ、「Girl Talk」での何か深い味わいのある歌いまわし。TBMの5、6作目のタイトルチューンだがこのB面も楽しい。いい意味で、一曲ずつ裏切りつつ展開していく感覚横溢。やはりこの人は天才なのだ。
ダイレクトカッティングは人生で3度目だという山本 剛。ダイレクトカッティングの醍醐味を改めてインタビューで振り返ってもらった。
■ヨーロッパツアーをトンズラし、日本の有名ジャズクラブで毎夜演奏の日々
鈴木 まずはプロフィールの確認ですが、高校生の頃にアートブレイキー&ジャズメッセンジャーズの「危険な関係のブルース」を、下宿していた男性に聴かせもらって、ジャズに目覚めたということですが。それまではピアノを弾いていなかったんですか?
山本 小学生の頃に弾かされていたんだけど、ピアノがいやで辞めたから。
鈴木 ピアノの初心者用のバイエル。これを半分も終わらなかったそうで。
山本 楽譜、全然読めないんだよ。
鈴木 その後に静岡の日本大学に入学し、合唱部に入ったんですね。
山本 合唱部はピアノに触れるから入っただけで、合唱の練習には出たことがない。練習という練習はやってないよね? ただやることないから弾いたりしてた。
鈴木 結局、日大を1年で辞めて東京へ出て来られたと。そして池袋のJUN CLUBなどで弾き出したのがプロデビューになるんですか?
山本 そうだね。JUN CLUBのほかに六本木のニコラスってピザハウスがあって、そこでハモンドオルガンも弾いてた。そうしたらそこにミッキー・カーティスのマネージャーが来て、結局、ヨーロッパツアーに行くことになった。
鈴木 これがまあ、大変なツアーで、山本さん自身は半年ぐらいで帰ってきたんですね。
山本 もうトンズラですよ。家の人にチケットを送ってもらって(笑)
鈴木 帰国してまたJUN CLUBやライブハウスのミスティで弾くようになったんですか?
山本 その前に、米軍のキャンプやクラブで仕事を始めて。銀座で森山浩二、素晴らしい歌い手ですけど、その人はコンガも叩くんで彼と2人でやったり。ベース海野欣児、この人は松岡直也(p)なんかとやってたラテンの人で、この3人でコンガ・トリオを組んで、銀座の一流クラブとかでやってたの。その仕事が終わると、夜中は青山の「仮面」に行ったりして。
鈴木 そして74年1月に、ライブハウスのミスティにハコバンとして入ったんですね。
山本 毎晩やってたね、ジローさん(小原哲次郎/ds)、フクイちゃん(福井五十雄/b)(※編集部注:オリジナルの「Misty」収録メンバー)とのいつも同じ3人で。歌手はこちらで探して決める。曜日によって違ったから伊藤君子、安田南もいたし、東郷輝久、ドリー・ベイカーもいた。
鈴木 凄いメンバーですね。74年の1月にその活動を始めつつ、初のリーダー作『Midnight Sugar』が3月1日に録音されています。
山本 ホントは、ミスティに入って1週間ぐらいで辞めるって言ったんだよ。ヤマハのピアノは平気に弾けたんだけど、ニューヨーク・スタインウェイが弾けなくて。辞めさせて欲しいって言ったんだけど、ちょっと練習すればいいじゃないか? って。それもそうだな、って昼練習に行って、そうしたら手が鍵盤に引っ付くようになった。
鈴木 失礼な言い方になるかもしれませんが、クラシックの教育を受けたピアニストでもなかなか到達できないところに4〜5年で到達していて、実は陰で猛練習してたのかなと思ったんです。
山本 レコードはエロール・ガーナーをよく聴いていて、その時はちょっと練習したかな。まあ、毎日ピアノ弾いてるからそれが練習みたいな。夜の演奏が終わると酒飲んで、起きるのお昼ぐらいだし。
鈴木 それで一作目の『Midnight Sugar』や『Misty』に到達したんですね。昔のアルバムを聴き直すことってあるんですか?
山本 今回に当たってはちょっと聴きましたね。なんだこんなの弾いてたんだなとか、このイントロはこんなんだったんだなとか。そんな感じがしたかな。
■日本のジャズ史上屈指の名演奏。ダイレクトカッティングで新たに蘇る
山本 剛トリオのアルバム『Misty』はその演奏の素晴らしさと録音の良さで知られる、日本のジャズ史上屈指の名盤だ。録音は1974年8月に東京のアオイスタジオ、レーベルは伝説のスリーブラインドマイス(TBM)。ピアニスト、山本 剛にとってその年の1月に録音された『Midnight Sugar』に続く、2枚目のリーダー作だった。
その名盤『Misty』が、ダイレクトカッティングによる『Misty for Direct Cutting』として蘇ることとなった。45回転でA面B面各2曲ずつの計4曲。市販されるアルバムとしては、21世紀になってからスタートしたキング関口台スタジオにおけるダイレクトカッティングプロジェクトの3枚目のアルバムとなる。
CD用のデジタルデータを聴かせてもらったが、まずA面の「Misty」。さらっと始めて、メロディの歌い方に艶が乗り、何か引き込まれるような感情の込め方があるように感じた。そしてデビュー作のタイトルチューン「Midnight Sugar」。ウッドベースのイントロにざっくりと乗せてくる左手のブルージーなフレーズ。無駄な音を一切弾かない美しさ。
そしてB面の「The In Crowd」のグルーヴィなプレイ、「Girl Talk」での何か深い味わいのある歌いまわし。TBMの5、6作目のタイトルチューンだがこのB面も楽しい。いい意味で、一曲ずつ裏切りつつ展開していく感覚横溢。やはりこの人は天才なのだ。
ダイレクトカッティングは人生で3度目だという山本 剛。ダイレクトカッティングの醍醐味を改めてインタビューで振り返ってもらった。
■ヨーロッパツアーをトンズラし、日本の有名ジャズクラブで毎夜演奏の日々
鈴木 まずはプロフィールの確認ですが、高校生の頃にアートブレイキー&ジャズメッセンジャーズの「危険な関係のブルース」を、下宿していた男性に聴かせもらって、ジャズに目覚めたということですが。それまではピアノを弾いていなかったんですか?
山本 小学生の頃に弾かされていたんだけど、ピアノがいやで辞めたから。
鈴木 ピアノの初心者用のバイエル。これを半分も終わらなかったそうで。
山本 楽譜、全然読めないんだよ。
鈴木 その後に静岡の日本大学に入学し、合唱部に入ったんですね。
山本 合唱部はピアノに触れるから入っただけで、合唱の練習には出たことがない。練習という練習はやってないよね? ただやることないから弾いたりしてた。
鈴木 結局、日大を1年で辞めて東京へ出て来られたと。そして池袋のJUN CLUBなどで弾き出したのがプロデビューになるんですか?
山本 そうだね。JUN CLUBのほかに六本木のニコラスってピザハウスがあって、そこでハモンドオルガンも弾いてた。そうしたらそこにミッキー・カーティスのマネージャーが来て、結局、ヨーロッパツアーに行くことになった。
鈴木 これがまあ、大変なツアーで、山本さん自身は半年ぐらいで帰ってきたんですね。
山本 もうトンズラですよ。家の人にチケットを送ってもらって(笑)
鈴木 帰国してまたJUN CLUBやライブハウスのミスティで弾くようになったんですか?
山本 その前に、米軍のキャンプやクラブで仕事を始めて。銀座で森山浩二、素晴らしい歌い手ですけど、その人はコンガも叩くんで彼と2人でやったり。ベース海野欣児、この人は松岡直也(p)なんかとやってたラテンの人で、この3人でコンガ・トリオを組んで、銀座の一流クラブとかでやってたの。その仕事が終わると、夜中は青山の「仮面」に行ったりして。
鈴木 そして74年1月に、ライブハウスのミスティにハコバンとして入ったんですね。
山本 毎晩やってたね、ジローさん(小原哲次郎/ds)、フクイちゃん(福井五十雄/b)(※編集部注:オリジナルの「Misty」収録メンバー)とのいつも同じ3人で。歌手はこちらで探して決める。曜日によって違ったから伊藤君子、安田南もいたし、東郷輝久、ドリー・ベイカーもいた。
鈴木 凄いメンバーですね。74年の1月にその活動を始めつつ、初のリーダー作『Midnight Sugar』が3月1日に録音されています。
山本 ホントは、ミスティに入って1週間ぐらいで辞めるって言ったんだよ。ヤマハのピアノは平気に弾けたんだけど、ニューヨーク・スタインウェイが弾けなくて。辞めさせて欲しいって言ったんだけど、ちょっと練習すればいいじゃないか? って。それもそうだな、って昼練習に行って、そうしたら手が鍵盤に引っ付くようになった。
鈴木 失礼な言い方になるかもしれませんが、クラシックの教育を受けたピアニストでもなかなか到達できないところに4〜5年で到達していて、実は陰で猛練習してたのかなと思ったんです。
山本 レコードはエロール・ガーナーをよく聴いていて、その時はちょっと練習したかな。まあ、毎日ピアノ弾いてるからそれが練習みたいな。夜の演奏が終わると酒飲んで、起きるのお昼ぐらいだし。
鈴木 それで一作目の『Midnight Sugar』や『Misty』に到達したんですね。昔のアルバムを聴き直すことってあるんですか?
山本 今回に当たってはちょっと聴きましたね。なんだこんなの弾いてたんだなとか、このイントロはこんなんだったんだなとか。そんな感じがしたかな。