話題のソフトを“Wooo”で観る − 第16回『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(BD)
この連載「話題のソフトを“Wooo”で観る」では、AV評論家・大橋伸太郎氏が旬のソフトの見どころや内容をご紹介するとともに、“Wooo”薄型テレビで視聴した際の映像調整のコツなどについてもお伝えします。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、20世紀初頭の石油採掘を描いた社会派作家アプトン・シンクレアの小説「oil!」の映画化である。つまり、この題名は、石油を血に置き換えているのである。製作・脚本・監督はポール・トーマス・アンダーソン。原作物を手掛けるのは、多分これが初である。
■「信仰」が重要なモチーフ
アンダーソンの出世作『ブギーナイツ』は、1970~80年代のサンフランシスコのポルノ業界の人間模様を描いた、アメリカ版『エロ事師たち』のような「面白うて、やがて哀しき」映画だった。『ブギーナイツ』のハチャメチャ、悪趣味、そのくせ長い、が合わなくて彼の作品をずっとパスしていた方でも、本作を見たら「この人、まともなドラマが作れたんだ!」と驚くことだろう。本作は、典型的なハリウッドの(男の)一代記映画だからである。しかし、同時に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、「信仰」が重要なモチーフである。
筆者はこの新作を見、そして、蛙が空からボタボタと降ってくる『マグノリア』の象徴的なラストを思い出して、『ブギーナイツ』の核心がわかったような気がしたのである。アンダーソン監督のくわしい来歴について資料はないが、彼はきっとクソ真面目な家庭に育ち少年時代から信仰に由来するモラリズムを抱え込んでいて、自分を縛り付けているものを壊すのに必死だったのではないか。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、19世紀終わりから20世紀初頭にかけて、石油で財を成した男の成功と破滅を描いたドラマである。同時に人間と神の契約の残酷な結末を描いている。映画は、主人公ダニエル・プレインビューが、自身の設計ミスによる油井事故で仲間を死なせ、遺された赤ん坊を養子に引き取るシーンから始まる。
プレインビューと幼子が転々と旅していく20世紀初頭のカリフォルニアは、旧約聖書の風景のようだ。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、事実、黙示録のような作品である。映画の軸を成す人間関係は、プレインビューと息子のH.W.そして野心的な宣教師の若者イーライである。最初、石油の情報屋として自分の前に現れたイーライをプレインビューは侮っていたが、実は自分と同種の野心的な男であることを知って次第に彼を憎むようになる。同時に、この時から二人の男の間に魂の取引が始まった。
19世紀に神が「死に」、20世紀の人間は多くの神と新たに契約を結んだ。共産主義、ファシズム、メディア、原子力、コンピューターetc。しかし、石油こそ「神の中の神」だった。モータリゼーションと大量工業生産の時代を到来させ、20世紀、地球上の全ての国に大衆消費社会を生み出す原動力となったのが石油である。第2次世界大戦から二度の湾岸戦争まで、20世紀の戦争にいかに深く石油が関わってきたか、今年前半の原油先物市場の高騰が私たちの生活をいかに翻弄したかを思い越せばよい。
映画のプレインビューは、いわば石油という新しい神の登場の下回りを務めた男である。一方のイーライは、とっくに死んでいる神の死体を担ぎ続けた。もう一人の重要人物は、息子のH.W.である。イーライの情報で村人からタダ同然で土地の権利を買い、試掘すると地下には膨大な石油の海があることがわかる。原油と共に天然ガスが噴出し油井が吹き飛び、この事故でH.W.は聴力を失い、息子を人間らしさの唯一の拠り所としていたプレインビューは、事故をきっかけに我欲と妄執の世界に引きこもっていく。プレインビューに「弟」が現れ一瞬気を緩めるくだり、家族の虚偽に直感的に気付いてH.W.がそれを破壊しようとするくだりは非常に巧い。
H.W.が貧しい牧場の娘メアリーと幼い恋を育みメアリーが手話を自然に覚えると、そのまま十年後の結婚式のシーンに変わるカットつなぎは、殺伐として石油臭い(?)映画の中で胸を打つニクイ好編集。くどいようだが「エッ、あのブギーナイツの監督が!」と思ってしまう。
映画のラスト、プレインビューの隠棲する広壮な邸宅で演じられるドラマは、ハリウッドの正統派一代記映画の幕切れに相応しい、演劇的な緊迫感がある。父と袂を分かってメキシコで石油開発事業を始めることを申し出た息子を罵倒し、プレインビューは唯一の家族の絆を自ら断ち切る。心の鏡に映り続けた「もう一人の自分」が金の無心に現われると、自らの手でそれを消し去り、プレインビューは破滅する。神はプレインビューを見限ったのである。
■音のクオリティも大変高い
サウンドも大変に優れている。再生環境をお持ちであれば、ぜひリニアPCM5.1chで聴いてほしい。油井からガス、続いて石油が噴出するシーン(CH4)は、大地の下に眠っていた神の血液が怒りと共に噴出するエネルギーを描いて見事。巨大なエネルギーが上昇し、高みから降りそそぐ描写は、AVアンプの試金石である。
音に関して禁欲的な映画だが、レディオヘッドのジョニー・グリーンヘッドが音楽を担当し、既存曲の使い方も巧い。油井が操業開始するシーンとラストで、ブラームスのバイオリン協奏曲ニ長調の第三楽章が二度使われる。この曲は元来、協奏曲でありながら、交響曲のような性格を併せ持つ。この映画の中では、時代の中での個人の役割、存在感を最初は晴れやかな調和として、二度目は軋轢、対立として表現したのである。
■Wooo「P50-XR02」で見る『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
一代の梟雄の栄光と破滅を描くシリアスドラマ『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』だが、本当の主役は、「石油」である。
ハイビジョンディスクで見る本作は、いわばディスプレイ泣かせの表現の難しい映画。石油という顔のない物質が、人間を翻弄する一種の不条理な生命感(題名はそれを血に例えて)を具えて「そこにある」ことが映像の一貫した狙いだからである。荒野の地表に滲み出た石油は大地の生々しい体液のように、油井の底に溜まった石油は情念の澱のように、噴出する石油は血飛沫のように表現される。映像の中で顔かたちを変容させて行く石油を、テレビがリアルに表現できないと臨場感が半減する。一方で、シネスコ(2.40:1)画面一杯に、油井地帯や20世紀初頭のカリフォルニア州の荒野や街並み、鉄道が復元されて撮影されているから、それをパノラミックかつ雄大に映し出してほしいわけだ。
筆者がブルーレイ視聴に常用する日立のフルハイビジョンプラズマテレビ「P50-XR02」は、コントラストと黒階調の充実に飛躍的に進歩を遂げた製品で、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』全編を視聴して、「石油の臭い」を錯覚するような瞬間さえあった。
CH1、ゴールドラッシュが終わろうとしているカリフォルニアの金鉱で、主人公のプレインヴューがツルハシを振るうと白い火花が飛び散る。上から差す光と蝋燭、火花が生み出す薄闇の中のコントラストがP50-XR02の場合絶妙で、この閉塞感が何かに憑かれ、囚われ続ける彼の一生を象徴する。
次に見応えがあったのはCH4で、稼動開始した「メアリー・サンデー油井」で天然ガスに続いて石油が噴出し、日が落ちて油井が引火して崩落、夕闇の中で炎上する油井をプレインビューが仲間と見つめるまでを描いた前半のクライマックスである。ここで問われるのはテレビの黒表現とカラーバランスで、石油の黒が赤に寄ったりカラーシフトがあったらダメである。P50-XR02の場合、神の怒りのように吹き上げる石油の純粋なまでの黒が見事で、スペクタクル描写の中に神聖なものに触れた時の恐怖を滲ませる。
日立のプラズマテレビはALIS方式の時代から、映像の精細感に定評があり、噴出する石油のディテールが潰れず、激しい噴出の運動をシャープに木目細かく描き、物質を超えたパワーを感じさせるのもいい。宵闇の中、赤々と燃え続ける油井を二人の男が立ち尽くして見つめる情景は、バックの闇が深く沈まないと起きているドラマの荘厳さが表現できないが、P50-XR02の場合、暗部のノイズが非常に少なく映像の妨害要素がなく、しかも発色が美しいために、人間の力を超えた凄いものに立ち会っているのだ、という映像の狙いが的確に伝わる。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、主人公を演じたダニエル・デイ・ルイスに昨年のアカデミー主演男優賞をもたらした。『ギャング・オブ・ニューヨーク』以来、化けることが巧みなデイ・ルイスと、宣教師イーライを演じるポール・ダノの火花の散る芝居も本作の見所で、屋外ロケの自然光から夜景、室内シーンまで多彩な情景下で、俳優たちの表情をP50-XR02は自然で艶やかな階調とディテールの豊かさで的確に伝えて、人間ドラマの醍醐味を楽しませてくれた。
いま、この原稿を書いている最中に、来月発売のブルーレイディスク新作『ゴッドファーザー三部作』が手元に届いた。大河ドラマの新旧共演である。P50-XR02が来月、ハイビジョン映像になった『ゴッドファーザー』をどう描き出すか楽しみだ。
【『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の映像調整】
映像モード シネマティック
明るさ -15
黒レベル -2
色の濃さ -7
色合い -1
シャープネス -6
色温度 低
ディテール 切
コントラスト リニア
黒補正 切
LTI 切
CTI 切
YNR 切
CNR 切
MPEGNR 切
映像クリエーション なめらかシネマ
デジタルY/C 弱
色再現 リアル
DeepColor 切
(大橋伸太郎)
執筆者プロフィール
1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。ホームシアターのオーソリティとして講演多数2006年に評論家に転身。趣味はウィーン、ミラノなど海外都市訪問をふくむコンサート鑑賞、アスレチックジム、ボルドーワイン。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、20世紀初頭の石油採掘を描いた社会派作家アプトン・シンクレアの小説「oil!」の映画化である。つまり、この題名は、石油を血に置き換えているのである。製作・脚本・監督はポール・トーマス・アンダーソン。原作物を手掛けるのは、多分これが初である。
■「信仰」が重要なモチーフ
アンダーソンの出世作『ブギーナイツ』は、1970~80年代のサンフランシスコのポルノ業界の人間模様を描いた、アメリカ版『エロ事師たち』のような「面白うて、やがて哀しき」映画だった。『ブギーナイツ』のハチャメチャ、悪趣味、そのくせ長い、が合わなくて彼の作品をずっとパスしていた方でも、本作を見たら「この人、まともなドラマが作れたんだ!」と驚くことだろう。本作は、典型的なハリウッドの(男の)一代記映画だからである。しかし、同時に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、「信仰」が重要なモチーフである。
筆者はこの新作を見、そして、蛙が空からボタボタと降ってくる『マグノリア』の象徴的なラストを思い出して、『ブギーナイツ』の核心がわかったような気がしたのである。アンダーソン監督のくわしい来歴について資料はないが、彼はきっとクソ真面目な家庭に育ち少年時代から信仰に由来するモラリズムを抱え込んでいて、自分を縛り付けているものを壊すのに必死だったのではないか。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、19世紀終わりから20世紀初頭にかけて、石油で財を成した男の成功と破滅を描いたドラマである。同時に人間と神の契約の残酷な結末を描いている。映画は、主人公ダニエル・プレインビューが、自身の設計ミスによる油井事故で仲間を死なせ、遺された赤ん坊を養子に引き取るシーンから始まる。
プレインビューと幼子が転々と旅していく20世紀初頭のカリフォルニアは、旧約聖書の風景のようだ。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、事実、黙示録のような作品である。映画の軸を成す人間関係は、プレインビューと息子のH.W.そして野心的な宣教師の若者イーライである。最初、石油の情報屋として自分の前に現れたイーライをプレインビューは侮っていたが、実は自分と同種の野心的な男であることを知って次第に彼を憎むようになる。同時に、この時から二人の男の間に魂の取引が始まった。
19世紀に神が「死に」、20世紀の人間は多くの神と新たに契約を結んだ。共産主義、ファシズム、メディア、原子力、コンピューターetc。しかし、石油こそ「神の中の神」だった。モータリゼーションと大量工業生産の時代を到来させ、20世紀、地球上の全ての国に大衆消費社会を生み出す原動力となったのが石油である。第2次世界大戦から二度の湾岸戦争まで、20世紀の戦争にいかに深く石油が関わってきたか、今年前半の原油先物市場の高騰が私たちの生活をいかに翻弄したかを思い越せばよい。
映画のプレインビューは、いわば石油という新しい神の登場の下回りを務めた男である。一方のイーライは、とっくに死んでいる神の死体を担ぎ続けた。もう一人の重要人物は、息子のH.W.である。イーライの情報で村人からタダ同然で土地の権利を買い、試掘すると地下には膨大な石油の海があることがわかる。原油と共に天然ガスが噴出し油井が吹き飛び、この事故でH.W.は聴力を失い、息子を人間らしさの唯一の拠り所としていたプレインビューは、事故をきっかけに我欲と妄執の世界に引きこもっていく。プレインビューに「弟」が現れ一瞬気を緩めるくだり、家族の虚偽に直感的に気付いてH.W.がそれを破壊しようとするくだりは非常に巧い。
H.W.が貧しい牧場の娘メアリーと幼い恋を育みメアリーが手話を自然に覚えると、そのまま十年後の結婚式のシーンに変わるカットつなぎは、殺伐として石油臭い(?)映画の中で胸を打つニクイ好編集。くどいようだが「エッ、あのブギーナイツの監督が!」と思ってしまう。
映画のラスト、プレインビューの隠棲する広壮な邸宅で演じられるドラマは、ハリウッドの正統派一代記映画の幕切れに相応しい、演劇的な緊迫感がある。父と袂を分かってメキシコで石油開発事業を始めることを申し出た息子を罵倒し、プレインビューは唯一の家族の絆を自ら断ち切る。心の鏡に映り続けた「もう一人の自分」が金の無心に現われると、自らの手でそれを消し去り、プレインビューは破滅する。神はプレインビューを見限ったのである。
■音のクオリティも大変高い
サウンドも大変に優れている。再生環境をお持ちであれば、ぜひリニアPCM5.1chで聴いてほしい。油井からガス、続いて石油が噴出するシーン(CH4)は、大地の下に眠っていた神の血液が怒りと共に噴出するエネルギーを描いて見事。巨大なエネルギーが上昇し、高みから降りそそぐ描写は、AVアンプの試金石である。
音に関して禁欲的な映画だが、レディオヘッドのジョニー・グリーンヘッドが音楽を担当し、既存曲の使い方も巧い。油井が操業開始するシーンとラストで、ブラームスのバイオリン協奏曲ニ長調の第三楽章が二度使われる。この曲は元来、協奏曲でありながら、交響曲のような性格を併せ持つ。この映画の中では、時代の中での個人の役割、存在感を最初は晴れやかな調和として、二度目は軋轢、対立として表現したのである。
■Wooo「P50-XR02」で見る『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
一代の梟雄の栄光と破滅を描くシリアスドラマ『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』だが、本当の主役は、「石油」である。
ハイビジョンディスクで見る本作は、いわばディスプレイ泣かせの表現の難しい映画。石油という顔のない物質が、人間を翻弄する一種の不条理な生命感(題名はそれを血に例えて)を具えて「そこにある」ことが映像の一貫した狙いだからである。荒野の地表に滲み出た石油は大地の生々しい体液のように、油井の底に溜まった石油は情念の澱のように、噴出する石油は血飛沫のように表現される。映像の中で顔かたちを変容させて行く石油を、テレビがリアルに表現できないと臨場感が半減する。一方で、シネスコ(2.40:1)画面一杯に、油井地帯や20世紀初頭のカリフォルニア州の荒野や街並み、鉄道が復元されて撮影されているから、それをパノラミックかつ雄大に映し出してほしいわけだ。
筆者がブルーレイ視聴に常用する日立のフルハイビジョンプラズマテレビ「P50-XR02」は、コントラストと黒階調の充実に飛躍的に進歩を遂げた製品で、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』全編を視聴して、「石油の臭い」を錯覚するような瞬間さえあった。
CH1、ゴールドラッシュが終わろうとしているカリフォルニアの金鉱で、主人公のプレインヴューがツルハシを振るうと白い火花が飛び散る。上から差す光と蝋燭、火花が生み出す薄闇の中のコントラストがP50-XR02の場合絶妙で、この閉塞感が何かに憑かれ、囚われ続ける彼の一生を象徴する。
次に見応えがあったのはCH4で、稼動開始した「メアリー・サンデー油井」で天然ガスに続いて石油が噴出し、日が落ちて油井が引火して崩落、夕闇の中で炎上する油井をプレインビューが仲間と見つめるまでを描いた前半のクライマックスである。ここで問われるのはテレビの黒表現とカラーバランスで、石油の黒が赤に寄ったりカラーシフトがあったらダメである。P50-XR02の場合、神の怒りのように吹き上げる石油の純粋なまでの黒が見事で、スペクタクル描写の中に神聖なものに触れた時の恐怖を滲ませる。
日立のプラズマテレビはALIS方式の時代から、映像の精細感に定評があり、噴出する石油のディテールが潰れず、激しい噴出の運動をシャープに木目細かく描き、物質を超えたパワーを感じさせるのもいい。宵闇の中、赤々と燃え続ける油井を二人の男が立ち尽くして見つめる情景は、バックの闇が深く沈まないと起きているドラマの荘厳さが表現できないが、P50-XR02の場合、暗部のノイズが非常に少なく映像の妨害要素がなく、しかも発色が美しいために、人間の力を超えた凄いものに立ち会っているのだ、という映像の狙いが的確に伝わる。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、主人公を演じたダニエル・デイ・ルイスに昨年のアカデミー主演男優賞をもたらした。『ギャング・オブ・ニューヨーク』以来、化けることが巧みなデイ・ルイスと、宣教師イーライを演じるポール・ダノの火花の散る芝居も本作の見所で、屋外ロケの自然光から夜景、室内シーンまで多彩な情景下で、俳優たちの表情をP50-XR02は自然で艶やかな階調とディテールの豊かさで的確に伝えて、人間ドラマの醍醐味を楽しませてくれた。
いま、この原稿を書いている最中に、来月発売のブルーレイディスク新作『ゴッドファーザー三部作』が手元に届いた。大河ドラマの新旧共演である。P50-XR02が来月、ハイビジョン映像になった『ゴッドファーザー』をどう描き出すか楽しみだ。
【『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の映像調整】
映像モード シネマティック
明るさ -15
黒レベル -2
色の濃さ -7
色合い -1
シャープネス -6
色温度 低
ディテール 切
コントラスト リニア
黒補正 切
LTI 切
CTI 切
YNR 切
CNR 切
MPEGNR 切
映像クリエーション なめらかシネマ
デジタルY/C 弱
色再現 リアル
DeepColor 切
(大橋伸太郎)
執筆者プロフィール
1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。ホームシアターのオーソリティとして講演多数2006年に評論家に転身。趣味はウィーン、ミラノなど海外都市訪問をふくむコンサート鑑賞、アスレチックジム、ボルドーワイン。