話題のソフトを“Wooo”で観る − 第15回『ダーティハリー』(BD)
この連載「話題のソフトを“Wooo”で観る」では、AV評論家・大橋伸太郎氏が旬のソフトの見どころや内容をご紹介するとともに、“Wooo”薄型テレビで視聴した際の映像調整のコツなどについてもお伝えします。
30代後半以上の方ならどなたもご存知と思うが、日本テレビは月〜金深夜に『11PM』という番組を1990年まで放送していた。
1970年代初めのある晩の放送で、裸体表現が話題になった。当時は雑誌、書籍、映画に関わらず全裸は御法度で、今の若者には想像も付かないだろうが、海外雑誌のヌードのその部分はマジックで黒く塗りつぶされていたのである。
司会者の大橋巨泉は解禁派で映画を例にして熱弁をふるった。「表現上の必然性というものがあると思うんです。『フレンチ・コネクション』で誘拐監禁された罪のない娘の全裸の遺体を警察が収容するでしょ。日本の映画館じゃ、あのシーンで蝶々が飛ぶ(フィルム上の修正)んですから。犯行の残虐さを観客に正視してもらうために、あの描写があるというのに」。
巨泉氏の話の主旨には筆者も共感したが、一つ間違いがあった。彼が例に挙げたかった映画は『ダーティハリー』である。映画の題名は忘れてしまっても、そのシーンはちゃんと彼の記憶に焼きついていたわけである。逆に言うと『ダーティハリー』の演出は、アメリカ社会の病巣を露にし、観客に犯罪への憎しみと嫌悪を植え付けることに成功したわけである。
■ダーティハリーによって刑事アクション人気に火が付いた
『ダーティハリー』第一作は1971年に公開され、元々、『ローハイド』でクリント・イーストウッドの人気が高かった日本を含め世界中でヒットした。同年に公開されアカデミー作品賞を受賞したのがウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』で、この2本の刑事アクションによって、ハリウッド映画はもちろん、日本のテレビドラマまで含めて「刑事アクションの1970年代」が開幕したのである。
『ダーティハリー』の新しさとは何か。ベトナム戦争が泥沼化していった1970年代初頭に製作された本作を特徴付けるのは、バイオレンス描写の非情さである。『俺たちに明日はない』を代表とするニューシネマ以後に生まれた、「ニュー・エンターテインメント」なのである。もうひとつは、主人公ハリー・キャラハンの造型。アメリカ人には、公権力への抜きがたい不信と同時に、正義は力によって成就するという思想がある。現在も警察映画が作られ続けるのも、期待と不信が相半ばする複雑な心情を映し出している。そんな矛盾が生んだヒーローが「銃には銃を」「俺の怒りがすなわち、法の執行」の元祖「ハミダシ刑事」ハリー・キャラハンなのである。
映画は時代を映す鏡である。『ダーティハリー』第一作は、劇場型犯罪を愉しむ変質者をハリーが追跡する。第二作(1973)では、警察内部の強硬派のテロリズムに、殺人課から外されたハリーが挑む内容。同年に『セルピコ』が公開されている。第三作(1976)はベトナム帰還兵のテロリスト集団がサンフランシスコ市長を営利誘拐する設定。ただし、この時点では米映画界は未だベトナム敗戦の深手を正視する余裕はない。1980年代に入り、イーストウッドが唯一、製作・監督・脚本を手掛ける第四作(1983)は、妹を廃人同様にした田舎のチンピラに復讐する女を描いたビジランテ・ムービーで最も異色。後の監督代表作『許されざる者』に通じる暗澹としたトーンが特徴だが、題材的にいささかこじんまりした感は否めない。第五作(1988)は、ホラー映画のカルト監督の悪ふざけが連続殺人を誘発、リストに名を載せられたキャラハンが事件解決に挑むという当世風なテーマ。追従作品『リーサルウェポン』とクロスオーバーする内容だ。
この第五作でシリーズは終了する。その理由はイーストウッドが年齢上激しいアクションに耐えられなくなったことが一つ。もう一つはアメリカ社会の変化である。ベトナムの後遺症が1980年代に入り深刻化し世情が悪化、麻薬取引や凶悪犯罪が日常化し、一般市民の間で銃の所持数が急激に増えていった。こうした事態はさらに犯罪を誘発する悪循環を生みアメリカでも次第に銃の規制が議論の対象となっていった。『ダーティハリー』の「銃による正義」というコンセプトと問答無用の主人公像は、次第に時代にそぐわなくなくなったのである。これを乗り越えるように生まれた、銃の破壊力でなく生身のタフネスと事件解決への執念で犯罪と戦う新時代の刑事アクションが『ダイ・ハード』(1987)である。
■「P50-XR02」でダーティハリー第1を見る
今回の「Woooで見る注目のソフト」は『ダーティハリー』第一作(1971)である。何度も引用するが、映画としての完成度は、作品賞始めアカデミー賞を5部門で受賞した『フレンチコネクション』に及ばない。しかし、時代の陰画としてアメリカの心情を映しているのは『ダーティハリー』の方である。シリーズ全ての主演を務めたクリント・イーストウッドがアメリカ民衆史の語り部監督として後に大成していくきっかけが、このシリーズに潜んでいるように思うのだが。
筆者自宅二階の仕事場の日立プラズマテレビ「P50-XR02」は、50V型のフルハイビジョンテレビで、各社のプラズマテレビの中で一といって二と下らぬ優れた画質の製品である。ALIS方式と決別し、隔壁構造を一般的なボックス構造に変え、パネル内部の光漏れをなくした。1フレーム内のサブフレームのリセット回数を最小限にすることで黒の輝度を大幅に低減。その一方で、発光を誘導する誘電体に薄膜電極を採用しピーク輝度をキープ、その結果、暗所コントラストは実力で現在業界最高の30,000:1に達している。日常数多いブルーレイディスクの視聴に使っているが、新作、旧作、実写映画、アニメーション、ハイビジョンビデオ収録といった原画の種類、MPEG-4AVC、MPEG-2、VC-1といったエンコードの差を的確に映し出すリファレンスグレードの画質である。
ワーナー・ホーム・ビデオから発売されたブルーレイディスク『ダーティハリー アルティメット・コレクターズ・エディション』(5枚組)は、エンコードはすべてVC-1、全編リマスターされ、画質は作品によってムラがあるが非常に良好である。第一作が1971年、第五作が1988年製作。全作を通して視聴すれば17年間のハリウッド映画のフィルム画質の変化を確認できて興味深い。
第一作『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督)はビスタサイズ、明るく温かい発色の典型的な1970年代初頭のフィルム画質で、今回のハイビジョンディスク化で最もフィルム復元とリマスターが成功しているように思われる。P50-XR02が映し出す映像の鮮度、豊かな色彩感は素晴らしく、人気シリーズの生まれたばかりの映像に再会することが出来て嬉しさもひとしおである。第一作の特徴として、サンフランシスコという映画の舞台を印象付けている。つまり、デイライトシーンの強烈な陽射の描写である。ハリーが犯行の現場検証を行う冒頭の場面は、青空を背景に逆光で撮影されている。この明るさが深く濃い影をつくる。このコントラストの極端な対比が、本作を再生するテレビにとって最初の試金石だが、これはP50-XR02が最も得意とする映像描写である。
最近のブルーレイディスクは情報量が豊かで、フィルムのグレインノイズまで情報にそっくり含まれている。それが圧縮されてノイズになり、鮮鋭感に富むフルハイビジョンテレビで見る場合、ギラギラした視覚ノイズになる。この映画の冒頭の青空を背景にしたシーンは特にそれが煩い。解像感と引き換えにノイズも引き出してくるわけだ。
P50-XR02の場合、映像調整でMPEGノイズリダクションとYNRがあり、それぞれ切、弱、中、強が選べる。どちらもノイズを抑えて見やすくする効果があるが、同時に細部の微小な情報が鈍ってしまう。それでは、どちらを使うのがいいかという問題だが、今回の場合、高域を丸めるYNRよりMPEGノイズリダクションを使った方が情報のロスが少ない、こちらの「中」を選んだ。
■黒表現に優れたP50-XR02の実力が遺憾なく発揮された
本作のチャプター14から17まで、犯人の指示で身代金を持ったハリーがサンフランシスコを引きずり回されるシーンが続くが、約15分間、暗闇の中のシーンが延々と続く。ここは
黒表現の優れたP50-XR02の実力が遺憾なく発揮される。数年前の薄型テレビでは、ほとんど視聴に耐えなかっただろう。それくらい「真っ暗」なのである。
P50-XR02は「シネマティック」を選択、詳しい映像調整値は別記だが、これで1971年の映画館にいる臨場感が蘇った。あえて、画質調整の余地を探すと、デイライトのシーンに比べてやや映像が甘いので、P50-XR02の映像調整のLTI(輝度信号の鮮鋭度を強調する)をオンにする。暗闇に浮かび上がるイーストウッドの苦みばしった表情が鮮明になった。
今回は第一作『ダーティハリー』だけを題材にした。映画の表現に優れたP50-XR02ならブルーレイディスクの映像から、映画の生々しい息吹を引き出し蘇らせることが出来る。第五作までP50-XR02で通して視聴していただいて、アクションエンターテインメントの中から浮かび上がるアメリカ社会の20年弱のネガを回顧していただきたい。
【P50-XR02『ダーティハリー』調整値】
映像モード シネマティック
明るさ -15
黒レベル -2
色の濃さ -7
色合い -1
シャープネス -3
色温度 低
ディテール 切
コントラスト リニア
黒補正 切
LTI 中
CTI 切
YNR 切
CNR 切
MPEG NR 中
映像クリエーション フィルムシアター
デジタルY/C 弱
色再現 リアル
DeepColor 切
(大橋伸太郎)
大橋伸太郎 プロフィール
30代後半以上の方ならどなたもご存知と思うが、日本テレビは月〜金深夜に『11PM』という番組を1990年まで放送していた。
1970年代初めのある晩の放送で、裸体表現が話題になった。当時は雑誌、書籍、映画に関わらず全裸は御法度で、今の若者には想像も付かないだろうが、海外雑誌のヌードのその部分はマジックで黒く塗りつぶされていたのである。
司会者の大橋巨泉は解禁派で映画を例にして熱弁をふるった。「表現上の必然性というものがあると思うんです。『フレンチ・コネクション』で誘拐監禁された罪のない娘の全裸の遺体を警察が収容するでしょ。日本の映画館じゃ、あのシーンで蝶々が飛ぶ(フィルム上の修正)んですから。犯行の残虐さを観客に正視してもらうために、あの描写があるというのに」。
巨泉氏の話の主旨には筆者も共感したが、一つ間違いがあった。彼が例に挙げたかった映画は『ダーティハリー』である。映画の題名は忘れてしまっても、そのシーンはちゃんと彼の記憶に焼きついていたわけである。逆に言うと『ダーティハリー』の演出は、アメリカ社会の病巣を露にし、観客に犯罪への憎しみと嫌悪を植え付けることに成功したわけである。
■ダーティハリーによって刑事アクション人気に火が付いた
『ダーティハリー』第一作は1971年に公開され、元々、『ローハイド』でクリント・イーストウッドの人気が高かった日本を含め世界中でヒットした。同年に公開されアカデミー作品賞を受賞したのがウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』で、この2本の刑事アクションによって、ハリウッド映画はもちろん、日本のテレビドラマまで含めて「刑事アクションの1970年代」が開幕したのである。
『ダーティハリー』の新しさとは何か。ベトナム戦争が泥沼化していった1970年代初頭に製作された本作を特徴付けるのは、バイオレンス描写の非情さである。『俺たちに明日はない』を代表とするニューシネマ以後に生まれた、「ニュー・エンターテインメント」なのである。もうひとつは、主人公ハリー・キャラハンの造型。アメリカ人には、公権力への抜きがたい不信と同時に、正義は力によって成就するという思想がある。現在も警察映画が作られ続けるのも、期待と不信が相半ばする複雑な心情を映し出している。そんな矛盾が生んだヒーローが「銃には銃を」「俺の怒りがすなわち、法の執行」の元祖「ハミダシ刑事」ハリー・キャラハンなのである。
映画は時代を映す鏡である。『ダーティハリー』第一作は、劇場型犯罪を愉しむ変質者をハリーが追跡する。第二作(1973)では、警察内部の強硬派のテロリズムに、殺人課から外されたハリーが挑む内容。同年に『セルピコ』が公開されている。第三作(1976)はベトナム帰還兵のテロリスト集団がサンフランシスコ市長を営利誘拐する設定。ただし、この時点では米映画界は未だベトナム敗戦の深手を正視する余裕はない。1980年代に入り、イーストウッドが唯一、製作・監督・脚本を手掛ける第四作(1983)は、妹を廃人同様にした田舎のチンピラに復讐する女を描いたビジランテ・ムービーで最も異色。後の監督代表作『許されざる者』に通じる暗澹としたトーンが特徴だが、題材的にいささかこじんまりした感は否めない。第五作(1988)は、ホラー映画のカルト監督の悪ふざけが連続殺人を誘発、リストに名を載せられたキャラハンが事件解決に挑むという当世風なテーマ。追従作品『リーサルウェポン』とクロスオーバーする内容だ。
この第五作でシリーズは終了する。その理由はイーストウッドが年齢上激しいアクションに耐えられなくなったことが一つ。もう一つはアメリカ社会の変化である。ベトナムの後遺症が1980年代に入り深刻化し世情が悪化、麻薬取引や凶悪犯罪が日常化し、一般市民の間で銃の所持数が急激に増えていった。こうした事態はさらに犯罪を誘発する悪循環を生みアメリカでも次第に銃の規制が議論の対象となっていった。『ダーティハリー』の「銃による正義」というコンセプトと問答無用の主人公像は、次第に時代にそぐわなくなくなったのである。これを乗り越えるように生まれた、銃の破壊力でなく生身のタフネスと事件解決への執念で犯罪と戦う新時代の刑事アクションが『ダイ・ハード』(1987)である。
■「P50-XR02」でダーティハリー第1を見る
今回の「Woooで見る注目のソフト」は『ダーティハリー』第一作(1971)である。何度も引用するが、映画としての完成度は、作品賞始めアカデミー賞を5部門で受賞した『フレンチコネクション』に及ばない。しかし、時代の陰画としてアメリカの心情を映しているのは『ダーティハリー』の方である。シリーズ全ての主演を務めたクリント・イーストウッドがアメリカ民衆史の語り部監督として後に大成していくきっかけが、このシリーズに潜んでいるように思うのだが。
筆者自宅二階の仕事場の日立プラズマテレビ「P50-XR02」は、50V型のフルハイビジョンテレビで、各社のプラズマテレビの中で一といって二と下らぬ優れた画質の製品である。ALIS方式と決別し、隔壁構造を一般的なボックス構造に変え、パネル内部の光漏れをなくした。1フレーム内のサブフレームのリセット回数を最小限にすることで黒の輝度を大幅に低減。その一方で、発光を誘導する誘電体に薄膜電極を採用しピーク輝度をキープ、その結果、暗所コントラストは実力で現在業界最高の30,000:1に達している。日常数多いブルーレイディスクの視聴に使っているが、新作、旧作、実写映画、アニメーション、ハイビジョンビデオ収録といった原画の種類、MPEG-4AVC、MPEG-2、VC-1といったエンコードの差を的確に映し出すリファレンスグレードの画質である。
ワーナー・ホーム・ビデオから発売されたブルーレイディスク『ダーティハリー アルティメット・コレクターズ・エディション』(5枚組)は、エンコードはすべてVC-1、全編リマスターされ、画質は作品によってムラがあるが非常に良好である。第一作が1971年、第五作が1988年製作。全作を通して視聴すれば17年間のハリウッド映画のフィルム画質の変化を確認できて興味深い。
第一作『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督)はビスタサイズ、明るく温かい発色の典型的な1970年代初頭のフィルム画質で、今回のハイビジョンディスク化で最もフィルム復元とリマスターが成功しているように思われる。P50-XR02が映し出す映像の鮮度、豊かな色彩感は素晴らしく、人気シリーズの生まれたばかりの映像に再会することが出来て嬉しさもひとしおである。第一作の特徴として、サンフランシスコという映画の舞台を印象付けている。つまり、デイライトシーンの強烈な陽射の描写である。ハリーが犯行の現場検証を行う冒頭の場面は、青空を背景に逆光で撮影されている。この明るさが深く濃い影をつくる。このコントラストの極端な対比が、本作を再生するテレビにとって最初の試金石だが、これはP50-XR02が最も得意とする映像描写である。
最近のブルーレイディスクは情報量が豊かで、フィルムのグレインノイズまで情報にそっくり含まれている。それが圧縮されてノイズになり、鮮鋭感に富むフルハイビジョンテレビで見る場合、ギラギラした視覚ノイズになる。この映画の冒頭の青空を背景にしたシーンは特にそれが煩い。解像感と引き換えにノイズも引き出してくるわけだ。
P50-XR02の場合、映像調整でMPEGノイズリダクションとYNRがあり、それぞれ切、弱、中、強が選べる。どちらもノイズを抑えて見やすくする効果があるが、同時に細部の微小な情報が鈍ってしまう。それでは、どちらを使うのがいいかという問題だが、今回の場合、高域を丸めるYNRよりMPEGノイズリダクションを使った方が情報のロスが少ない、こちらの「中」を選んだ。
■黒表現に優れたP50-XR02の実力が遺憾なく発揮された
本作のチャプター14から17まで、犯人の指示で身代金を持ったハリーがサンフランシスコを引きずり回されるシーンが続くが、約15分間、暗闇の中のシーンが延々と続く。ここは
黒表現の優れたP50-XR02の実力が遺憾なく発揮される。数年前の薄型テレビでは、ほとんど視聴に耐えなかっただろう。それくらい「真っ暗」なのである。
P50-XR02は「シネマティック」を選択、詳しい映像調整値は別記だが、これで1971年の映画館にいる臨場感が蘇った。あえて、画質調整の余地を探すと、デイライトのシーンに比べてやや映像が甘いので、P50-XR02の映像調整のLTI(輝度信号の鮮鋭度を強調する)をオンにする。暗闇に浮かび上がるイーストウッドの苦みばしった表情が鮮明になった。
今回は第一作『ダーティハリー』だけを題材にした。映画の表現に優れたP50-XR02ならブルーレイディスクの映像から、映画の生々しい息吹を引き出し蘇らせることが出来る。第五作までP50-XR02で通して視聴していただいて、アクションエンターテインメントの中から浮かび上がるアメリカ社会の20年弱のネガを回顧していただきたい。
【P50-XR02『ダーティハリー』調整値】
映像モード シネマティック
明るさ -15
黒レベル -2
色の濃さ -7
色合い -1
シャープネス -3
色温度 低
ディテール 切
コントラスト リニア
黒補正 切
LTI 中
CTI 切
YNR 切
CNR 切
MPEG NR 中
映像クリエーション フィルムシアター
デジタルY/C 弱
色再現 リアル
DeepColor 切
(大橋伸太郎)
大橋伸太郎 プロフィール